2016年5月22日日曜日

Zoom NIKKOR 43-86mmがやってきたら、思いがけず多重露光がおもしろかった件

先輩から送られてきたNikomat ELを手に取ってはじめて、自分が一眼レフのフィルム・カメラのことを何も知らないことがわかった。
社会人になって、海外旅行なんかに行くようになってカメラを買った。
当時よく売れていたKonicaのBiG miniという機種だった。
今でも持っている。


久しぶりに電源を入れようとしたら電池が切れていた。
ホームセンターで電池を買ってきて、スウィッチを入れてファインダーを覗いてまず気付いたことは、これズームないんだ、ということだった。
今の知識で言うなら、単焦点の35mm f3.5専用のコンパクトカメラ。高性能の「写るんですHi!」
自分が動いて構図を決めたらシャッターを押すだけだ。

そしてその調子でNikomatに接すると、あまりの無愛想さにちょっとビビる。
まずシャッターが押せない。
巻き上げレバーを予備位置に動かすという知識すらなかったのだ。
いろんな場所についているつまみやハンドルなどいちいちわからない。
ネットの海を探索すると一応まとまったマニュアルのようなものがアップされていてなんとか全体像が把握できた。

それからレンズを買った。


Zoom NIKKOR 43-86m f3.5という機種で、日本製としては最初の標準ズームレンズだそうだ。1963年に発売(53年前だ!)されて現在は生産されていないが、ずいぶんなロングセラーだったそうで、タマ数も豊富なせいか、手頃な価格で中古品を入手できた。
単焦点の明るいレンズが欲しくて一眼レフを始めたのに、どうしてこんなレンズを買ったかというと、写真にも見えているこのカラフルなヒゲが!なんとも!!かっこいいなーと思った次第なのです。
くだらない理由でスミマセン。
でもほら、趣味だからね。愛着がまずないとね。

一応道具が揃って、フィルムを入れてみるわけです。
家に昔買ったKodakのASA400の36枚撮りが2本あったので、まずそれを。
ここで初心者的な発見があって、フィルム売り場に並んでいたのがたいていASA100か400。で、何も知らない僕は400が「高性能版」なんだと思って買ってるわけ。
今回は100でいいかな、みたいな感じで。

暗いところでも写る高感度が400で、そのかわり写真の粒子が粗くなる、なんてことはまったく知らなかったので今本当に心から吃驚しております。
たしかに撮ってみると粒子感が半端ないです。


まいったな。
でもこの逆光の感じ、ちょっと好きかも。
逆光のカメラマン、なんてね。目指してみるかな。
これ撮り終えたら、今度はISO100のフィルムを買ってみたいです。

そう。
ASAがデジカメ時代によく言っているISOと同じものだというのも今回知ったお作法のひとつですね。

NikomatにもASAって書いてます。


この日は、明け方の街を撮ってみようと、暗いうちから出かけたんですが、こんな奇妙な写真が撮れてしまいました。


三重に露光されているようです。
前のオーナーからNikomat ELには多重露光の機能があるとは聞いていたのですが、これはまったくの偶然で、どんな操作でそうなったのか自分ではまったく覚えがないのです。
どなたか操作法をご存知でしたら教えて下さい。


2016年5月21日土曜日

Nikomat ELがやってきた ~ そして僕はフィルムカメラという沼地へと征く

ディジタルは確かにいろいろと便利だ。
でもアナログにもいいところがたくさんある。

一般にアナログは「融通が効く」

CDのデータが読み取れなくなった時に出てくるディジタル・ノイズはちょっと耐え難い音が出るが、レコードについた傷は幾度も聴いているうちにその盤の個性のようなものとして受け入れることができる。

DVDに記録された映像も事情は同じで、盤の傷が一定のレヴェルを超えれば「このディスクは読み取りできません」とにべもなく突き返されるし、DVDーRに至っては色素の変質で数年で使えなくなったりするが、録画されたヴィデオテープは、確かに画質の劣化はあるが、驚くほど長い間映像を保存しておいてくれる。

