2023年1月31日火曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / SONGS IN THE ATTIC』

1981年リリースのライヴアルバム『ソングズ・イン・ジ・アティック』は、80年のアメリカツアーを収録したものだが、いわゆるライブ実況盤とはいささか趣を異にしている。

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ここには、彼のキャリアのターニング・ポイントとなった大ヒットアルバム『ストレンジャー』以降の曲は一つも収録されていない。
このアルバムコンセプトについて、その転回点を作り出した張本人であるプロデューサー、フィル・ラモーンがライナーに寄せた一言を引用しておく。

いくつかの曲は時の流れを超え、常に変わらぬ美しさとインパクトを持ち続ける。一夜にしてスターになることをまだ夢見る人たちへ、これが「ストレンジャー」が私達のレコードコレクションに加わる遥か昔に書かれたビリーのソングライターそしてミュージシャンとしての力量を示すサンプルなのだ。

Billy Joel / Songs in the Attic ライナーノーツより

フィル・ラモーンが書いた通り、このアルバムはもっと広範な人にとっての「サンプル」となり、埋もれた名曲であった『シーズ・ガット・ア・ウェイ』をラジオに乗せ、幻となっていたフォースト・アルバムの再リリースに結びつけた。

また『Say Goodbye to Hollywood』も、このライブアルバムをきっかけに再度シングルカットされ、今度はヒットしている。

ビリー・ジョエルのライブをテレビで観た事がある。
弦も切れよとばかりに鍵盤を叩き、ピアノの上に乗ってハンドマイクで熱唱するビリーの姿は「吟遊詩人」のイメージを覆す、ロックンロール・エンターテイナーそのものだった。
そんな彼を支えるバンドとの信頼関係がそのステージを作り上げていたことは疑いようがなく、このバンドを篤く遇した事がフィル・ラモーンプロデュースの第一の功績であったことがよくわかる。



2023年1月30日月曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / GLASS HOUSES』

1980年発表の7th『GRASS HOUSES』は、ロック寄りのアプローチで、とてもよく売れたアルバムとなった。

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タイトルの『グラス・ハウス』は、「People who live in glass houses should not throw stones.」という慣用句から発想されたそうだが、この警句は、「自分が完璧でない(完全な人間などいない)なら、他人を批判すべきでない」という意味。
ビリー自身を取り巻く環境に対しての何らかの異議申し立てではないかと推察されるが、具体的な事案はわからない。

この寓意を表現した、ジャケットのガラスの家に石を投げつける過激なヴィジュアルは、自身初の全米シングルチャート1位となった『ロックン・ロールが最高さ』の楽曲イメージと合わせて、タフなロックアルバムの佇まいを纏っている。

とはいえ、本来のスタイルである吟遊詩人的アプローチも健在で『ドント・アスク・ミー・ホワイ』などの佳曲も収録しているし、スケールの大きな『レイナ』は個人的には愛聴の一曲だ。

そして名曲『ガラスのニューヨーク(YOU MAY BE RIGHT)』は、『SAY GOODBYE TO HOLLYWOOD』とともに、桑田佳祐が嘉門雄三名義で発表した『嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE!』でカバーされている。

2023年1月28日土曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / 52ND STREET』

大ヒットとなった『THE STRANGER』に続き、フィル・ラモーンとタッグを組んだ78年の6thアルバム。

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昔ボーカルスクールに通っていた頃、最初の課題曲が『オネスティ』だった。
自信たっぷりに派手な抑揚をつけて「If you search for tenderness・・・」と歌いだした僕を制して先生は、「優しさを探しているような人に向けて歌っていることを意識して」と言った。
<歌う>ということを根本的に問われた衝撃。
生涯忘れることない教訓だ。

