ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む、の第2回。
本稿では、第二部第三章の「最後に生き残った人々」を読む。
さて前回読んだように、不用意な環境破壊によって滅びてしまったイースター島文明だが、絶対的な孤立状態にあったことも滅亡を早めた要因だったかもしれない。
しかし、交易する文化圏を近くに持っていても滅亡から逃れられなかった文明がある。
それが、イースター島から西に2000km離れたピトケアン諸島だ。
ピトケアン島は無人島だと言われていた。
1790年にイギリスの戦艦バウンティ号で叛乱を起こした船員たちが逃げ込んだ。
ところが、逃げ込んだ船員たちは、そこで聖堂のある祭壇、岩面彫刻、石器などの古代人が居住していた証拠を無数に見つけた。
ピトケアン島の東方にあるヘンダーソン島にも同様の遺跡があり、2つの島の文明がいつかの時点で滅亡したことは確かなようだ。
調査によるとこの2つの島は、この海域で最も大きな島であるマンガレヴァ島との交易で相互に足りない資源を補い合う関係だったようだ。
そのマンガレヴァは、外側を珊瑚礁に守られた直径24kmの大きなラグーンから成り、魚介類が数多く棲んでいる。
中でもクロチョウガイという大型の二枚貝は、黒真珠の養殖に使われるほか、厚い殻が釣り針や刃物、装身具を作るのに利用されていた。
樹木と淡水に恵まれたこの島では、タロイモやパンノキ、バナナなどの作物を作ることが出来た。
このように資源に恵まれ、大きな人口を抱えたマンガレヴァ島だが、脆い貝殻を刃物に利用せざるを得なかった。石器に好適な良質な石に恵まれなかったからだ。
そして石はピトケアン島から良質なものが産出した。
そのピトケアン島は農業にも漁業にも適さない島で、ほとんど人は住んでいなかったはずだが、おそらくカヌーで行き来できる距離にあるマンガレヴァの人が入植して、本島との交易によって集落を作ったものと思われる。
お隣のヘンダーソン島は、珊瑚礁が隆起してできた島で、豊富な海産物が採れ、特に亀の営巣地としては南東ポリネシア唯一の存在。大型の鳩が定住していて、タンパク源に事欠かなかった。
しかし淡水の量が限られていたため農作物を作ることができず、少ない人口しか抱えることが出来なかった島なのだ。
マンガレヴァは、この2島と交易関係を結び、良質な石器の材料や亀や鳩といった珍味を手に入れ、人口が増え文化も発展していった。
外交を統括しながら富をコントロールする優れた政府が出来、400年ほどの間、周辺の小さな島々も結んで豊かな文化圏を作ったようだ。
しかし、繁栄が絶頂に達した時、イースターと同じことが起こった。
まず木材がすべて伐採され、生態系が狂い、漁業資源や農作物が失われていった。
マンガレヴァの政府に依存していた諸島はあっという間に無政府状態に陥った。
全域で少なくなった資源を取り合い、世襲政権の無策に怒った民衆の中から非世襲の軍事政権が出来上がり、差し渡し8kmの島の東西で島の支配権を巡って激しい戦闘が続いた。
木材がなければカヌーはできない。
彼らはどこかに逃げることもできないのだ。
むしろ絶対的な孤立状態だったイースターよりも人為性の高い急激な滅びが展開されたに違いない。
現代に生きる我々は、基本的に生物としての人間が生きるのにさほど好適でないにもかかわらず、世界を動かすエネルギーとしての「石油」が産出するから、という理由で極めて豊かで文化的な生活を送っている都市を知っている。
そして、そのエネルギーに大きく依存した生活をしている自分自身のことも。
だから、ピトケアン島の末路はまるで他人事ではなく、他山の石などはないのだと我々に教えてくれている。
国家のキャパシティを超える危機を飲み込んだ時に現れるのが「軍事政権」だというのも現代でも変わらない。
これだって「怒り」のエネルギーが間違いなく人間の本質の一部であるという証拠なのだ。
そして差し渡し8kmの島で行われた滑稽な争いを我々は嗤うことはできない。
ためしに、ちょっと我慢して我が国の国会中継を見てみるといい。
人類の歴史は今だって「コップの中の戦争」でいっぱいなのだ。
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