これも1940年の作。
おそらくハミルトンはこの作品を書くにあたって、SF作品をシリーズ化していくことは、作品の中に架空の未来史を構築することだと気づいたのではないだろうか。
前作「暗黒星大接近!」の中で、宇宙のサルガッソーに囚われた時、宇宙開拓時代の先駆者マーク・カルーの船を発見するが、今作においてそのマーク・カルーの冒険を1971年とあらためて規定して、さらにその旅でカルーが発見したグラヴィウムという鉱石が、太陽系に地球人が覇権を築くキー・ファクターになったという設定を加えている。
グラヴィウムという鉱石は、電気を流すとその極性によってプラス、マイナスの両方向に重力制御ができるというまるで魔法の石だ。
発見者のマーク・カルーが、この鉱石を使って「重力等化機」という機械を考案する。
質量の異なる惑星でも母星と同じように活動できるようになるこの機械を身につけて、地球人は太陽系内のすべての惑星を探査した。
そして、各惑星に住んでいる先住民にもこの技術を提供して太陽系をひとつの経済圏に束ねていくのである。
物語は、このグラヴィウム鉱山の利益を独占しようと目論む「破壊王」とフューチャーメンとの死闘を描く。
太陽系各地で起こるグラヴィウム鉱山でのテロ。
謎の首謀者「破壊王」と、その現場に現れるなぜか言葉や動きのぎこちない手下たち。
そこに海の惑星に伝わる「シー・デヴィル」の伝説が絡んできて・・
という、シリーズに共通した謎解きの面白さも楽しめる。
またジョオンとカーティスの恋もゆっくりとだが前進しているのが見て取れる。
ラストでカーティスが、太陽系連合崩壊の危機を免れて喜ぶ恋人たちを街でみかけて、オレにはこういう幸せはなかった、としみじみ思い起こすシーンはもしかしたら二人の恋の進展を示す最重要シーンかもしれない。
この物語が書かれたのが1940年であることを考えると、ひとつの経済圏になった太陽系連合が、リベラルで進歩的な調和の世界を実現したように見えながらも、やはり愚かしい植民地政策の傷跡を、地球人漁師に扮装して海王星の盛り場に乗り込んだアンドロイドのオットーが、「なるべく地球人らしく横柄な態度で振る舞」ったりするようなところに残していて興味深い。
さらにそのような現実のメタファーに「グラヴィウム」という一体化した各惑星の経済を支える基盤を設定することで、夢の様な惑星間貿易の世界が、まるでグローバリズムに翻弄される現代のようにも見えてくるところなどは非常に予言的だ。
これぞSF!
カーティス・ニュートンは、各惑星が地球の優れた科学技術の恩恵を受ける世界を、生命をかけて守る価値のあるものと捉えて死闘に挑んだが、本の向こうの現実からそれを見ている僕には、もし地球人が宇宙進出などせずに自分が生まれた星の資源で足ることを知って暮らしていてくれたら、海王星の水棲人や冥王星の月に住むステュクス人などの生活は、あれほどに波瀾万丈なものにならなかったのではないか、と想像せずにはいられず、複雑な気持ちになる。
事実、薔薇色の未来を描き続けてきたSFの世界も、この後ディストピア小説が主流になっていくのである。
エドモンド・ハミルトン 鶴田 謙二 野田 昌宏
東京創元社
売り上げランキング: 513,725
東京創元社
売り上げランキング: 513,725
0 件のコメント:
コメントを投稿