「宇宙大作戦」がなかったら、スペースオペラの楽しさに出会えたかどうかわからない。
生涯愛するであろう「キャプテン・フューチャー」にも。
ミスター・スポック、本当にありがとう。
そのキャプテン・フューチャーも、長い間絶版で、大学生の頃一所懸命古書店で探して全巻集めた。
だから東京創元社が、2004年から全巻の復刻を敢行してくれて本当に嬉しかった。
この機会に再通読して、各巻のレヴューを試みる。
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第一巻は「恐怖の宇宙帝王」。
木星でウラニウムの鉱床が発見されて栄える新開地(ブームタウン)。
そこに群がる地球人たちの間で「先祖返り」と呼ばれる恐ろしい奇病が蔓延する。
人間が数日で凶暴な猿のように変化してしまう奇病になすすべも無い太陽系政府首席のジェイムズ・カシューは、月に住む冒険家にして科学者のカーティス・ニュートン=キャプテン・フューチャーに事態の収拾を依頼する。
木星に飛んだカーティスは、木星人を煽動して地球人への叛乱を目論む「宇宙帝王」と出会う。
不思議な未知の科学技術で武装した「宇宙帝王」
伝説の木星古代文明との関係は。
というシンプルな活劇スタイルのプロットの本作には、しかし魅力的な言葉で木星人たちの中にある抑圧への反発を引き出す宇宙帝王と、その強さによって原住民たちの脅威を取り除くことで信頼を得るカーティス・ニュートンの違いはどこにあるのか、という問いが隠されている。
それは「動機」である、と誰もが答えるだろう。
しかし私欲のためとはいえ木星人を操って地球人への叛乱を起こさせることは、木星人を地球人のローマ的支配から解放するという実益があったはずだ。
カーティスの鉄拳は、一見正義に見えるが、その強すぎる刃はカーティスが敵だと「思う」側に向けられているだけで、例えば彼を襲ったことで命を奪われるディガーやクロウラーは、人間とコミュニケーションを取れないというだけで敵認定を受け、一方的に命を奪われているのである。
まるで、ヒトラーとナポレオン。
そういう意味で、勧善懲悪という名の思考停止が、この種の活劇の「面白さ」を支えているという逆説について、現代の読者である我々はもう少し自覚的であってもいいのかも知れない。
しかしもちろんそのような読み方は1940年に書かれたこの物語に対してフェアではないし、 キャプテン・フューチャーの冒険にドキドキしながら読んで、はあー、ジョオンとはどうなるのかなあ、などと想像して本を閉じるのが幸せな読み方だと思うし、基本的に自分自身もそのように読んだ。
そのように読めば、やはり本作において最も重要なシーンは、ジョオン・ランドールの登場であると言っていいだろう。
しかも惑星警察機構の女性諜報員ジョオン・ランドールは、調査のため看護婦に扮装して奇病「先祖返り」の患者が収容されている病院にもぐりこんでいるのである。
1940年のナースコス。
なんて歴史的な。
さらにラストシーン。
カーティスはコメットのコックピットで「あれは素晴らしい娘だね、サイモン」とつぶいたあと、あわてて「だから、どうだってことはないんだけどね」 と付け加えるのだ。
ツンデレかよ。
やはりエドモンド・ハミルトンはエンタメの天才なのである。
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