村上春樹の「風の歌を聴け」が映画化されているのを知ったのはFacebookで先輩が教えてくれたからだった。
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20年ほど前、まだ銀座にオフィスのある会社でサラリーマンをしていた頃、会社の近くにある小さなバーに入り浸っていた。
「あらじん」という名前のそのバーはコリドー街近くの雑居ビルの地下にあった。
席につくと、ピーナッツの入った大きな瓶の中に手を入れて掴み取りをするのが決まりで、とれた分がその日のお通しになる。
マスターは「あ、殻はそのまま下に捨ててください」と言う。
見ると、 カウンター席だけのその店の丸い椅子の下には確かにピーナッツの殻が捨てられるままになっていた。
今でもそのマスターは別の看板を掲げて銀座でバーをやっていて、昔の仲間が時々行って、マスター元気だったよと教えてくれるから、懐かしくてピーナッツの話をFacebookに投稿したら、「風の歌を聴け」の映画版に出てくるジェイズ・バーの床にもピーナッツの殻が転がっていたね、と教えてくれたのだ。
近所のTSUTAYAにはそのDVDは置いていなくて、宅配レンタルを使ってやっと大森一樹監督の「風の歌を聴け」を観た。
そんなわけだから、ジェイズ・バーの床にまず注目することになるが、これは酷い。
床一面に殻が敷き詰められている。
ピーナッツを食べた客が殻を放り投げなければこのような状態にはなるまい。
そんな客も店もあるはずがない。殻はあくまでも自分の足下に捨てるのだ。
そしてその日の営業が終われば、殻はまとめて捨てられる。
これは、厄介な殻の始末をお客様ごとにやるのではなく、お客様にご勘弁いただいてそれだけは一日分まとめてやらせてね、という客とマスターとの間の暗黙の了解のようなものなのである。
この映画の気になるところはこれだけではないが、それらをすべて帳消しにする真行寺君枝の美貌を、まずはとくとご覧頂きたい。
レコード店の美女。
綺麗なだけじゃなくて、音楽にも詳しい。
「僕」が探しているレコードをすいすいラックから抜き出してくる。
いいなあ。ホントにいいなあ。
ところで、この美女に「僕」は、カリフォルニア・ガールズの入っているビーチ・ボーイズのレコードを探してもらうのだが、彼女、よりによってロンドンでのライブ盤を選んでいる。まあ、入ってるけどさ。普通はサマーデイズだよね。
このシーンでかかってるのもサマーデイズ収録のカリフォルニア・ガールズだし。
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この時点で真行寺君枝は小林薫演じる「僕」に不信感を抱いているので、意地悪をしたのかもしれないね。
そう考えるとなんか可愛いよね。
そういえば、このカリフォルニア・ガールズを映画に使うための使用料が数百万もかかっているらしく、他のシーンがチープなのはそのせいなんだそうだ。
真行寺君枝も、とにかく予算がなくて苦労したとインタビューに答えている。
同じインタビューで、真行寺君枝はこの映画を自らの代表作って言ってる。
うん、その言葉に値する雰囲気出てますよ。
「僕」はまた、思いつきでベートーヴェンのピアノ協奏曲の4番をグレン・グールド、レナード・バーンスタイン盤で選ばせるが、原作ではこれ3番なんである。
ということは、まあ、監督か脚本家の趣味なのかもしれない。
僕個人の話をすれば、一番よく聴くのはやっぱり4番で、第二楽章冒頭のストリングスの重厚なテーマが好きだ。だが、演奏者がグレン・グールドということになると話は変わってくる。
おそらく他のどのピアニストも、この3番をこんなにゆっくり弾いたりはしないだろう。特別な3番。村上らしいチョイスだと思う。
真行寺君枝の話ばかりでもなんなので、他の出演者にも触れておく。
小林薫(=「僕」)の相棒「鼠」には巻上公一が、そしてジェイズ・バーのマスターには坂田明が扮していてる。
バーにいる真行寺君枝さんも素敵(って結局そればかり)
そして室井滋さんの商業映画デビュー作なんだそうな。
もうデビューからすごい存在感ですね。
原作「風の歌を聴け」は、作家村上春樹の「なぜ小説は書かれなければならないのか」についての言葉にならない考察だった、と僕は思っているのだが、物語という形態でしか小説の蓋然性を描けないというある種のメタ構造になっている原作の主題は、メディア違いの映画には描きようがない。
そんなわけで「鼠」は小説ではなく映画を撮っているわけだが、その自主制作映画のシーンからは、粗野だがエネルギーに満ちた時代の空気が流れてくる。この自主制作映画は巻上公一の原案によるものだそうで、もともと演劇のシーンから出てきた彼の面目躍如というところかもしれない。