大学時代に「ブルー・シャンパン」を愛読していたが、いつの間にか絶版になっていた。
その「ブルー・シャンパン」を含む『逆行の夏』という短編集、というより傑作編が編まれたので購入した。
ジョン・ヴァーリイ
早川書房
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まずは『逆行の夏』から読んでいく
ヴァーリイのSF作品はどれも、異星人に地球を征服され太陽系の各惑星に人々が散って独自の進化を遂げた世界を描いている。
その世界では、今我々が採用している生活習慣や社会構造が大きく変化している。
この『逆行の夏』では主に、家族構成の変化を主題にしているようだ。
そこは「父親」がいない世界だ。
特に珍しい話ではない。
現在の地球でも、ゴリラとテナガザルを除いて、父親を含む核家族を社会の構成要素にしている生物は(いまのところ)人間以外には発見されていない。
京都大学霊長類研究所長から京大総長を歴任した山極寿一氏の著作「父という余分なもの」 では、「父の創造」が文化の源流であるとしている。
山極 寿一
新潮社 (2015-01-28)
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文明が極限まで進化した時、人類が再び「父親」を喪失するというアイディアがこの『逆行の夏』という物語のコアだということだ。
父の無い世界には、つまりエディプス・コンプレックスもない。
男の子が、成長期に抱く母親への愛着と父親への敵意。
男の子は、しかし、父親の替わりに母親の傍らに恋人として立つことはできないと識ることで、エディプス・コンプレックスを克服し、ほんとうの意味で社会の一員となっていくのである。
物語では、忘れかけられた母星(地球)の歴史として、妻殺し、夫殺し、子の虐待、戦争、飢え、といったものがいっしょくたになって、「誰かと結婚したあげく、手遅れになってから相手がまずかったとわかる」という悲劇に起因しているとして「一人の親に一人の子供」という新しい社会的伝統を作ってきたことになっている。
充分に発展した文化の中では、子供の心理的発達は教育によって担保される。
確かに現代においてさえ、巣立ちの装置としてのエディプス・コンプレックスは必要のないものなのだろう。
だからこの物語に展開される「ボーイ・ミーツ・ガール」はとても純粋だ。
情感的に希薄で、だから儚く美しい。
だからラストの虚無がこんなに美しいんだろう。
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