2014年11月20日木曜日

バークリーメソッドの先にあるもの

ずいぶん昔のことだが、前職で広報のお手伝いをしていた某音楽系専門学校が、バークリー音楽大学との短期留学プログラムを作ることになり、僕も視察旅行に同行させていただけることになった。

憧れのバークリーである。うれしくないはずがない。
バークリーは、ポピュラー音楽教育の聖地なのだ。

起源は19世紀から20世紀にかけて活躍したナディア・ブーランジェという音楽教師にある。
ストラヴィンスキーなどとも親交のあった彼女はアーロン・コープランドなどの著名な作曲家を育てたが、クラシックのみならずその他の音楽分野にも広く通用する音楽理論を構築していた。
バーンスタインやバレンボイム、リパッティといったクラシック界の巨人に混じって、アストル・ピアソラや若き日のキース・ジャレットなども彼女の門を叩いている。

その多くの門人の中に、ヨーゼフ・シリンガーというロシア人の音楽家がいて、 彼のアメリカへの亡命が、ジャズの故郷アメリカに欧州クラシック音楽の理論的集成ともいえるナディアの和声理論を広めることになった。
ヨーゼフは、アメリカに渡ってガーシュインやベニー・グッドマン、ジョン・ルイスなど後のジャズの巨人たちの家庭教師を務めたのである。

ヨーゼフの生徒の一人だったローレンス・バークが作ったシリンガー・ハウスが、バークリーの前身。小さな私塾だったシリンガー・ハウスは人気を集め、学校組織に改組するにあたって、自分の息子の名前(リー・バーク)をとってバークリー音楽院と改称したのだった。
ローレンスさんも親バカさんだったんですね。わかります。


ともあれそのバークリー、実際に足を踏み入れると、そこは誇張ではなく音楽の王国であった。
クインシー・ジョーンズが、ジョン・スコフィールドが、そして小曽根真が、はたまたミッキー吉野が学んだ学び舎は、どこもかしこもオーラに充ちていた。

その時は舞い上がって、グッズなどを買い込んだだけだったが、日本に帰ってからバークリーメソッドについて書かれた菊地成孔さんの本などを読み、少し勉強してなるほどなあ、と思った。


今僕らが音楽を作るときに半ば無意識に使っているコード理論とか楽器の弾き方の背骨みたいなものがそこにはあった。



例えば、先日NHKの亀田音楽専門学校にゲスト出演した布袋寅泰さんが、ギターバッキングのひとつの方法として、コードのルート(根音)と五度(ドに対してのソ)だけを弾くと、ドライブ感が増す、というような解説をしていた。実際よく使う奏法である。パワーコード、と一般に言う。

バークリーでは、この弾き方はドとソを一緒に弾くと、その2つの音(基音)とは別に2つの音の周波数を引き算した結果の周波数が、独立した別の音(差音)として鳴る、と教えられる。
引き算なので非常に低い周波数の音になる。それが弾いてもいないのに出るのである。
ちなみにこの場合は2オクターブ下のドの音が出る。
実際にギターから出るはずのない低い音が第三音として鳴るのだ。
この迫力こそがパワーコードのパワーたる所以なのである、と。


また、作曲をするのに、キーボード・バッキングの勉強をしようと、ヤマハのデモンストレーターが作った教則DVDを買ってみると、ビデオの冒頭で「キーボードをはじめて二日目からは、Cのコードを弾く時はド・ミ・ソじゃなくてソ・ド・ミと弾いてください」と言っていた。「ド・ミ・ソじゃ素人っぽいから」と。

バークリーでもCコードはソドミと弾くが、その理由についてこのように教えられる。
基音(ここではド)の周波数を整数倍にした音を「倍音」という。ドの第二倍音(2倍)はオクターブ上のド。第三倍音はソ。第四倍音は2オクターブ上のド。第五倍音がミ。
並べると、ドド・ソドミとなる。
この、ひとつの音が発生させる倍音の様子を正しく再現するように、左手でド・ド、右手でソ・ド・ミと弾くことの自然さこそがこの弾き方の根拠である、と。

コードを弾く、ということだけなら結果は同じかもしれない。
知らなくてももちろん弾けるし、わかっていればうまく弾けるというものでもない。
しかし、学ぶ対象としての音楽への「敬意」は明らかに変わるだろう。
なにより、これは知的感興であり、それ自体に価値がある。

このような数論的音楽理論は、その先に進めば三角関数、フーリエ変換、オイラーの公式などが待ち受けていて、音楽が「音韻」と「音響」から成る科学の芸術であることが理解される。
バークリーメソッドの中核にこのような認識があることは、バークリーの創始者ローレンス・バークがマサチューセッツ工科大学の卒業生で、ピアニストをやりながら技術者としても糧を得ていたことと無関係ではないだろう。

難しいが、理解したい、と思っている。
現時点の理解でも、ギターを弾いている時、和音の響きがどのように合成されて、内声がどのように動いているか“視える”ようになってきたように感じている。

このような理解を踏み越えていった先にこそ、コードネームを意識しなくても楽曲にあったギターが弾ける技量が待っているような気がするのだ。
どのみち音楽とは一生付き合うつもりでいる。
とことんやってみようと思う。


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