観ているうちに、強い既視感を覚えたが、 クリストファー・プリーストのファンタジー小説「奇術師」だと気がついた。原作付きだったか。
でもこれはまるで別の作品と思ったほうがいいだろう。
クリストファー・プリースト
早川書房
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原作の方は、アンジャーとボーデンの曾孫たちが主人公。お二人は手記と伝記で登場する。非常に技巧的な小説で、映画とは大きく異るラストシーンに心がひやりと冷える上質なホラー風味が施された傑作だ。
映画の方は、ダークナイト・トリロジーのブルース・ウェインと執事のアルフレッドまでが揃って出演しているので、バットマンにしか見えないところに、ヒュー・ジャックマンまで出てきて、もはやバットマン vs X-MENの様相。
スカーレット・ヨハンソンも似合いの役どころで魅力を発揮している。
それにしても俳優としてのデヴィッド・ボウイの存在感はどうだ。
そこに居るだけで放つその存在感は、謎めいた科学者ニコラ・テスラに実にふさわしい。
よく出来た手品は、誰もがその不思議さに諦めに似た納得感まで持たされるという意味で科学と変わらない。
本当の意味での最先端科学は、誰にも理解はできないが、確かに現象は認めざるをえないという意味で手品と変わらない。
だから手品と科学に魅せられた者の運命はよく似ている。
理論の科学者であった実際のニコラ・テスラと、理論よりは実証で実用品を作り続けたエジソンが終生対立したのはやむを得ないことだったのだろう。
エンタテインメントとしての手品の領域を離れてテスラに近づいていったボーデンに、エンタテインメントとしての手品の領域から逸脱していく危うさを警告したカッターは正しかった。しかし時代を作っていくほどの飛躍を作り出せるのも逸脱を恐れなかった者だけだ。
エジソンが推進したシンプルな機構の直流電源ではなく、テスラが推進した送電性能に優れる交流電源が世界の主流になっていることはそのことの証のひとつである。
我々の生活に欠かせない多くのものを発明して圧倒的に知名度の高いエジソンだが、その裏でエジソンが、交流電源の普及を失敗させようと、米国で評判の悪い絞首刑に代わって発案された電気椅子の開発会社に自分の部下を送って交流電源を採用させた事実はあまり知られていない。交流電源は危険であるという幻想をエジソンは大衆にしかけたのである。
まるでマジシャンのように。
日常という平穏の裏側にいつも、見えていない部分がある。
手品のような悪意のないものの種を知りたがっている場合ではないのかもしれない。
ギャガ・コミュニケーションズ (2012-07-03)
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