2013年9月10日火曜日

トマス・H・クック「ローラ・フェイとの最後の会話」:時が満ちてこそ気付く親子の愛情の盲目性こそがこのミステリのトリックである

自分に娘ができ、子育てに悩み、成長に喜ぶ日々を送ってみると、自分がいかに両親に愛されて育てられたかに気付く。
そして子どもの頃、思うようにならないことのすべてを親のせいにしてみたり、感謝すべきことにも、親が子どもを育てるのは当たり前のことさ、とうそぶいてみせた自分が恥ずかしくてたまらない気持ちになる。

親子の愛情とはまるで時間に隔てられたマジックミラーのようだ。
時が満ちなければ決して見ることができない。
トマス・H・クックの「ローラ・フェイとの最後の会話」では、この不思議な盲目性をミステリの構造の中に隠し持っている。



物語の主人公ルークはアラバマ州グレンヴィルという田舎町の高校で抜きんでた秀才ということで知られていた。担任はハーバードへの進学を薦め、市長の推薦も受けた。

彼の夢は市井の人々を生き生きと描いた小説を書いて世間に認められることだった。
そしてハーバードから入学許可の通知が来る、しかし肝心の奨学金は認められなかった。

父親はだらしない性格で、流行らないバラエティ・ストアを開いていた。雑貨屋そのままに、商品の整理も出来ていない、父親の性格そのもののような雑然とした店だった。

母は体が弱く、そのころはもう回復の見込みの無い病気に蝕まれていた。
ルークは店員の女(ロ-ラ・フェイ)と父の関係を疑っていた、倉庫を探って浮気を確信した。そして愛して尊敬する母をいっそう不憫に思っていた。


そして父が射殺される。犯人はローラ・フェイの別居中の夫でウディという男だった。

父の保険金が20万ドルあると聞いてルークは胸をなでおろす。
受取人の母はそれを自分の進学資金に充ててくれるだろう。
ところが父は亡くなる二ヶ月も前に保険も解約して、手にしたという三万ドルもなくなっていた。負債を抱えていた父の死後、債権者に店も品物も母の貯金も渡ってしまう。

彼は絶望して途方にくれた。
しかし重病だった母が亡くなり、家を売って学費が出来た。

ルークはハーバードを出たが、思い通りの本は書けなかった。
しかし何冊か本を出し、小さい大学で小さな講座を持ち、時々は地味な講演を頼まれる。夢に描いた姿とは程遠いが、今回も自分の新刊本を並べてサイン会の席に座っている。
そんなとき、講演先のセントルイスに彼女は現れた。

27歳の若さに輝いて父を誘惑した娘は、老いの影の忍び寄った47歳の太目の女になっていた。
彼女はル-クに話があるといい、気が乗らないままにルークはホテルのラウンジに誘う。

ローラ・フェイは馴染みのないカクテルを前に、話し始める。彼女はその後事件を追って調べつくしていた。
ルークは謂れの無い緊張感とおびえを感じる。彼の過去はそういうものと「輝かしい青春」が混在するものであったが、すべては思い出したくないものだった。
ローラは「ルークの旅路」に迫ってくる。ほのかな当てこすりと、遠まわしな感想。それはルークの傷をまた開かせる時間だった。

そして、過去のあの時、事件の原因と結果が、二人の前に真実の光景を広げてみせる。


その二人の謎に満ちた会話の中にクックがしかけたいくつものミスリードをかいくぐり、話題の一つごとに明らかになっていく嘘に翻弄され、辿り着いた結末がもたらす不思議な感動は、ミステリのそれではなく、スタインベックの諸作から感じられるものに似ている。

結局のところこの作品に書かれているのは「謎=ミステリ」ではない。
「愛情」そのものだ。
その愛情そのものが、内包する時間軸をも味方につけて我々を欺く謎なのだ。

短いエンディングを読み終えた後、それまでこの物語に感じていた重苦しさは姿を消し、不思議にシーリア・フレムリンの中編のような、とても愛らしい、人間の良心のようなものにほっとする、いつまでも手元に置いておきたい書物に見えてくるのだ。

アメリカ・サスペンス・ミステリの懐の深さを感じる一冊だ。

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