2013年10月18日金曜日

島田荘司「星籠の海」:弱き者たちへの賛歌

島田荘司先生、お久しぶりの御手洗潔シリーズ最新作「星籠の海」は、国内編最終章と銘打たれ、これが本当であれば石岡和巳とのあの絶妙の掛け合いもこれで最後かと、とても残念に思う。


可愛い娘を見ると、すぐにのぼせあがってしまう傾向のある石岡センセだが、本作でも冒頭からファンの子とデートなんかをして、やっぱり御手洗に妨害されたりしてる。で、そのファンの子の友達から最初の事件が告げられるのだ。

事件は、四国、松山沖の興居島の湾にどこからともなく身元不明の死体が六体も流れ着いたというもの。
さっそく興居島に飛んだ御手洗と石岡は、瀬戸内海特有の水の満ち干きが鍵であることを確信する。
たった三箇所で外海と繋がるまるで大きなプールのようなこの海は、潮の満ち干きを利用して大阪から九州へ高速で移動できる水の街道として使われていた。
そして便利さ故に海賊の跋扈する海ともなり、その状況を利用して通行料を取って護衛をしたのが村上水軍なのだそうだ。

死体がどこから流されたかを探しているまさにその時、警察に不審な死体発見の報が。
その死体こそ流されて興居島に辿り着く運命の死体と踏んだ御手洗は、一計を案じて死体遺棄の実行グループを突き止める。

さらにその道行きで知り合った村上水軍を研究している女性助教授が登場。
その女性助教授にものぼせ上がる石岡センセ。
しかし、この助教授にのぼせ上がっているのは石岡だけでなかったため、次なる事件が起きてしまう。

ここを鮮やかな推理でささっと解決した御手洗は、その解決の過程で新興宗教がこの町を乗っ取ろうとしていることに気付く。
そしてその教祖が、国際的な大物犯罪者であることにも。

そしてこの新興宗教教団に搦めとられていく、ある哀れな男の人生。
その男の人生に決定的な影響を与えた女の悲劇的な末路。
それを忘れさせてくれた女に起きる不幸な事故。
すべてが絡み合って、事態はどこまでも悲劇的に進んでいく。


新興宗教を筋立てのエンジンに使った小説は他にもいくつもある。
最近だとやはり村上春樹の1Q84か。
同じ推理小説の畑では、有栖川有栖の「女王国の城」がある。
いずれも信仰という絆を演出する周囲と少し変わったルールが、長い時間をかけて小さな慣習を積み重ねて作ってきた社会というものとの軋轢を作っていく様子がうまく描かれていると思うが、島田荘司先生は徹頭徹尾、そこに搦め捕られざるをえない人間の弱さを描く。
そしてその弱さがどこから来たのか。
大人たちが子どもの未来の為にどう生きていかなければならないのかについて、大きな紙幅を使って描きこんでいる。

他者の生への透徹さに支えられた優しさだ。
ただ優しいなら、それは自分のためのものだ。
目をそらさずに、都合よく解釈せずに他者を見つめる視座。
それがどの島田荘司作品にも共通して流れている。
そしてそれこそが、人間のどうしようもなく利己的な心から生まれでてしまう殺人という許されざる行為を裁くためにどうしても必要な物なのだと思う。

この小説はだから、島田荘司先生が、これまでずうっと推理小説という畑に蒔き続けてきた正しさの種のひとつなのだ。
そこから育つ、よき推理小説を一冊でも多く読ませていただきたいと思う。
作家の皆様、ぜひよろしくお願いいたします。

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