光ファイバーを通ってくるひかり電話なんぞは停電の時には何の役にも立たないが、アナログ回線は、電気が無くてもその時必要な声を届けてくれる。

デジカメで撮りためた大切な写真をハードディスクのクラッシュで喪って、気を失いそうになった人だっているだろう。現像したフィルムなら家が火事にでもならなければ失われることはない。

そんなアナログの「丈夫さ」に惹かれて、アナログ・レコードを愛聴し続け、真空管アンプを使い、携帯電話にも背を向けてアナログ回線の固定電話を使い続けている。

そしてこの度、もう一つアナログ趣味を持つことになったのでご報告したい(別に聞きたくないか)

それは「フィルム・カメラ」
会社員時代の大先輩に譲っていただいた。





Nikomat ELという(ニコマートと読みます)
40年ほど前のニコン製のカメラらしい。

レンズはあらためて購入した『Ai Nikkor 43-86mm F3.5』一本を練習がてら使い倒す計画である。

友人たちに言うと、決まって「現像はできるのか」とか「フィルムは売ってるのか」などと訊かれるが、真空管アンプを使っているというと、真空管が切れたらおしまいですね、などと言われるのと同じだから別に気にならない。
真空管もフィルムもまだ作られているし、現像だってカメラのキタムラが入っているAEONが近くにあれば、昔懐かしい55分DPEサーヴィスが今でも受けられる。
繰り返すが、アナログは丈夫なのである。

2016年5月20日金曜日

【島田荘司・御手洗潔シリーズ考察】『屋上の道化たち』書評|御手洗潔シリーズ50作目の魅力と「救い」の眼差し

島田荘司先生の御手洗潔シリーズ記念すべき50作目、『屋上の道化たち』を読みました。前作の大作『星籠(せいろ)の海』に続く、ファン待望の新作です。


私は普段、本の重さやページをめくる手触りにこだわり、文庫化されるまでじっくり待つ「頑固な文庫派」です。ハードカバーは読書への没入を妨げることがあるから……というのが建前ですが、島田先生の作品だけは完全に別格。発売された瞬間に、居ても立ってもいられず単行本を手に取ってしまいます。なぜなら、島田作品の圧倒的なリーダビリティ(読みやすさ)の前では、本の体裁など些細な問題になり、一瞬で物語の世界へ引き込まれてしまうからです。

読者を惹きつける「謎の提示」とリアルな人間模様


島田作品の最大の魅力は、なんといっても物語の幕開けに用意される「強烈な謎の提示」にあります。
本作で描かれるのは、「絶対に自殺などしそうにない人々が、次々と飛び降りてしまう不可解な屋上」という不気味な謎。一見シンプルに見える状況の裏に、一体どんな真相が隠されているのか。その答えが知りたくて、ページをめくる手が止まらなくなります。
また、事件の背景に描かれる市井の人々のリアルな描写も、物語に深い説得力を与えています。
予期せぬ不運のサイクルに巻き込まれ、もがいても抜け出せない人
組織の同調圧力や空気に飲まれ、流されていく人
彼らの姿は決して他人事とは思えず、「僕たちもきっと、そんな『道化』の一員なんだ」と、どこか身に覚えのある光景に強く感情移入してしまいます。

探偵・御手洗潔が放つ「温かい視線」


『屋上の道化たち』の素晴らしさは、こうした「時代」や社会の歪みに翻弄される人々を、作者が安易に批判も擁護もしない点にあります。
探偵・御手洗潔は、社会のルールや固定観念に縛られることなく、ただ目の前の「人間」を真っ直ぐに見つめます。そして、鮮やかに謎だけを解き明かしていく。その振る舞いからは、ミステリーという文学ジャンルが持つべき「大切な役割」や救いのようなものを強く感じます。
スケールの大きな『星籠の海』も名作ですが、個人的にはこの『屋上の道化たち』のような中規模の作品にこそ、御手洗潔というキャラクターが持つ「人間の弱さに対する視線の温かさ」が色濃く現れていて、深く心に刺さりました。

