2014年11月4日火曜日

アナーキズムに対置されるもの~ダークナイト・トリロジー

クリストファー・ノーラン監督がリブートしたバットマン・シリーズ。
アン・ハサウェイが出ているというので観ただけだったのが、これは面白かった。
アン・ハサウェイももちろん素晴らしかったが。


一見して単なるアクション巨編でないことがわかる。
バットマンの<仮面>に与えられた意味がそれを象徴している。

通常、人が<仮面>をつけるときは、その正体を隠したい時だ。
だから本来、仮面そのものは無個性でなければならない。
ところが、バットマンの<仮面>は、法を超えて悪を制裁するという強い意味性を持っている。
職業に紐付いた制服と同じ。
つまり<仮面>を引き継げば、役割も継承できる。

ヨーロッパ社会が大きな犠牲を払いながら確立してきた人権社会が、結果として人間の心の闇に潜む巨悪を助長してしまうという矛盾。
バットマンはその匿名性を背景に、この矛盾を圧倒的な暴力で制圧するものである。
つまりバットマンは、人間の社会が現在の制度の延長にあるかぎり必要とされ続ける、ある種の<社会的存在> として描かれているのではないか。

しかし、バットマンの存在をこのように仮定すると、否応なくもうひとつの形態が想起されてしまう。
それは市民自身による圧政である。
それが、三作目の「ダークナイト・ライジング」で、ベインが率いた反乱政府だ。
いわばそれはアナーキズムの社会だ。

ゴードン警察本部長が自分を逮捕しようとする市民軍の兵士に「誰の権限で警察を逮捕しようとするのか」と問うた時、兵士は「市民だよ」と返答した。
皮肉なことに法治的な仕組みの行使には、匿名性を盾に行動できた彼らが、 囚人と市民の船がお互いの船に仕掛けられた爆弾の起爆装置を持たされた時、両者ともにスイッチを押すことはできなかった。
正義と信じたものを法を超えて実行するために必要なものは匿名性などではなかったのだ。

法治的でない社会は、その維持に個々人の高い徳性が必要とされる。
一般的なイメージと違い、アナーキズムの社会は高度に個々の民度を練った末にしか生まれ得ないものなのである。

しかし悪を巨悪で以って討つ、という構造はいたちごっこを産むだけで、悪の存在を進化させるバットマンは、やはりこの世に存在してはいけないものなのだろう。
おそらくそれが、この長い物語の中でブルース・ウェインが学んだ多くのものごとの中で最も重要なものだったはずだ。

わざわざGPSを仕込んだ真珠のネックレスを持ちだして、彼が見つけた新しい人生をアルフレッドに見せたのはその証明なんだと思う。

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