2013年9月27日金曜日

森晶麿「黒猫の遊歩あるいは美学講義」:この博識の書は僕の読書がいかに甘っちょろいかを暴いてしまった

早川書房が主催しているアガサ・クリスティー賞の第1回受賞作なのだという。

美学・芸術学を専門とする若き大学教授、通称「黒猫」。
彼の同級生で、同じ研究室に所属している女性の大学院生が主任教授から黒猫の「付き人」をつとめるよう命じられる。
駆け出しの研究者である彼女は、エドガー・アラン・ポオを専門にしている。
(この作品の紹介サイトでは「ポウ」と表記されていた。ポー、ポオ、ポウ。様々は表記をされる名前だが、せめて作品での表記ポオに統一すべきだろう)

でたらめな地図に隠された意味。
しゃべる壁に隔てられた青年。
川にふりかけられた香水。
現れた行方不明の住職と失踪した女性研究者。
頭蓋骨を探す映画監督。
楽器なしで奏でられる音楽。

日常に潜む謎は、黒猫の手で美学のロジックで解かれてしまう。
この警察の捜査のような手順を踏まない推理の道筋と、その解説に用いられるボオの名作たちの個性的な解釈がこの小説の読みどころだ。


それにしても筆者の芸術一般に対する博識は、現代の浮薄なサブカルチャー・ミックスの中にあって異彩を放っていて貴重だ。
僕はクラシック音楽を聴くが、何気なく時代区分のようなカタチで使っていた「古典派」と「ロマン派」という言葉の本当の意味合いをこの本によって知った。
音楽の専門書も何冊となく読んだが、本書での「古典派」「ロマン派」のとらえ方が一番腑に落ちた。

本書では、古典派とは精神の高揚のために感情の高まりを抑制しようとする芸術的態度であり、ロマン派は、そうした抑制から解放され感情そのものを芸術として表現しようとする態度である、とする。

この「精神」と「感情」という言葉を厳密に区分する態度こそが哲学であり、美学である。

そしてさらにこの厳密な態度を黒猫は読書に援用する。

そうして生まれるポオの解釈には、巧妙に隠されていた伏線が見事に回収された時のような驚きがあって、読んでいるこちらも思わず「あっ」と声が出てしまう。


だから惜しい。
このミステリ、謎の設定はこの上なく魅力的で、解法も申し分なく個性的だが、ミステリとしては少々「真相」が貧相なのだ。
なんとなく読後感が少年少女向けの小説に似て、これだけの美点にもかかわらず、少し物足りない感じがしてしまうのはそのせいだろう。

本作にはすでに続編が2作出ている。
ぜひこの魅力的で個性的なミステリにふさわしい「真相」を、今度こそ読みたい。ぜひ。

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