そういう意味でも自分にとってこの『52ND STREET』は完全に『オネスティ』のアルバムで、日本のヒットチャートでもそのように受け止められていると思うが、本国アメリカでは『マイ・ライフ』の評価の方が圧倒的に高いようだ。
アルバム『THE STRANGER』における『素顔のままで』とシングル『ストレンジャー』のような逆転現象が、このアルバムでも起こっていて興味深い。


本稿を起こすにあたって、再度聴いてみて驚いたのが、当時はまったく気づかなかったフレディ・ハバート(tp)の存在感だ。
なんと言ってもジャズ入門のために何度聴いたかわからないオリヴァー・ネルソン『Blues & The Abstract Truth』収録の名曲『Stolen Moments』におけるハバートの劇的に空気感を変えてしまうソロプレイ(そしてそれに続くエリック・ドルフィーのフルートったら!)は心に深く刻まれている。
そしてその空気感は本アルバムの参加曲『ザンジバル』でも再現されている。

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / THE STRANGER』

フィル・ラモーンをプロデューサーに迎えて制作された5thアルバム『ストレンジャー』
知らぬもののない大名盤の登場だ。

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友人から譲り受けたこの盤はCBSソニーの高音質規格「マスターサウンド」盤であった。
複数の規格を持つマスターサウンドだが、この盤はマスターテープとカッティング・ターンテーブルのスピードを半分に落としてカッティングする「ハーフ・スピード・カッティング」規格のもの。
高音域の再現に有利だという。

それにしてもこの印象的なジャケットはどうだ。
ベッドで見つめる仮面は、タイトルトラック『ストレンジャー』に言及される「もうひとつの顔」、そして仮面を取り去ってありのままの君でいてくれと歌われる『素顔のままで』のメタファーだろう。
そして壁にかかったグローブで彼は何と戦っているのか。
リリースの前年公開の『ロッキー』を連想させるのは、家系にビリーと同じ、アシュケナジム系の血を持つスタローンへのシンパシーを感じるからだろうか。

このアルバムからは『素顔のままで』が、本国で大ヒットし、日本では『ストレンジャー』が大ヒット。
『素顔のままで』はつんくさんや杉山清貴さん、変わったところでは高中正義さんなんかがカバーしているが、『ストレンジャー』のカバーには聞き覚えがない。
サウンド、口笛、あの歌唱。
『ストレンジャー』には、この曲はこの演奏でなくてはという、カバーを寄せ付けない完成度があるのだと思う。

2023年1月25日水曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / TURNSTILES』

ビリー・ジョエル、1976年の4thアルバム『ニューヨーク物語』。
邦題の通り、ロスからニュー・ヨークに拠点を移しての制作となった。

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原題のTurntstilesは改札などに使われる回転式のゲートのことで、ジャケットにも写っている。
ジャケットの人々はアルバム収録曲の登場人物で、ビリーの吟遊詩人趣味が反映されている。

ビリー自身も『Say Goodbye to Hollywood』がロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』の影響下にあることに言及しているが、フィル・スペクターも自身のバンドで『Say Goodbye to Hollywood』のカバーをしている。
日本でも嘉門雄三(桑田佳祐)がカバーしており、誰もが認める名曲と思うし、事実二度もシングルカットされているが、これが不思議なほどに売れない。

 

この曲が正当に評価されたのは、ライブ盤で紹介されてからで、ファーストアルバムの『シーズ・ガット・ア・ウェイ』もそうだった。

吟遊詩人的に良いアルバムを作ることを指向していて、演奏活動はどちらかというと活動の原資や生活のためと考えていたと、ビリー自身もインタビューに応えて語っていたが、皮肉なことにそのライブが掛け値なしに良かったのだろう。
何度か映像作品でビリーのライブを観た事があるが、ピアノに登って熱唱するビリーは実に熱く、説得力があった。

そしていよいよビリー・ジョエル真の出世作『ストレンジャー』が作られる。

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / Streetlife Serenade』

974年のビリー・ジョエルのサード・アルバム、と言って今回も迷いが生じる。
今回聴いている日本盤は、『ストレンジャー』の大成功を受けて1978年に発売されたものだからだ。