ファン必携!巻末の「全作品ガイド」も必見


なお、今回の単行本にはシリーズ50作目を記念して、「御手洗潔シリーズ全作品ガイド」が巻末にまるごと収録されています。
これまでの歴史を振り返る公式ガイドとしてのクオリティが高く、この特典部分だけでも十分に購入する価値がある、ファン必携の一冊です。

屋上の道化たち
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2016年5月16日月曜日

宗教戦争の時代にあらためて読まれるべき名作の復刊 ~ フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』

早川書房から『デューン 砂の惑星』が新訳を奢られて復刊された。


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まあ、ちょっとした事件ですよね。

翻訳は『ハイペリオン』の酒井昭伸先生。
さすが、あの難物をノンストップで読ませる実力派で、砂の惑星もお見事な仕上がりです。

砂の惑星、というと高校生くらいの頃映画化されて、スティングが出演していることばかりが話題になって、観てみたらなんじゃこれ?という、ある種トラウマ系の作品で、まあそれでもガイドブックなんかによれば歴史的な名作らしいから原作はどうなんだろうと、大学生の時に古本屋を漁って読んでみたが、やっぱりどこが面白いのかわからなかったわけです。

近年多くの名作が新しい翻訳を与えられて、新しい装丁を纏って書店に並んでいる。
そのどれもが、よく理解できなかった名作を身近にしてくれた。
今回の『デューン 砂の惑星』もその意味では成功していると言えるだろう。

それでもう一度デヴィッド・リンチ監督の映画版『デューン 砂の惑星』も観てみたのだが、こちらの印象は変わらない。当たり前か。
当のリンチ監督も同じように思っていたようで、DVDを見ると、何らかの理由で出来上がった作品に自分の名前を入れたくない時に付けられる「匿名」=アラン・スミシー名義になっていた。

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『デューン 砂の惑星』の物語世界は、まず人工知能の反乱で、人間が奴隷化され、それを再度人間が反攻制圧して、今度は機械文明を否定した精神世界を構築している、というところから始まる。
精神の力が現実世界への「力」の脅威になりうるこのような世界では、「宗教」が現実的な武力と不可分なものとなる。
そこに、キリスト教とイスラム教の相剋の構図を載せたのが『デューン 砂の惑星』の基本構造と言えるだろう。

最初に読んだあの頃、そういうことはまったくわからなかった。
世界の各地でイスラム原理主義のテロが起きている。
知人たちが世界中で働いていて、ニュースを見てハッとすることもある。

なぜそのようなことが起こるのか、出来事の連なりだけを読んでわかったような気になっても、こうした物語を読むと、どちらの側にも人間としての真っ当な心があり、正しいとか正しくないというような問題ではないということに想いが至らない。

物語にしか伝えられないことがある。
この時期に、この作品を復刊しようとした編集者にはきっとそれがわかっているのだろう。
出版社の役割の重要な部分だと思う。

であればこそ、「書き入れ時」を「掻きいれ時」と誤記するような凡庸なミス(中巻)を見逃さないで欲しいものではあるが。

2016年4月25日月曜日

念入りなニオイ消し ~ スペンサー・クイン『名犬チェットと探偵バーニー・シリーズ』

なにやら空前の猫ブームらしく、犬派の僕は意味もなく対抗してみたくなる。
それで、というわけでもないのだがスペンサー・クインの「名犬チェットと探偵バーニー」というシリーズが面白いのでご紹介してみる。

現在三作品が翻訳されていて、うち二作が文庫化されている。
ぜひ文庫版で読んでいただきたい。
表紙イラストが秀逸でずっと眺めていたくなる本だ。

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とにかくチェットがカワイイ。
ローレンス・ブロックの泥棒バーニーシリーズによく似た筆致で、おそらく名前の一致は偶然ではないだろう。

非トラディショナルなミステリの書き手が筆名を変えて書いているわけだが、その名がスペンサーというところから見ても、サスペンスものによくある偶発的解決を茶化して書くことが主題のひとつなんだと思う。

