2015年3月24日火曜日

名盤ばかり聴いてもいられないのさ~トミー・ボーリン(富墓林w)「魔性の目 Private Eyes」

今朝は、トミー・ボーリンの「魔性の目」をターンテーブルに。
2006年に札幌に帰ってきた頃、デパートでやっていた山野楽器の中古レコード市で見つけた。
引き抜いて思わず「おお」と声が漏れたが、それを見ていた店員さんが「名盤ですよね・・」と、にっこり応えたのが忘れられない。
だって、これは誰もが名盤と認めるようなレコードじゃないんだ。
だから余計にシンパシーを感じた。



原題は「Private Eyes」でこれは私立探偵を表すPrivate Investigatorの頭文字のIの部分を綴り直したもの。
複数形にすることで、本来の目の意味を強めて僕の目で監視している、つまり見つめているよ、というニュアンスを付加しているわけですね。

トミー・ボーリンと聞くと、やはりディープ・パープルのラスト・ギタリストというイメージが強い。
しかしこのアルバムを聴けば、彼が天性のシンガーソングライターだとわかる。
ハードロッカーの作るバラードにはどこか定型的なものがあって、まるでアルバムに緩急をつけるために 作っているように感じることがあるが、トミー・ボーリンのバラードは美しさではなく侘び寂び的な枯れた渋さに通じる
メロディを持っている。
古いジャズへの憧憬さえ感じさせるブラスアレンジ。
ソロのフレージングもカッコいいロックリックに混じって、時折ジプシー風のモードが覗く。

それに何より歌がいい。
ピーター・フランプトンにも似た中庸の歌声に、時折デヴィッド・カヴァーデイルのような器用な荒れ声を使い分ける。
うまいね。

問題は演奏の方だ。
特にドラムスはうまくこのセッションの意図を理解できていないように感じる。
やんちゃ坊主で知られるトミー・ボーリンには、バンドマスターの役割は向いていないのだろう。
カーマイン・アピスが参加したSomeday Will Bring Our Love Homeの演奏だけが妙にシックなのはそういうことだと思う。
重鎮がスタジオに入り、バンドの支柱になる。方向が示され、音楽が調和する。

大物ミュージシャンがこぞって参加した前作「ティーザー」の堂々とした名盤っぷりはそういう効果で出来上がったものなのだろうと思う。
しかし、不思議と聴きたくなるのはこのデコボコでゴツゴツした手触りの「魔性の目」で、それはきっとトミー・ボーリンというアーティストが心底楽しんで作ったレコードだからだと思う。
ジャケットも含めて、遊んでるよね。
富墓林ってw

追記
この記事を読んだ友人の指摘で気が付いたのですが、ジャケットにある文字は「当」の旧字体の「當」で、これではトミーと読めません。したがってこれは「富」の誤記と見るべきですね。

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