2013年9月22日日曜日

「四月は君の嘘」第7巻:演奏者が命をすり減らして磨く技術は作曲者の意図を再現するためのものか

今一番最新刊が待ち遠しい漫画がこの「四月は君の嘘」。
その7巻が発売された。


かつて国内外の数々のピアノコンクールで優勝し「神童」と呼ばれた有馬公生は、指導者であった母の死をきっかけに、ピアノを弾き始めると、その音が聴こえなくなってしまうようになり、音楽から距離を置くようになる。
3年後、14歳になった公生は幼なじみの椿を通じ、同い年のヴァイオリニスト、宮園かをりと知り合い、かをりの個性的で情熱的な演奏を聞き、音楽を通じてあらためて自分と死んだ母、それらを含む過去のすべてと向き合いはじめる。

今巻では、かをりと共に伴奏で出場するはずだったコンクールに、行きがかりで単独でステージに上がる羽目になり、亡き母との想い出の曲を演奏しているうちに、母の秘めた想いに辿り着く。

もうこの長い演奏シーンは本当に圧巻で、涙が後から後から溢れてきた。
実際には音が聴こえない漫画という器に載った演奏は、実際のどんな演奏とも違う感動を与えてくれる。
でも、それはやはり音楽の感動なのだと思う。
それは僕達が、音楽には本当にそういう力があることを知っているからだ。

この有馬公生の奇跡の演奏に、審査側が漏らす「演奏者は作曲者の意図を再現するためにいる」という思想が対置されている。
しかしこの思想は、作曲者の意図だってまた演奏者の人生の範囲でしか解釈されえないという側面を無視している。
どんな楽曲も、作曲者の人生をかけた設計図を、演奏者の人生をかけた表現で描き出してこそ完成するのだと僕は思う。
それと同じ、表現の相克の感動が、この「四月は君の嘘」という漫画には、楽曲を漫画家の人生をかけた表現で描き出されている。

だからこの漫画は素晴らしい。
マエストロの名演に酔うように何度も何度も味わいたい作品だ。

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