その「悪意」の匂い消しに犬という話者を使っているのだろう。
その企図は完全に成功していると思う。


また、ハードボイルドというジャンルは話者(=推理者)が心の声を語らない、というところに本質があると思っているのだが、このシリーズはそれを超えて話者が犬だから念入りだ。
ハードボイルド特有の最後物語のスピードが上がっていくのに、完全な情報が手に入らないまま読者が「焦れていく」感じがマキシマムになる。

そして、誰もが複雑な存在だと思いたがっている人間の本質が、実はとても身も蓋もないところにあるという、ちょっと直視しにくい現実を、心の声を語らないからこそ暴いてしまうハードボイルドという文学ジャンルにあって、犬が話者であることで救われている部分は大きい。
なかなかいいね。

2016年4月22日金曜日

プリンスの訃報と「海辺のカフカ」

プリンスが死んだ。
ボウイが亡くなったばかりだというのに、いったいどうなってるんだ。

とはいえ、僕は近年のプリンスの熱心なリスナーとは言えない。
大学生の頃、貸しレコード屋でバイトをしていた。その二年間の間にパレード、サイン・オブ・タイムス、そしてラブセクシーが相次いでリリースされたが、パレードとサイン・オブ・タイムスが本当に素晴らしかったから、遡ってアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを聴いて叩きのめされた。
バイトをしていた店でレンタル落ちになったアラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイを買って何度も聴いた。


ラブセクシーにはちょっとピンとこなかったが露悪的なジャケットデザインのせいだったと思う。
そしてこの時期の三枚が僕にとってのプリンスのすべてで、時々MTVでかかるシングル曲を聴くくらいだった。


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しかしその後、僕はプリンスとの決定的な再会を果たす。
それは村上春樹の「海辺のカフカ」で、だった。


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主人公の少年がMDで繰り返し聴くプリンスの「リトル・レッド・コーヴェット(小説内の表記どおり)」
小さな赤いコルベットは、重要な登場人物のスポーツカーと対置されたものだろう。
そしてそのスポーツカーの中ではシューベルトのピアノソナタが流れていた。
シューベルトという作曲家の主要なモチーフは「父との対立」だった。
すべての要素を慎重にメタフォリカルに配置したこの小説で、これはきっと重要な意味を持つ対置なんだ、と僕は感じた。
さらに物語の後半、少年はプリンスの「Sexy MF」を聴きながら関係を持った女性のことを考える。
MFはMother-Fuckerのことで、ロックミュージックの歌詞でよく聴く侮蔑語だが、ここではおそらく文字通りの近親相姦者の意味を暗示させている。

音楽を使って立体的な文学表現をするのが村上春樹の作法ではあるが、その中でも際立って印象的な楽曲の使い方だと思う。
この少年にこころ寄せて物語を読んだ僕の中では、「海辺のカフカ」とプリンスの音楽が分かちがたく結びついてしまった。

プリンスの訃報に接して、偉大な音楽的業績よりも先に「海辺のカフカ」のことを思い出してしまったが、これさえも、プリンスの音楽の偉大さの一部なのだろう。
Thank You , Prince.
R.I.P

2016年3月14日月曜日

カーリン・クローグ&デクスター・ゴードン「ブルース・アンド・バラード」

今日の朝のレコードは、カーリン・クローグ&デクスター・ゴードンの「ブルース・アンド・バラード」
どちらかと言うと「夜のレコード」という趣きのアルバム。


テイチクのOVERSEAS RECORDSというレーベルから1971年に発売された盤だそうです。同年のスイングジャーナル誌「ジャズディスク大賞」のジャズ・ボーカル賞を受賞しているそうです。


なんとB1でデクスター・ゴードンご本人も歌っていらっしゃいます。
続くB2〜3で、ライオネル・ハンプトン楽団で歌っていたジミー・スコットの曲を採り上げています。
御存知の通り、デクスター・ゴードンはライオネル・ハンプトン楽団でそのキャリアをスタートした人ですから、自分のルーツへのオマージュという意味合いがあるのでしょう。