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『ピアノマン』程度の成功では、日本のレコード会社には確信が持てなかったということなのだろうか。

本国ではこのアルバムから『エンターテイナー』がヒットしている。
印象的なシンセの音から始まる一聴陽気なこの曲は、「僕のレコードなんて、豆の缶詰みたいに、すぐディスカウントの棚に入っちまうさ」と歌って、売れてナンボのミュージシャン稼業の悲哀を歌っている。
それがなんとも皮肉だ。

ビリー・ジョエルのアルバム制作は、いつもコンセプチュアルだが、このアルバムには2曲のインストゥルメンタル曲が含まれ、その色がいっそう濃い。
長くライブを締めくくる曲に使われた『スーベニア』からインストゥルメンタルの『メキシカン・コネクション』で幕を下ろす流れは、このアルバムを聴くという体験を特別なものにしている。

ヒット曲がナンボのもんじゃいと言わんばかりのビリーのフラストレーションが、活動の場をロスから移すきっかけになったのだろうか。
次作からビリーのニューヨーク時代が始まる。

 

2023年1月19日木曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / Piano Man』

デビュー作『コールド・スプリング・ハーバー』はセールス的には振るわず、ツアーも打ち切り。ビリーは、また弾き語りで糊口を凌ぐ日々となった。

しかし、やはり世界は彼の才能を放っておかなかった。
フィラデルフィアで演奏した『キャプテン・ジャック』という曲のライブ録音が地元のFMで放送され、それがきっかけで再デビューのチャンスを得る。
コロンビアレコードと契約し、ラリー・カールトンを招いて録音したのが、本盤『ピアノ・マン』となる。

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苦しかった弾き語りの日々を描いたタイトルトラック『ピアノ・マン』は大ヒットとなり、快進撃は始まった。

ところで、再デビューのきっかけとなった『キャプテン・ジャック』だが、思わぬ偶然からアメリカの政治論争に巻き込まれ、注目を集めることとなった。
2000年のアメリカ上院議員選挙で、ヒラリー・クリントンのスピーチ中に『キャプテン・ジャック』が誤って(本当は『ニューヨークの想い』をかけるはずだったらしい)流れ、その歌詞「今夜キャプテンジャックとハイになろう」を採って、対立候補が、「あなたはドラッグを肯定するのか」と批判したのだそうだ。
ドラッグにでも頼りたくなるようなクソッタレの世界を作り上げた政治の責任には目を背けて、それでも誰かのせいにするのはやめて、こんな生活にはおさらばしようぜと歌うこの歌を「ドラッグの肯定」と言った候補の見識を疑わざるを得ないが、政治の世界に特有のキリトリ案件のまことに見事な事例として、ビリーの歌と共に長く記憶に残るだろう。

 

2023年1月18日水曜日

レコード棚を総浚い :『Billy Joel / Cold Spring Harbor』

これを書き始めた今この瞬間も、ビリー・ジョエルのデビュー盤を最初に紹介していいのか迷う。
手元にあるレコードは'83年にコロンビアから再発売された物だからだ。

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'81年発表のライブ盤『ソングズ・イン・ジ・アティック』からシングルカットされた『シーズ・ゴット・ア・ウェイ』が全米23位のヒットとなり、絶盤になっていた『コールド・スプリング・ハーバー』を'83年に再発したという経緯がある。
その際、テープの回転数を上げてマスタリングされたものをオリジナルのピッチに戻したり、バックトラックの編集、曲の長さの変更など、ビリーが元々意図していたイメージに沿う大きな改変が施されている。

それでも、いやだからこそビリー・ジョエルという才能が、あるべき姿で世に出た証という意味で、やはりこの盤はデビュー盤として扱うべきなのだろう。

そしてこの盤と最初に出会ったのはミュージックテープだった。
1984年、親元を離れて予備校に通う僕に、母が持たせてくれた何本かのミュージックテープの中に、この『コールド・スプリング・ハーバー』はあった。

