2013年10月8日火曜日

ジャレド・ダイアモンド「文明崩壊」を読む(5):グリーンランドのヴァイキング

ジャレド・ダイアモンドの「文明崩壊」を読む、の第5回。
今回は、第2部第6章「ヴァイキングの序曲と遁走曲」から第8章「ノルウェー領グリーンランドの終焉」までをまとめて読みます。

表題のとおり、主人公はヴァイキング。
古ノルド語の襲撃者を意味するヴィーキンガーを由来に持つその名の通り、海の襲撃者である。

ヨーロッパの中では、最もローマ帝国の影響から遠かった辺土、スカンディナヴィアに地中海の帆船の技術が伝えられたのが600年頃。
ちょうど同じ頃に、改良型の鋤が伝来し農業の効率が飛躍的に上がった。
その時代、気候は温暖で収量は安定して増え、それにつれて人口が爆発的に増加し、700年頃にはもう国内での可耕地の利用が限界に達したほどだった。

彼らの帆船の技術も進化しており、増え続けるスカンディナヴィアの人口は海上経由で国外へと広がり始めた。

希少な海獣の毛皮を持っていた彼らはヨーロッパの富裕層と交易をはじめ、金や銀で支払いを受けた。
しかしそのうち、その金や銀をただで手に入れられることに気付き、襲撃者へと転じていったのである。

793年6月8日、イングランド沖リンディスファーン島にある裕福で無防備な修道院への襲撃が端緒だった。
以来、航海しやすい夏に襲撃を繰り返していったが、数年経つうち、秋にわざわざ母国に戻るのをやめ、めぼしい海岸に越冬用の居留地を築いて、春のうちから襲撃に出られるようにした。
そして最後には、略奪と退却さえやめて、相手を征服してヴァイキングの国家を設立するという形になったのだ。

ヴァラング(スウェーデン)人は、東のバルト海へ船を出し、川をさかのぼってロシアに辿り着き、後に連邦の先駆となったキエフ公国を設立した。
デンマーク人は、西に向かいライン川をさかのぼって、フランスにノルマンディ公国を築いた。
ノルウェー人は、アイルランドへ向かいダブリンに大規模な交易の中心地を設けた。

こうしてヨーロッパに入植していったスカンディナヴィアの人々は現地の人たちと結婚して、古ノルド語も捨て、ヨーロッパ社会に溶け込んでいった。

ヨーロッパへ向かう航路の途中、道を外れて流されてしたったヴァイキング船もたくさんあった。
これらの船はフェロー諸島や、アイスランド、グリーンランドなどを発見して入植した。

彼らの船は新大陸にも届いて、ヴィンランドにも入植を試みたが、先住民族の抵抗にあい、わずか十年で撤退を余儀なくされた。

その後ヨーロッパ各国でも襲撃対策が進み、スカンディナヴィア本国でもまっとうな交易に力をふりむける王が登場し、1066年を最後に、ヴァイキングの襲撃はなくなった。


こうして侵攻という形をとってヨーロッパやロシアに入植していったヴァイキングたちは、スカンディアヴィアの優れた製鉄技術や畜産技術を携えて現地の文化に溶け込んでいった。溶け込めなかった北米大陸やアイルランドへの入植者は追放され他の地に流れた。


概ね成功したヴァイキングの拡大戦略だが、グリーンランドの入植は悲劇に終わった。
現在のグリーンランドは、その名に相応しくない荒涼とした荒地が広がっているが、ヴァイキング入植時は、豊かな森林を持つ「緑の地」だった。

ヴァイキングは海の民のように思われているが、陸に上がった彼らは優秀な農業者であり、畜産家であり、製鉄技術者だった。
製鉄は、大量の木を使う。
特に畜産に成功したグリーンランドの入植者は、天然の海獣タンパク質にも恵まれ、人口は増え続け、繁栄していった。
が、不幸なことに良質な鉄鉱石が出ないグリーンランドの地では、より多くの燃料を投下しないと製鉄ができないという悪条件があった。
ここまで読んでこられた方はもう予想がついただろうが、他の滅亡した文明と同じようにほどなく森林資源は底をついてしまう。

もう繰り返し書く必要もないような気がするが、樹木のない地では、土壌がすぐに痩せてしまい農業も壊滅的なダメージを受ける。
この地では畜産に必要な牧草も育たなくなって必要なタンパク質が得られなくなった。
増えすぎた人口を養うカロリーはもはやこの地からは得られなかった。

グリーンランドには、先住民族のイヌイットが住んでいて、彼らはヴァイキングの繁栄とは無縁の自然と密着した「成長しない」社会を粛々と営んでいた。
成長しないとは言っても、彼らは豊かな海産物を少ない同胞の食糧にだけ利用するので、非常に安定した生活を営んでいたのだ。

しかし危機に瀕したグリーンランドのヴァイキングたちは、彼らに協力を求めることはできなかった。
彼らは入植後、ヨーロッパの富裕層と交易をしていく中でキリスト教に感化され、熱心な信徒になっていたのだ。
「異教徒」との共生は彼らの選択肢にはなかった。

そうして、グリーンランドのヴァイキング入植者は、この地から姿を消した。
入植から集落の消滅まで、450年。
彼らは充分長い時間を繁栄とともに生きた。

しかしだからこそ、その繁栄の崩壊への共通因子には注意をはらう必要があるだろう。
社会を養うキャパシティを測る時、我々は自然環境を数値に変換して、いわば「臭い消し」を施してものを考える。
実際のそれは、耳を澄ましさえすれば今も恐らく悲鳴を上げている。

自然環境は、いろいろな要素が絡み合った複雑系だ。
そして我々自身もその一部として長い時間をかけて共存のスタイルを作ってきたはずなのだ。
それが、人間の生活を便利にする技術が、一定の影響範囲を逸脱し環境そのものを大きく変え始めている。

そのことは徐々に理解され始め、環境を保全する重要性も語られ始めてはいる。
しかし、ここまで読んできた文明の崩壊の物語は、人間が富や権力を渇望するときのエネルギーの凄まじさや、それに目を奪われときに何を犠牲にしてきたのか。また我々の社会に不可分に組み込まれた宗教という統治システムが、何を見えなくしてきたのかについて教訓を発している。
我々自身もまた自然という複雑系の中の一部だと認識しなければ、グローバリズムによって否応なく結び付けられた我々全体を大きな厄災が襲うのを避ける事はできないかもしれない。

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