2017年7月28日金曜日

映画『ローマに消えた男』:混迷政治の大先輩イタリアでは、政治映画もやっぱり堂に入ってるわ

蓮舫さんと稲田さんの辞任が報じられた日の夜に、2013年のイタリア映画『ローマに消えた男』を観た。

混迷する政局という意味では大先輩のイタリアでは、このような風刺映画が成立して、しかもダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(アカデミー賞みたなもんです)で2冠に輝いたりしちゃうあたり、やっぱり格が違うと感心した。
感心されたほうも迷惑だろうし、こっちも感心している場合ではないのだが、このくらい大人の目線で物事を見られたらきっと人生はもう少し豊かになるだろう。

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左派野党の党首が、支持率の低迷から逃げ出してしまう。
困り果てた側近が、精神病院に入院していた双子の弟を替え玉に立てるが、ブレヒトの詩を引用した演説などで聴衆を熱狂させ、支持率を回復させてしまう、というお話。

政治という「お約束」から離れたぶっちゃけトークが民衆の心を掴んでいく描写が実に痛快でチャーミング。

特に演説の時、力のある目線の動きだけで、映画を見ているこちらの気持ちまで動かしてしまうトニ・セルヴィッロの怪演は必見ですよ。

フランスにいる昔の恋人のもとに身を寄せる党首は、政治に関心がないが故の民衆の支持と、政治の仕組みの中で真摯に生きたが故の不支持、という矛盾に傷つくが、映画作りの現場に触れ、「虚構」を作り出すために人々が右往左往したり、怒鳴り合ったりするのを見て、政治と生の実感の間の距離感を取り戻していく。

その総括をするかのように、昔の恋人の今のご主人である映画監督が、
「政治は虚構として現実を創造する」
と言う。

「劇場型政治」などというが、その意味で政治はもともと映画のようなものだ、ということなのだろうか。
いや、人間の精神生活そのものが、ある種の虚構の枠組みの中にあるということなのだろう。


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