住み慣れた故郷や、家族の愛情に守られて過ごした日々から、少しづつ大人になっていく節目の一年間に、毎夜僕を慰めてくれたこのアルバムのすべての曲が、今でも僕の中に染み付いている。

2023年1月17日火曜日

レコード棚を総浚い :『Bertie Higgins / Just Another Day in Paradice(カサブランカ)』

郷ひろみがカバーした『哀愁のカサブランカ』のオリジナルが収録されたアルバム。

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『カサブランカ』はハンフリー・ボガートの映画『カサブランカ('42)』を題材としたもの。A4収録の『キー・ラーゴ〜遙かなる青い海』もボギー主演の映画『キー・ラーゴ('48)』から着想された曲。

郷ひろみのカバーは82年発売で、このアルバムが発売されてすぐのことだった。3年前の79年、沢田研二の『カサブランカ・ダンディ』(阿久悠、大野克夫!)で「ボギー、あんたの時代はよかった」と歌われ、地ならしはできていた。
wikiによれば、本盤のラフテスト盤でヒットを確信したプロデューサが、ラジオの企画で、訳詞と誰に歌って欲しいかを募集して郷ひろみが選ばれたという。

2023年1月16日月曜日

レコード棚を総浚い :『The Beatles / LET IT BE』

Bay City Rollersに夢中だった小学生の頃、友だちの一人が「ローラーズもいいが、これもなかなかいいんだ」と、お姉さんのレコード棚で見つけたというシングルをかけてくれたのが、ビートルズの『LET IT BE』だった。
ラジオでもビートルズの曲はたびたびかかっていたから、『イエスタデイ』ぐらいは知っていた。

中学に入ると、甲斐バンドに出会い、オフコースに出会い、自分で歌を作るようになっていった。この時期、洋楽はディープ・パープルとレッド・ツェッペリンだった。

ビートルズをあまり深く体験せずに大人になってしまった僕は、それがコンプレックスだった。
その頃にはビートルズの中古レコードは総じて高価だったし、権利の問題などがあったのか、CDはリマスターされないままで、再入門の機会もなかった。

転機は、2009年に訪れた。
22年ぶりのリマスターで発売された全アルバムを網羅したボックス・セット。
愛情のこもった装丁のボックスを僕は購入し、『Please Please Me』から順に繰り返し聴いていった。

相変わらず高価なままのビートルズのレコードには手が出なかったが、知人からレコードが集まるようになって、その中にこの『LET IT BE』と赤盤、青盤があった。

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『LET IT BE』の中では、B面トップの『I've Got A Feeling』が好きだ。
ジョンとポールが作った別々の曲を繋いで一曲に仕立てた曲は他にもあるが、後半に挿入されたジョン作の『Everybody had a hard year』にポールの『I've Got A Feeling』のメロディがそのまま重なっていく作為のなさに、音楽を演奏することの原初的な楽しさを感じるからだ。

その意味でも、作為によって音楽の素晴らしさを追求したフィル・スペクターの影響を剥ぎ取ろうとした『LET IT BE…Naked』の存在には相応の意味がある、と僕は思う。

哀悼、高橋幸宏:サラヴァ!ユキヒロ!

高橋幸宏の訃報が流れてきた。
闘病中とは聞いていたが、70歳とは早すぎる。残念でならない。

彼の名を初めて聞いたのはサディスティック・ミカ・バンドではなくイエロー・マジック・オーケストラであった。
中学で仲良くしていた友人がこのアルバムを貸してくれた。

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そして修学旅行の余興で、彼と一緒にB-2収録の『DAY TRIPPER』を歌った。本家The Beatlesのそれとは随分違う、高橋幸宏のオシャレな歌唱がとても新鮮だった。
アツさ以外の音楽の魅力を知った瞬間だったと思う。