2016年3月13日日曜日

クリント・イーストウッド監督作品「ヒアアフター」を観る

クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」を観た。
「許されざる者」以降のイーストウッド映画にはいくつか、スッキリとわかりやく解釈することができない映画がある。これはその最右翼と言えるだろう。

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来世(=ヒアアフター)の存在を僕自身は信じていない。
が、だからといってこの映画の描こうとしている心象風景を否定する理由にはならない。
「死」そのものは厳然と存在する。

霊能力者のジョージ(マット・デイモン)は、触れた人間に関わりの深い死者とコミュニケートすることができる。
そしてそれゆえに、生者の世界とディス・コネクトしてしまう。

しかし、人は一人では生きていけないのだから、ディス・コネクトだってコネクトの結果でしかない。
ジョージのような特殊な能力が無くても、人は常にコミュニティとの断絶の可能性をリスクとして持っている。

双子の兄を喪った少年マーカスは、そのようなリスクが実際にその身に降りかかった者として描かれている。社会との接点をその兄ジェイソンに全面的に依存してきたため、彼の死によって社会から孤立してしまうのだ。
マーカスは、ジョージの能力によって、亡くなったジェイソンの最後の指示を聞くことができ、それによって社会に戻っていくことが出来た。
死者自身の言葉でしか、その死を受け入れられないこともあるということだろう。

ではジョージのディス・コネクトは誰が救うのか。
料理教室で知り合った女性に心惹かれるが、やはり能力によって知ってはならない過去を暴いてしまい、関係は破局する。
ラストで、ジョージを救うのが「臨死体験」を持つジャーナリストの女性、マリーである。
マリー自身も臨死体験に縛られ、それまでのキャリアから放逐されてしまっているから、ジョージとの出会いは彼女にとっても救いであったろう。

死にとらわれた者を、死にとらわれた者が救う。
しかしジョージのような能力を皆が持たないこの世界では、このような救いは容易に実現しない。
で、あれば誰かの死を受け入れるために僕らができることは、生者の「思い残し」を死者のせいにしない、ということしかないだろう。

2016年3月12日土曜日

日本という国の転換点を描いた「許されざる者」という傑作


クリント・イーストウッドの「許されざる者」を観て、映画を見る目が変わった。それ以降、昔観た映画を見なおす度に、えっこんな映画だっけ、と思うようになった。
そんな「許されざる者」が日本映画にリメイクされてしかも撮影場所が北海道と聞いて、DVD出たら観ようと思っていたのだが、ロードショー時あまりに評判が悪かったので、観ないままになっていた。
昨日、たまたま目についたので借りてみたのだが、ナニコレ面白いじゃん。

船戸与一の「満州国演義」も、戦争に向かっていく日本を描きながら、結局「明治維新とは何だったのか」というポイントに収束していく。乙川優三郎の「脊梁山脈」もそうだった。
日本版「許されざる者」リメイクにも、この視点が巧妙に脚本化されていて見事だ。イングリッシュ・ボブのくだりを翻案した北大路エピソードは、当時の長州と薩摩の摩擦を描いて、このような小さな、あまりにも人間的な内実が、後に軍部の暴走という大事に繋がっていく事実を読んだ後では、非常に強いリアリティを感じる。アイヌ差別の実態もフィクションならではの明快さで切り取っていて深く頷かされた。

また映像の美しさ、音楽の素晴らしさにも心を揺さぶられた。

イーストウッド版と比較することは無意味だろう。枠組みは同じでも描こうとしたものはまったく異なっている。
それはラストを観ればわかる。
日本版では、十兵衛は姿を消し、五郎(柳楽優弥)となつめ(忽那汐里)が新しい生き場所を見つける。対してイーストウッド版はマーニー(イーストウッド)の人生が意外にも成功者として続いていくのだ。
人間の心は善と悪のような二分法では語れない。ふたつながら抱え込んで、答えのないまま生きていくしかない。成功しても失敗してもそれは偶然でしかない、というイーストウッド版の人間観と、日本という国の歴史の転換点を、北海道という辺境に生きた人たちの小さいが確かな生を通して描こうという試みの違いだ。


