2013年10月29日火曜日

大森葉音「果てしなく流れる砂の歌」:父性と母性の相克の物語

僕はファンタジーの熱心な読み手ではないが、いくつかのハイ・ファンタジーには強い愛着を持っている。

ハイ・ファンタジーとは独自の世界観や歴史をもつ架空の世界(異世界)を舞台とし、多くの場合超人的なヒーローではなく、等身大の登場人物によって展開される。

世に、ハイ・ファンタジーは数多くあるが、その中でも「クシエルの矢」のシリーズと
「ミストボーン」のシリーズを僕は偏愛している。

「クシエルの矢」は、我々の生きている現実社会のヨーロッパにとても良く似た異世界を舞台にした物語で、そこでは精神的にも肉体的にも「愛すること」が信仰の中心的な行為となっていて、それゆえ売春が神聖な職業として認知されている。
この世界で、特異な性癖と徴(しる)しを持って生まれた売春婦の数奇な運命を、日本で発表されているだけでも各3巻で3部構成の全9巻にも及ぶ一大絵巻として描いたものだ。

売春が聖職であるという特異さを解説するために、この物語では全体の1/18ほどを費やして売春の場である「館」の生活を微に入り細に入り綿密に描く。
また、その背景にある宗教を説明するために、主人公の恋人が異教に傾倒していき、ついには入門してしまい、宗教の根源的な成り立ちを学ぶという場面を設定して、こちらは1/27ほどを使って徹底的に描ききっている。

一ヶ月ほどかけて読了した時には、すっかりこの異世界の一員になってしまった気分だった。


「ミストボーン」シリーズでは、ある特定の血筋の人間だけが精製された金属を体内で「燃やす」ことで様々な超能力を発揮できるという世界を描いている。
偶然に自分にもその能力が備わっていることに気付いた少女が、破滅に瀕した世界が何故そうなったのかを知る旅に出るという物語だ。
こちらも(奇しくも?)各3巻で3部構成の全9巻で成り、能力の説明や世界の謎についての語り部の物語を挟んで、異世界の説明に紙幅を費やしている。

こちらも世界の中にすっかり取り込まれて、読了した時には長い長い旅が終わったような気がしたものだ。


さて、この度、ワタクシの大学時代からの友人である、ミステリ評論家の大森滋樹くんが初の小説作品を世に問うた。
しかもハイ・ファンタジーの分野で。


実名で評論活動をしているからか、本作「果てしなく流れる砂の歌」は大森葉音(ハノン)というペンネームで書いている。
ハノンというのは、あのピアノ教則のことだろうか。
彼は熱心なクラシック音楽の愛好家でもある。

そんな彼らしく、この小説では音楽が物語の構造を支えている。
この世界では歌う、ということは感情そのものだ。
何度も繰り返し強調される「うたえ!」という言葉が、異世界の異文化を支える感情として聴こえてくる。

彼は我々の母校北海道大学のミステリー・サークルにも関わっていたりする関係で、サブカルチャーの類にも造詣が深い。
重要登場人物のムルカとプリームの造形といったら!
ライトノベル・レーベルから出して、アニメ化なんて手もあったんじゃないかと思うくらいだ。

話運びも、さすがにキャリアの長い読み手である彼らしい起伏に富んだもので、7章の乾坤将棋のくだりが実にいいんだなあ。
現実と夢がないまぜになって、人間の奥底に眠っている真意がカタチを持つ時、そのカタチがなんて不合理なのか、ってのは日常でよく感じることなんだけど、それを文章でこんなふうに提示されると、昔の恥ずかしい自分のこと思い出して、もう逃げ出したくなっちゃうくらいリアルだ。
ファンタジーだからこそ、観念の世界はリアルじゃなきゃいけないんだよ。

ハイ・ファンタジーを書くということは、異世界を構築する作業だから土台をしっかり創っておかないと簡単に崩れてしまう。
彼はここに<父>と<母>という、この世界での精霊の争いという軸を通した。
<父>の支配は垂直的=ロジック・オリエンテッドで、天界=「有頂天」を支配している。<母>の支配は水平的=ラテラル・マナーで、地界=「金輪際」を支配している。

我々の住むこの現実世界にも「父性」なるものと「母性」なるものの相克がある。
社会にも、もちろん家庭にも、そして個人の中でもそのふたつはいつもせめぎ合っている。
世界は複雑になり、善悪の二分法的なロジックは通用しにくくなっている。「決定を下す」ことで成り立っていた父性は喪われた。
世の価値観とはあまり関係なく普遍的な価値観として誰の心にも存在していた「母性」が結果的にクローズアップされてくる。
しかしラテラル・シンキングは共有することがえらく難しい。
だから僕らは、なんでもかんでもシェアしはじめた。
そして、誰かが気付き、誰かが決めて、誰かが行動していることをシェアすることで、自らが喪った父性を補おうとしているのかもしれない。

作者は、この綿密に構築された異世界の中で、おそらく意図的に現実世界との類似を匂わせている。
物語のそこここにたくらみが満ちている。

だから、そこに不満がある。
これはもっと長く書かれるべき物語だ。
素材、人物、物語に3巻構成くらいのボリューム感を感じる。
少し器が小さいように僕には思えるのだ。

僕の好きなハイ・ファンタジーは例外なく長い。
当然だと思う。
そこに世界を創造するのだ。
あらゆる前提を解説不要な通常のブンガクとは必要な器の大きさが違っていて当たり前だ。
処女作として与えられた器は、彼の考えている小説世界には少々手狭だったような気がする。

創造された多くの国々や、魅力的なサブキャラたちも自分たちの活躍が書かれる日を待っているはずだ。
タイトルにある通り、歌は終わらない。
作家は処女作に収斂する、のである。

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