その後、鈴木慶一とのユニット、ザ・ビートニクスで高橋幸宏のボーカルに再度痺れることになる。
2ndアルバム『EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう』だった。

高橋幸宏作のジャジーな佳曲『初夏の日の弔い』を、冬の日に逝ったユキヒロに捧げる。

レコード棚を総浚い :『The Beach Boys / The Beach Boys('85)』

'83年にデニス・ウィルソンが亡くなってから初めてのアルバム。

CDで発売された初めてのアルバムでもある。


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冒頭エレクトリックなサウンドに驚かされるが、すぐにこれぞビーチボーイズというコーラスワークが入り、ホッとする。
ラジオに齧り付いていた少年時代『サーフィンUSA』でビーチボーイズを知った僕にとっては、こういうハッピーなビーチボーイズがやはりいい。
オールドファンには、B-1の『カリフォルニア・コーリング』こそが本盤のベストトラックではないか。全体に尖ったサウンドで構成されたアルバムの中で、この曲ではリンゴ・スターがドラムを叩いていて、あの懐かしい時代の空気を再現している。

しかし時代はそれを許さなかった。
本盤は時代に合った新しいサウンドを指向して、カルチャークラブやゲイリー・ムーアを手掛けていた気鋭のプロデューサー、スティーヴ・レヴィンを起用している。
ボーイ・ジョージもソングライティングに参加(B-2)し、ゲイリー・ムーアもハードなギターを聴かせてくれている(A-4,5)。
B-5のスティーヴィー・ワンダー提供曲も聴きどころの一つだろう。

Requiescat In Pace , Mr.Jeff Beck.

けいおん!で広く世に知られた「ロックギタリストには、2種類しかいない。ジェフ・ベックとジェフベック以外だ」と言うフレーズは誰が考案したのか知らない(ポール・ロジャース説、ジョン・ポール・ジョーンズ説などあるが、日本でしか流布してない説も有力)が、蓋し名言と思う。

そのジェフ・ベックの訃報が流れてきた。
ジョニー・デップとの共作アルバム『18』 に大変感心して、まだまだジェフの音楽は進化しているな、と思った矢先であっただけにとても残念だ。

そして、若い頃に自分の音楽観の一部を作ってくれた音楽家が亡くなったことは純粋にとても悲しい。

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カントリーアルバム『クレイジー・レッグス』の後、久しぶりに出た『フー・エルス!』を聴いた時、ジェフの新しい時代が始まったんだと思った。
デジタライズされたビートに乗って、まさにジェフ・ベックとしか言いようのないリフが、そしてあのどうやって弾いているのかわからないほど融通無碍なフレーズが展開される。
『ユー・ハド・イット・カミング』『ジェフ』と精力的に発表され続けたジェフの新しい音楽は、もう壮年期に入りかけていた自分を鼓舞し続けた。
ありがとうジェフ!

そして、タル・ウィルケンフェルドという素晴らしいベーシストを世に出してくれたことにも大いに謝意を捧げるものである。
もう一度ありがとう、ジェフ!

どうぞ安らかにお眠りください。

2023年1月12日木曜日

レコード棚を総浚い :『The Beach Boys / Pet Sounds』

ロック・アルバムのランキング企画をやればほぼ必ずTOP3には入る大名盤。

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解説不要の有名盤だが、今回聴いているのは復刻の180g重量盤。
1973年の第一次オイルショックで石油を原材料とするレコード盤は薄くなってしまった。

当時これを軽量盤と呼んで、その後アナログレコード・ブームの再来で重量盤再発が相次いだ。
しかしこの盤の音質は今ひとつで、普段聴くのはもっぱらSACD盤の方だ。

 

故中山康樹氏の『ビートルズから始まるロック名盤』では、本盤について、モノラルであるが故に、感情としてのサウンドの濃淡が繰り返し変化する「この世に存在しない色彩のグラデーション」が、ある到達点に収斂していく、モノラルレコードの最高峰、と紹介している。

