2020年5月6日水曜日

【音楽エッセイ】ファーストアルバムの「魔法」|ノラ・ジョーンズが教えてくれた、エイモス・リー奇跡の一枚

音楽ファンの間で、ファーストアルバムには特別な魔法が宿っていると語られることが多い。世に出たいという切実な情熱、そしてそれを形にするための絶妙な抑制。そのコントラストが奇跡的なバランスで収められた名盤が、シンガロング系の楽曲が増えた後年の作品よりも瑞々しく輝き続けることは少なくない。
特大級の代表格と言えるのが、エイモス・リー(Amos Lee)が2005年に発表したセルフタイトルのデビューアルバム『Amos Lee』である。




エイモス・リーのキャリア:名門ブルーノートが認めた遅咲きの天才

日本の音楽ファンの多くは、ノラ・ジョーンズ(Norah Jones)経由、あるいはシンガーソングライター秦基博の推薦によってエイモス・リーの存在を知ったのではないだろうか。

1977年、アメリカ・ペンシルベニア州フィラデルフィアに出生したエイモス・リー(本名:ライアン・アンソニー・マッサーロ)の経歴は、ミュージシャンとしては少し異色である。
サウスカロライナ大学で英文学を学んだ後、一度は英語教師として教壇に立っていた。
しかし、音楽への情熱を断ち切れずに教職を辞し、本格的な音楽活動へと舵を切ることになる。
彼の才能はすぐに開花し、ジャズの名門レーベルであるブルーノート・レコード(Blue Note Records)との契約を勝ち取る。

2004年にはノラ・ジョーンズの欧米ツアー、翌2005年にはボブ・ディランの全米ツアーのオープニング・アクトに抜擢されるなど、デビュー前から大物アーティストたちにその実力を認められていた。

デビューアルバム『Amos Lee』に宿る情熱と抑制の美学

2005年3月にリリースされたファーストアルバム『Amos Lee』は、ノラ・ジョーンズがピアノとヴォーカルで参加したことでも大きな話題を呼んだ。

このアルバムの最大の魅力は、何よりも抑制の効いた、しかし他のどこにもない唯一無二の歌声と、耳元で語りかけるようなメロディにある。フォークやソウル、ジャズを絶妙にブレンドしたアコースティックなサウンドは、入手直後から自身の店で何度も繰り返し流し、誰彼問わずに勧めたくなるほどの完成度を誇っていた。

思えば、アデル(Adele)の静謐なファーストアルバム『19』が持っていた空気感と、エイモスのファーストアルバムは非常によく似ている。ここには、人生の後半期を迎えた大人の心に深く染み渡る「情熱と抑制のコントラスト」が確かにある。

セカンドアルバム『Supply and Demand』で見せた<POP>への目配り

ファーストアルバムの魔法に魅了された者としては、程なくリリースされたセカンドアルバム『Supply and Demand(サプライ・アンド・ディマンド)』(2006年)も迷わず入手した。しかし、そこにあったのは、<POP>への目配りとでも言うべき変化だった。

前作で最大の美点と感じていた「抑制」は、失われてしまったように感じた。
何しろ1曲目のタイトルが『Shout Out Loud(シャウト・アウト・ラウド)』であり、スタジアムで響くようなシンガロング系の「ラララコーラス」まで導入されていた。こちらとしては「あらら」と思わざるを得ない。

アーティストとしてのスケール感や大衆性は増したのかもしれないが、ファーストアルバムのあの密室的な静けさと切実さを愛した身としては、どうしても手が伸びにくくなり、結局そのCDは棚の奥に収まったままになってしまった。

ファーストアルバムにしか存在しない「奇跡」

エイモス・リーはその後、2011年のアルバム『Mission Bell』で、これまた手のひらを返したようなアコースティック回帰を見せ(これも名盤です!)、ビルボード100の1位を獲得したりした。



その後も順調に作品を発表し、アメリカを代表する本格派シンガーソングライターとしての地位を確固たるものにしていった。

しかし、洗練された後年の作品を聴けば聴くほど、あの2005年のファーストアルバムに閉じ込められていた「言葉にできない魔法」が愛おしくなる。
きっとそれは、教師を辞めて音楽に全てを賭けた一人の男の、最初で最後の純粋な衝動が記録されているからなんだろうな。


エイモス・リー
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