【島田荘司・御手洗潔シリーズ考察】『摩天楼の怪人』レビュー|御手洗潔シリーズの魅力と禁酒法が描く悲劇
はじめに:御手洗潔シリーズにおける「語り手」の重要性
島田荘司先生が描く名探偵・御手洗潔シリーズの真髄は、語り手である石岡和巳の存在があってこそだと私は考えています。
探偵自身が語り手を務めることが多いハードボイルド作品では、探偵が真相に辿り着くまでの奮闘やプロセスを、読者と同じ視点で追体験できるのが魅力です。しかし、御手洗潔のような「天才型」の探偵は、常人と同じ手がかりから論理の梯子を二段飛ばしで駆け上がり、一瞬で真相を見抜いてしまいます。もし彼自身が語り手になれば、物語は「犯人は執事だ」の1行で終わってしまうでしょう。
だからこそ、常識と先入観に囚われた、愛すべき一般人である「石岡和巳」という語り手が必要不可欠なのです。彼の人間味あふれる独白には、自分自身の至らなさを見透かされているような気恥ずかしさと、深い共感を覚えずにはいられません。
そのため、石岡が語り手を務めない御手洗シリーズにはどこか物足りなさを感じてしまうものですが、明確な「例外」が存在します。その筆頭が、今回ご紹介する『摩天楼の怪人』です。
『摩天楼の怪人』の概要と新たな語り手
本作は、御手洗潔がアメリカに渡り、コロンビア大学の助教授を務めていた若き日の事件を描いた作品です。
タイトル:摩天楼の怪人
- 著者:島田荘司
- 語り手:ジェレミー(ブロードウェイの脚本家)
石岡和巳の代わりに物語を紡ぐのは、ニューヨークの熱気と哀愁を知る脚本家のジェレミー。彼が語り手となることで、本作はこれまでのシリーズとは一線を画す、壮大でドラマチックな物語へと昇華されています。
島田荘司が鋭く切り込む「禁酒法時代」のアメリカ
ミステリというジャンルにおいて、アメリカの「禁酒法時代」は定番の題材です。しかし本作では、アメリカを深く愛する島田先生ならではの、極めて鋭い歴史的考察(総括)が綴られています。
ここでは、作中から読み解ける禁酒法時代から大恐慌へ至るアメリカの歪みを、歴史のタイムラインとして整理してみましょう。
1910年代〜1920年代:歪んだ繁栄と禁酒法の狂気
過熱する投機熱と労働力不足
欧州の工場として機能したアメリカは空前の好景気に沸き、ニューヨーカーは富を貪りました。第一次世界大戦への参戦により男たちが戦場へ向かうと、ニューヨークは深刻な労働力不足に陥り、南部から大量の黒人労働力を誘致することになります。
純粋な善意が生んだ悪法「禁酒法」
1919年、信仰深い婦人たちの運動により、ルーズヴェルトの拒否権発動をも押し切って禁酒法が通過。これがすべての狂気の引き金となります。
ギャングの台頭と社会の廃人化
密造酒ビジネスで億万長者となったギャングたちは、農村の困窮者を吸収して犯罪者予備軍とし、一国の軍隊並みの兵力を手に入れます。一方で、粗悪な密造酒の蔓延は多くの廃人を生み出しました。
1929年:金融大恐慌と「王」たちの没落
そして1929年、ウォール街を発した金融大恐慌が世界を焼き尽くします。昨日まで「世界の王」だったニューヨーカーたちは無一文となり、高層ビルが陽光を遮る冷たい路上で凍死していきました。
【歴史から学ぶ教訓】
禁酒法の施行は、純粋な善意によるものでした。しかし、「一方の言い分だけで作られた正義」は、結果として人間の欲望の連鎖を生み、巨大な悲劇へと繋がったのです。人類は進歩しているようで、その本質的な無自覚さゆえに、同じような破滅のサイクルを繰り返しているのかもしれません。
現代にも通じる「欲望の境界」が引き起こす悲劇
このような激動の歴史を背景に、島田荘司先生がニューヨークという舞台で描き出したのは、壮大で社会派な「オペラ座の怪人」です。
本作に登場する「怪人」は、カネも名誉も必要とせず、現世に利害を持たない存在。だからこそ、その行動原理は純粋であり、彼の持つ「善意」は鋭く一方的で迷いがありません。しかし、その一方通行の正義の先には、悲劇しか待っていないのです。
社会に複層する「欲望の境界」の例
隣り合う人間の間には、常に「欲望の境界」が存在します。
- 歩行者:自転車が横をびゅんびゅん走るのが怖い
- 自転車:車道を走るのは怖いから、安全な歩道(舗道)を走りたい
- 自動車:我が物顔で走っているように見えて、信号を無視する自転車や歩行者が怖い
本来、こうした「欲望の境界」による衝突を防ぐために、理性的に引かれた境界線こそが「法」であり「公共」という精神のはずです。
まとめ:欲望万能の現代を生きる私たちへ
ひるがえって現代社会を見ると、私たちは「欲望万能の時代」を生きています。法律さえも経済の下僕となり、公の秩序や防衛、税制、秘密保持など、あらゆる「境界線」が一方的な都合で引き直されようとしています。
『摩天楼の怪人』が描いた禁酒法時代の悲劇は、決して過去のフィクションではありません。一方的な正義と欲望がぶつかり合う現代を、後世の作家たちはどのように描くのか。そんな深い思索にふけってしまう、御手洗潔シリーズ屈指の傑作です。

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