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2016年3月10日木曜日

Van ZandtのテレキャスターにGOTOHのIn Tuneサドルセットを導入してみた

突然だが、もう30年も前、学生時代に書いた曲をあらためて録音している。
最初の最初に書いた曲がこの「Identity Crisis」という曲だった。

いやー、恥ずかしいですな。
あまりの恥ずかしさに、歌詞を30年後の自分からのメッセージに変えてしまった。

とは言え、けっこう作業は楽しくて、まあライフワークみたいな感じで今までに書いた曲を残したり、まだまだ新しい曲も書いていこうと思った次第。
で、この作業中気になったのがギターの「サドル」だった。

僕のメインギターは、Van Zandtのテレキャスターで御茶ノ水のBIG BOSSで購入したものだ。




とても気に入っているが、購入当時からサドルのイモネジが右手の腹に刺さるのが気になっていた。




ね、飛び出してるでしょ。
お店の人は、「それがテレキャスターですから」と言って笑っていたので、そういうものか、と思っていたが、気になるものは気になるし、10年近く弾いてて慣れないんだから、やっぱりなんとかしようとネットを徘徊していて、サウンドハウスというお店でこいつを見つけた。
GOTOHのIn Tuneサドルセット。
これならイモネジが手に引っかかることがなさそうだ。

たいして高価なものでもなかったので、即ポチして、今日届いたのでさっそく取り付けてみた。
Amazonでも売ってました。値段も同じでした。

GOTOH★Fenderテレキャスター用ブリッジサドルBrass
説明を追加
おお!なんかカッチョいい。
イモネジの長さも適切だし、キレイに面取りされている。
思わず手をスリスリしちゃったよ。


で、これカッチョいいだけじゃなくて、オクターブチューニングにも配慮されている。
専門的な話なので、興味がある方はググってもらえばいいと思うが、テレキャスターというギターは伝統的に弦二本分まとめてひとつのサドルに載せちゃってるので、高音部にいくほど音痴になっちゃうのね。で、このGOTOH製のサドルにはそれを補正するように特殊な「溝」を彫ってあるのだ。

弦を張って、調整する。
愛用の弦はこちらのEVERLY B-52's


ALLOYという特殊な鋼線を使っているそうだが、Van Zandtのギターには標準で張られている弦なのだ。このパッケージに惚れて、張替え時にもこれを選んで買っていたが、数年前にパッケージが変更され味気ないものになってしまったので、まとめて大量に買っておいた。しかしとうとうこれが最後の1パック。
また新しい弦を探さなくては。

現行品はこれ。

Everly / エバリー 9210 エレキギター弦 B-52 Rockers
Everly
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弦を張って、開放弦の12フレットのハーモニクスと押弦した音が揃うようにサドルを下げていく。太い弦ほど大きく下げる必要がある。

何度か弦を緩めてはサドルを下げて、弦高とともに調整した。
いずれにしても完全には合わないので、耳でいいと判断したところまででいいのだ。

これで快適な録音ができそうだ。

2016年1月18日月曜日

【ライブレポート】佐野元春&THE COYOTE GRAND ROCKESTRA 2016/1/17 札幌市教育文化会館

佐野元春が2015年にリリースした「Blood Moon」が本当に素晴らしかったので、久しぶりにライブに出かけてみようという気になっていた。

BLOOD MOON(初回生産限定盤)(初回限定ボックス盤)(CD+DVD)
佐野元春&THE COYOTE BAND
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首尾よくチケットも入手できて、当日会場に行ってみると、前回入りが悪くてテレビ局の友人から招待券をもらって行ったコヨーテ・ツアーの時とは打って変わっての盛況。
満席に近い入りだった。
聴衆は正直だ。
やはり作品の出来が動員に大きく影響する。


