今朝は久しぶりに小山卓治の「PASSING」をターンテーブルに載せた。
このレコードは、貸しレコード屋でバイトしてた頃新譜で出た盤で、一緒にカウンターに立ってたギター弾きの先輩と、これはすごい!と興奮して何度もお店でかけた記憶がある。
特にA面ラストのPassing Bellには何度も泣かされた。
古い友人の死を知らせる電話が鳴り、郷里に多くの友人たちが戻ってきて故人の死を悼む歌。
Passing Bellは弔いの鐘という意味だ。
それぞれの人生が語られ、敵と犠牲者しかいないこの街で、死に急いだほうがましだと思うような目に遭いながら、それでも逃げることさえできないとしたら、先に死んでいった者と生き残った者のどちらが幸せなのかと問う。
問われてはじめて、その問いには答えが出せないと知る。問うこと自体に意味がある。そういう曲だ。
あんまり気に入ったので、フォークソング研究会の同期でアコースティックの弾き語りが上手いAくんに薦めたらステージでやってくれた。
最後に印象的なコーラスが入るのだが、誘われて一緒にステージで歌った。
忘れられない曲だ。
会社に入って何年かして、ふいに会社に電話が入った。
アコースティックギターのデュオを組んで、優しい声で歌っていた先輩が亡くなったと聞かされた。いつもライブで歌う自作曲の決まったところで歌いながら涙ぐんでしまうような繊細な人で、僕は先輩の音楽も人柄も大好きだった。
もちろんお通夜に足を運んだ。
連絡がつく限りの人に電話が回り、お通夜には多くの古い友人や先輩が集まった。
お通夜が終わって、皆で近くの居酒屋に入った。
乾杯をしながら僕はPassing Bellのことを思い出していた。
やっぱり先に死んでいった者と、傷つき続けながら生き残っていく者のどちらが幸せなのかはわからなかった。
聴き直す度に先輩のことを考える。
あの日居酒屋で、みんなといつもより少し静かに乾杯を交わした光景がありありと思い出される。
「若さなんて、棒に振るもの」という歌詞が、今はただ胸に痛い。
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