 

 

なんとかその魔法を聴き取ろうと、再生モードをモノラルにして(愛用のプリアンプMcIntosh C2200にはMONO再生機能が付いている)挑んでみるが、なかなかその境地には到達できない。

2023年1月11日水曜日

レコード棚を総浚い :『Bay City Rollers / IT'S A GAME (恋のゲーム)』

このアルバムから、「ハリケーン」とまで呼ばれたローラーズ・ブームは急速に萎んでいく。
 

前作『青春に捧げるメロディー』収録の『イエスタデイズ・ヒーロー』で、「過去のヒーローになりたくない」と歌ったのが皮肉な予兆となってしまったのかもしれない。

 

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しかし、だからこそ今までのポップス色が濃いアルバム制作から、メンバー(特に音楽的中心人物エリック・フォークナー)の本当にやりたい音楽に集中できたのではないか。


今までもちょいちょいグラムロック色を織り込んできたエリックだが、そのために連れてきたプロデューサーがデヴィッド・ボウイを手がけたハリー・マスリンで、ボウイのグラムロック期代表曲の一つ『Rebel Rebel』のカバーまでやってる。

2023年1月10日火曜日

レコード棚を総浚い :『Bay City Rollers / DEDICATION (青春に捧げるメロディー)』

誰が何と言っても名盤なんである。

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この盤でプロデューサーに迎えたジミー・イエナーはエリック・カルメンが在籍したラズベリーズの育ての親とも言うべき人物。
アルバムは、ラズベリーズの名曲『レッツ・プリテンド』で幕を開ける。

このアルバムはカバー曲の選曲にジミー・イエナーのセンスが光る。
A4『二人だけのデート』はダスティ・スプリングフィールドの隠れた名曲。

ダスティはこちらもぜひお勧めしておきたい。

そして何と言っても達郎ファンなら皆さんご存知ビーチボーイズの『Don’t Worry Baby』のカバーも素晴らしい。

 
 
日本での知名度はほとんどないと言ってもいいオーストラリアのシンガー・ソングライター、ジョン・ポール・ヤングのデビュー曲(豪8位、米42位)『イエスタデイズ・ヒーロー』のカバーも激シブな選曲だが、これがまたよくハマっている。

オリジナル曲にも光るものがあり、A3収録の『ロックン・ローラー』は、このバンドの音楽的支柱であるエリック・フォークナーのグラムロック趣味が存分に発揮された名曲。

2023年1月9日月曜日

レコード棚を総浚い :『Bay City Rollers / Rock and Roll Love Letter (ニュー・ベスト)』

976年発売の日本企画盤『ニュー・ベスト』
米国発売の同名(Rock and Roll Love Letter)の企画盤があるが収録曲がまったく違う別物。

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このレコードが僕のLPコレクションの記念すべき一枚目であった。
針を落とせばいつでも幼少期を過ごした釧路に心は飛んでいける。

BCRといえば、『サタディ・ナイト』だろうが、当時のプロデューサーフィル・ウェインマンは彼らに60年代ブルー・アイド・ソウルの名曲を歌わせるのを好んでいたようで、フォー・シーズンズの『バイ・バイ・ベイビー』はこの盤で知った。
ウェインマン自身もその路線の名曲『恋をちょっぴり』を彼らのために書き下ろしている。

2023年1月7日土曜日

レコード棚を総浚い :『The Band / The Last Waltz』

マーティン・スコセッシの映画『The Last Waltz』のサントラ。
ザ・バンド解散記念コンサートの映画化と思っていたが、どうやらツアーに疲れたロビー・ロバートソンが、ライブ活動からの引退を目論み、その区切りとして企画したものらしい。

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結果的に、リヴォン・ヘルムとの間の確執を決定的なものとしてロビー・ロバートソンは脱退してしまうのだが。