前回は不意打ちの「グッドタイムス・バッドタイムス」でのオープニングで会場にいたすべてのオールドファンを泣かせたが、今回もやられた。
一曲目は「シュガータイム」

何かが間違ってるんだぜ、いつの頃からか
という印象的なブリッジが、この歌が書かれた80年代とは違う意味を持って立ち現れる。
そしてその変化が、僕らがここまでいろんなものに晒されて生きてきたんだ、ということを否応なく意識させて、やっぱりすっかり弱くなった涙腺が少し緩む。

そして歌は二曲目の「優しい闇」に進んでいく。


沖縄の基地問題に触れ、それを「柔らかいファシズムの元に生きる恋人たちの唄」(佐野元春Facebookより)に昇華したものだという。
デビュー以来一貫して、都会というしがらみに絡めとられながらも闊達に生きる恋人たちを描いてきた姿勢が、30年の時を超えたふたつの歌のメッセージを結び合わせる。
35周年の記念ツアーに相応しいセットリストの開幕だ。

中盤、最新アルバム「Blood Moon」からの曲を挟んで、35周年にあたっての言葉があった。
「みんなも35年の時を超えて、サバイブしてここにいる」と。
聴衆のそれぞれが、本当にいろんなことのあった自分の半生を振り返った瞬間だった。
そして「ジャスミンガール」

それはヤバイでしょ。
泣いちゃうでしょ。
と溢れてくる涙を拭っていると、隣から嗚咽の声が・・
けっこうみんな泣いてたと思う。

曲が終わると元春から「みんな、しんみりしちゃってるんじゃないの」と声がかかり、怒涛の80年代名曲シリーズへ。
かなりシンガロングしちゃったけど、他のコンサートのように気にならない。
だって凄いんだよ。客席のノリが。
久しぶりに手拍子が大きすぎてステージモニタが利かなくなっているのを見た。

ずい分昔、甲斐バンドの武道館の時、やっぱり手拍子が凄すぎてモニターが聞こえなくなって、甲斐さんが「みんな、ごめん、もう少し静かにしてくれる?」って言った時以来かな。


バンドのリズムというものは、誰かが主導権を持っている。
リズムだからといってドラマーが持っているとは限らない。
山下達郎さんのステージなら、達郎さんのギター(もし弾いていなくても)が。
ミスチルなら底抜けに明るくてパワフルなジェンのドラムが。
スピッツならシンプルなメロディの隙間をうねるように駆け抜けるアキヒロさんのベースが。

そして佐野元春のライブでは、明らかに「オーディエンス」がそのイニシアチブを持っている。
もちろんステージサイドでの音楽的リーダーシップというものはある。
佐野元春バンドでは代々、ギタリストがその役割を担って、オーケストラのコンマスのようにバンドをリードしてきた。
伊藤銀次さん、横内タケ、長田進、佐橋佳幸。
そして今回の深沼元昭も本当に素晴らしい演奏でバンドを引っ張っていた。(長田さんは札幌には来てくれませんでした)
ことにゴールドトップのレスポールを構えた時のあの無敵感はなんなんだろう。ホント聞き惚れるほどのいい音が出てた。

それでもホールを埋め尽くしたオーディエンスの熱量には敵わない。
僕の近くの席で周囲をリードしていたベテラン・ファンはもう手拍子のプロと言ってもいいだろう。
打ち姿の楽しそうな感じにほだされて、みんなその人に付いていってた。
たぶん随所にそういうベテランがいて、会場全体をアツくしていたんだろう。
みんなでこのステージの「演奏」を作っているという実感がとにかく楽しい。
来てよかった、と心の底から思えるコンサートでした。

【Anthologies #1】心に澱が積もる夜には|大貫妙子『ライブラリー』

 還暦を過ぎ、いつの間にか貪欲に新しい音楽を探すことはなくなった。 それでも、日々を生きていれば音楽に頼りたくなることはあるものだ。そんなとき聴きたくなるのは、アーティストたちの人生が垣間見える<アンソロジー>で、いくつか愛聴盤がある。 誰かの心無い言葉や、諍いに心に澱が募るよう...