2014年11月5日水曜日

ドラゴン・タトゥーの女

デヴィッド・フィンチャーが撮ったミレニアム1の映画化作品。
暗く重々しい彼の画調は、この寒く美しい北欧の地に息づく狂気に似つかわしい。
それにしても、あの複雑なプロットをよくぞここまで明快に再構築したものだと感心する。

ドラゴン・タトゥーの女 [Blu-ray]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2012-11-21)
売り上げランキング: 4,701

カッレくんのことや、ハリエットの経営的成功などのサイドエピソードを削いで、シンプルに事件への興味で物語を牽引していった成果だろう。
だから、この映画では「ミレニアム」の小説世界を貫いているテーマがはっきりと浮き彫りになってくる。

それが「弱者への暴力」である。
第一部である「ドラゴン・タトゥーの女」では、それが女性へのレイプというカタチで現れる。

原作者スティーグ・ラーソンは、15歳のころ一人の女性が輪姦されているところを目撃するが、何もせずその場を逃げ去ったという経験を持つ。
そしてその翌日、勇気を出して被害者の女性に許しを請うが、拒絶されてしまう。
その日以来ラーソンの心から、自らの臆病さに対する罪悪感と、女性への暴力に対する怒りが消えることはなかった。
その被害者の女性の名前こそ「リスベット」だったのだ。

ミレニアムシリーズのアンチヒロイン、リスベット・サランデルは、15歳のラーソンが抱いた悔恨の象徴なのである。

そしてラーソンは、物語の中でこの悔恨を「私的制裁」によって晴らそうとする。 
法の運用の<穴>に落ちて、後見弁護人からレイプを受けるリスベットの報復。
ミカエルを罠に落としたヴェンネルストレムの隠し財産をハッキングして奪い取る、など。

逃げるマルティンを追うリスベットが、ミカエルに「殺していい?」と聞くときの嬉しそうな表情は忘れられない。この台詞は原作にはないものだが、本当の苦しさは<法>には委ねられないというラーソンの考えを補強しているのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