本稿では、第二部第四章の「古の人々」を読む。
今回の主人公は、アメリカ大陸南西部に遺跡の残るアナサジ族だ。
人口4000人程度の文化圏で、数世代の繁栄の後こつぜんと姿を消した。
1200年頃、この文明は滅亡し主な領地であったチャコ峡谷は遺棄されていた。
その600年後、牧羊民のナバホ族がこの地を領有するが、自分たちが発見した偉大な遺跡を築いたのが誰なのかわからなかったので、彼らの言葉で「古の人々」を表す「アナサジ」という名で呼んだ。
遺跡のある場所は現在ではチャコ文化国立歴史公園となっている。
アメリカ南西部のニューメキシコ州にあるこの地域は、降雨が少ないうえに予測不能で、農業を営むには脆弱かつ限界に近い環境にある。
このような場所でも人間が切り開いてしまう前は、長い時間かけてつくられた森林が生態系を支えていた。そして、アメリカ南西部の先住民族は、この厳しい環境故に複雑に発展し支えあった生態系を利用して、現代のどんな国家よりも複雑精緻な農業社会を作り上げたのだった。
この農業の成功は周辺の部族を近くに引き寄せ、チャコ渓谷の周囲に衛星都市を作り始めた。衛星都市の部族は、様々な資材を中心土地に貢ぎながら、共存した。
豊かで大きくなった都市には「格差」が生まれる。
中心部には信じられないことに6階建ての石造りの建物が並び、その周辺を宝飾品をあしらった高級住宅が取り囲んだ。
そこに住んでいた人たちは衛星都市群からの「貢物」で豪華な生活を楽しんでいたようだ。
そこから少し距離を置いて農業従事者の住居と農地が配置された。
中心地に住む人たちの権威を担保していたのは「雨乞い」の能力だった。
もちろん特殊能力があったという話ではない。
この時期100年近くに渡って湿潤な気候が続いたのだ。
雨乞いの「成功」でこの小帝国は安定し、周辺都市との関係も良好だった。
その間に繁栄は続き、これまで見てきた文明の滅亡と同じように環境の破壊が特に早いスピードで進んだ。
わずかに残っていた森林が伐採され尽くしたのだ。
あとは同じことの繰り返し。
土壌の養分が溶脱し、水の少ないこの地域では灌漑を行っていたので、土壌も合わせて流れでてしまった。
そのタイミングを見計らったように1130年に旱魃が訪れ、この旱魃は4年しか続かなかったものの、限界まで大きくなっていた文明はあっという間に息の根を止められた。
急激に訪れたカタストロフィに住民たちはこの土地を捨て、散り散りにアメリカ大陸の他の地域に逃れた。
後の計算によれば、この4年間の旱魃も400人のアナサジ族を充分養う雨は降ったようだ。
しかし、4000人の「帝国」の繁栄は、その一部である400人をもそこに住まわせ続けることができないほどに環境を破壊してしまっていたのだ。
現代を生きる政治家や経営者、成功したビジネスマンや最先端の研究を続ける研究・教育機関など社会の中心部でそれを動かしている人たちには経済が好調のうちは多大な浪費が許されている。
そういう人たちは国家の財政状況が悪くなったら税金を上げればいいんじゃないの、と思っている。
もっと快適な生活をするための新しい機械やシステムを日々開発しては、古いものを捨ててしまうように仕向けている。
そしてもっと儲けるためには世界中が市場であるべきだと信じて、あらゆる意味でグローバルな新しい社会を作ろうとしている。
雨乞いによる信仰システムが作り出した、衛星都市群とのネットワークが豊かな富を作り出し続けている間、アナサジ族の人たちが自らを滅ぼす放蕩と変動に無頓着であったことを、現代に生きる僕たちはよく知っている。
知っているにもかかわらず、今度は地球規模で滅亡へとひた走るレールをせっせと引いているように見える。
政治という統治システムの限界なのか。
人間という種に組み込まれた自浄システムなのか。
アメリカ南西部のニューメキシコ州にあるこの地域は、降雨が少ないうえに予測不能で、農業を営むには脆弱かつ限界に近い環境にある。
このような場所でも人間が切り開いてしまう前は、長い時間かけてつくられた森林が生態系を支えていた。そして、アメリカ南西部の先住民族は、この厳しい環境故に複雑に発展し支えあった生態系を利用して、現代のどんな国家よりも複雑精緻な農業社会を作り上げたのだった。
この農業の成功は周辺の部族を近くに引き寄せ、チャコ渓谷の周囲に衛星都市を作り始めた。衛星都市の部族は、様々な資材を中心土地に貢ぎながら、共存した。
豊かで大きくなった都市には「格差」が生まれる。
中心部には信じられないことに6階建ての石造りの建物が並び、その周辺を宝飾品をあしらった高級住宅が取り囲んだ。
そこに住んでいた人たちは衛星都市群からの「貢物」で豪華な生活を楽しんでいたようだ。
そこから少し距離を置いて農業従事者の住居と農地が配置された。
中心地に住む人たちの権威を担保していたのは「雨乞い」の能力だった。
もちろん特殊能力があったという話ではない。
この時期100年近くに渡って湿潤な気候が続いたのだ。
雨乞いの「成功」でこの小帝国は安定し、周辺都市との関係も良好だった。
その間に繁栄は続き、これまで見てきた文明の滅亡と同じように環境の破壊が特に早いスピードで進んだ。
わずかに残っていた森林が伐採され尽くしたのだ。
あとは同じことの繰り返し。
土壌の養分が溶脱し、水の少ないこの地域では灌漑を行っていたので、土壌も合わせて流れでてしまった。
そのタイミングを見計らったように1130年に旱魃が訪れ、この旱魃は4年しか続かなかったものの、限界まで大きくなっていた文明はあっという間に息の根を止められた。
急激に訪れたカタストロフィに住民たちはこの土地を捨て、散り散りにアメリカ大陸の他の地域に逃れた。
後の計算によれば、この4年間の旱魃も400人のアナサジ族を充分養う雨は降ったようだ。
しかし、4000人の「帝国」の繁栄は、その一部である400人をもそこに住まわせ続けることができないほどに環境を破壊してしまっていたのだ。
現代を生きる政治家や経営者、成功したビジネスマンや最先端の研究を続ける研究・教育機関など社会の中心部でそれを動かしている人たちには経済が好調のうちは多大な浪費が許されている。
そういう人たちは国家の財政状況が悪くなったら税金を上げればいいんじゃないの、と思っている。
もっと快適な生活をするための新しい機械やシステムを日々開発しては、古いものを捨ててしまうように仕向けている。
そしてもっと儲けるためには世界中が市場であるべきだと信じて、あらゆる意味でグローバルな新しい社会を作ろうとしている。
雨乞いによる信仰システムが作り出した、衛星都市群とのネットワークが豊かな富を作り出し続けている間、アナサジ族の人たちが自らを滅ぼす放蕩と変動に無頓着であったことを、現代に生きる僕たちはよく知っている。
知っているにもかかわらず、今度は地球規模で滅亡へとひた走るレールをせっせと引いているように見える。
政治という統治システムの限界なのか。
人間という種に組み込まれた自浄システムなのか。
0 件のコメント:
コメントを投稿