内容は流石に素晴らしい。

ザ・バンドの演奏には、本当に仲違いしていたのか疑いたくなるような一体感がある。
ニール・ヤングの『Helpless』は奇蹟のように美しく、ジョニ・ミッチェルの『Coyote』は、いつも通りの融通無碍な演奏で、いつも通りでない。
思わずニヤリとさせられるポール・バターフィールドの『Mystery Train』を聴けば、そうだここから新しいBluesが始まったんだとの感慨を新たにして、そこからのマディ・ウォーターズ登場には思わず膝を打つ。(実際の演奏順とは違うようだが)

クラプトン、ボビー・チャールズ、ヴァン・モリソンと大物が続き、いよいよディランの登場だ。
『Planet Waves』のバージョンを下敷きにした『Forever Young』にはいっそう熱く演奏されるロビー・ロバートソンのギターがフィーチャーされ、ディランの歌にも熱が帯びている。
そしてリチャード・マニュエルとのデュエットで歌われる必殺の『I Shall Be Released』はどうだ。
心熱くする名曲の名演。

一転、もう一つの代表曲『The Weight』は、いつもの熱さを押し殺して演奏されているように感じる。
ロビーのライブ活動からの引退宣言に対して「どうしてすべてを投げ出してしまうんだ」と言ったリヴォン・ヘルムの寂しさがそう感じさせているんだろう。

 

2023年1月6日金曜日

レコード棚を総浚い :『The Band / Northern Lights , Southern Cross(南十字星)』

この頃深刻になっていたメンバー間の確執を微塵も感じさせない傑作ライブ盤『Rock Of Ages』、ロックンロール回帰の『Moondog Matinee』、ディランのライブ『Before The Flood』への参加を経てリリースされた75年作7thアルバム『南十字星』である。

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キャピトル・レーベル。ロゴが新しくなっている。

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結局のところザ・バンドの素晴らしさは三人の個性的な歌い手にある、とは昔友人に聞いたことだが、それを最大限に活かすソングライティングの妙と、ロビー・ロバートソンの唯一無二のギターと、変幻自在のガース・ハドソンのキーボードの技が見事に溶け合ってできているのだろう。

このアルバムには、そのザ・バンドの魅力が最大限に表現されている、と僕は思う。

アルバムに針を落とすと聴こえてくるあのアーミングの音。
『禁断の木の実』でのロビー・ロバートソンのギターは、このアルバムの唯一性を冒頭から決定付けている。
リチャード・マニュエルの唄う『ホーボー・ジャングル』は数ある彼の名唱の中でも一際滋味深く、『オフェリア』でのリヴォン・ヘルムの歌唱は、音楽の楽しさを体現するという意味においてザ・ウェイトの名演すら凌いでいるように思える。
リック・ダンコの歌唱にはいつも涙を禁じ得ないが、本アルバムで唄われる『同じことさ!』は、その集大成ではないか。
続く『ジュピターの谷』でのガース・ハドソンの多彩でポップなキーボードプレイは、ルーツ寄りの音楽性を、単なる懐古趣味でない独自性として際立たせている。

2023年1月5日木曜日

レコード棚を総浚い :『The Band / Cahoots』

 The Band、71年リリースの4thアルバム『カフーツ』

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キャピトルレーベルからのリリースであった。


ディランの(その名の通りの)傑作『When I Paint My Masterpiece』における楽曲解釈こそは、このバンドの真骨頂だろう。

辞書には「cahoots 【名】〈俗〉〔特に不正なことをするための〕共謀、結託」とある。
アラン・トゥーサンを招いて、華やかなホーンセクションを聴かせる『Life is a Carnival』の意外なサウンドメイクや、ヴァン・モリソンとの共作『4% Pantomime』もザ・バンドとしての共謀であったのだろうか。

アラン・トゥーサンとのタッグは、次のライブアルバム『ロック・オブ・エイジス』へと続き、本作『カフーツ』でのいくつかの「共謀」は、大傑作『南十字星』への道標となったのかもしれない。