2013年9月20日金曜日

デニス・ルヘイン「夜に生きる」:とびっきりの文学的愉悦に支えられて活写されたアメリカ裏面史は、現代に生きる我々の心の隅を照らす普遍の灯りだった

クリント・イーストウッド監督の「ミスティック・リバー」という映画を観た時、「許されざる者」にも通ずる人間の業の深さや、それがもたらす善と悪の境界を巡る葛藤に放心した。
また、マーティン・スコセッシ監督の「シャッター・アイランド」を観た時も、人の心の狂気と正気の境界と、その尊厳を守ろうとするキツい戦いのドラマに痺れた。

後になってこの二つの映画の原作がデニス・ルヘインという同じ作家によるものだと知った。

彼の最新刊「夜に生きる」も、ベン・アフレックによる映画化が決定していると聞いて、先に原作を読んでみたくなって手にとった。


その「夜に生きる」にもミスティック川が登場する。
禁酒法時代のボストンはギャングの街だ。
この作品においても、ミスティック川は人間のあらゆる想念を巻き込みながら流れていく。しかし、大きく蛇行していくアメリカ、いや世界の命運を象徴してか、この物語はミスティック川を離れ、フロリダ州のタンパへ、さらにキューバへと舞台を移していく。

主人公は、ジョー・コグリン。警察署長トマス・コグリンの息子でありながら、「自分でルールを決める」生き方を求めてギャングの手下として生きていた。

強盗に入った賭博場で知り合ったエマという女と恋に落ちるが、エマは対立する組織のボスの情婦であった。
その恋は悲劇を引き起こし、ジョーは囚人となる。
父の助けで刑務所内でチャンスを掴むが、その代償として父そのものを失う。

ジョーは、刑務所で知己を得たギャングの首領からシマを得て、ビジネスを成功させのし上がっていく。
その上り階段のさなかにも繰り返される裏切りと殺し。
そして新しい恋。
その恋は新しい生きがいを生み、彼をただのギャング以上の存在にしていく。

それでもそれは血塗られた道。
前に進んでいるように見えても、彼は失い続けている。
まるで、失うためにあらゆるものを得ているかのようだ。


「夜に生きる」が描いているのは殺伐としたアメリカの裏面史そのものだが、作品から得られる文学的愉悦はとびっきりだ。

気の利いた台詞。
教養に溢れた修辞的表現。
歴史背景を巧みに織り込んで描かれる見事な心象風景。

刑務所の中の人間模様や、クー・クラックス・クランの人々のねじ曲がった信仰と暴力、キューバの絶対的な貧困の中で少年たちがすがる「野球」という名の希望。
そういった人間を描く描写の中に、ルヘインの文学的技術が見事に結晶化していて、一文読むごとに、登場人物の心まるごとありありと脳裏に再現され、読んでいる自分自身の、もう忘れかけていた過去までが照らされていく。

この深みのある人間描写こそが、ルヘインの作品の多くが映画化される理由なのだろう。
そしてそれは映画化されたものが一級のものになる理由でもある。
どうやら続編も予定されているようだし、映画も楽しみだ。
角川から出版されている「私立探偵パトリック&アンジー」シリーズにも興味がわく。(コチラの方は、デニス・「レ」ヘインと表記されているが、同一人物である)


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