ソニー・ピクチャーズエンタテインメント (2017-08-02)
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自分自身はキリスト教徒というわけではなかったが、子供の頃、家の隣にあったメノナイト教会で時々日曜に行われる子供向けのイベントに行っていた。
おそらくキリスト教の教えに沿った説話を、わかりやすい紙芝居や人形劇のようなものに仕立ててやっていたのだと思うが、中身はもうすっかり忘れてしまった。
それでもなんとなく、死んだら天国に行けるように「善く」生きなくては、という考えは頭に残っている。
そういう場に限らず、キリスト教の考え方に触れる機会は、この国でも意外と多い。
大学でインド哲学を専攻した関係で、世界の主な宗教についての基礎知識を習う機会があった。
そこで知ったキリスト教では、死後人は土の下で眠り、最期の審判の時、復活したキリストに赦されて天国に昇ることになっていた。
子供の頃に知ったのとはまったく違う「天国」の意味合いにかなりビックリした。
ジョン・レノンが『イマジン』の冒頭で歌う、
Imagine there's no Heavenの本当の意味がやっとわかった気がした。
9.11を契機に前面化したテロの時代には、イスラム教の人たちが何故あんなことをしなくてはならないのか、それが知りたくていろいろ調べているうち、宗教が引き起こしてきた長い戦争の歴史に触れることになり、
それがあるために人が苦しむなら何のための宗教かと考えたが、どんな答えも浮かんではこなかった。
だから僕はこの映画を観た時、物語の主題である「神の沈黙」それ自体よりも、こんなにも切実に信仰を必要とした人たちがいた、という事実のほうに激しく胸を揺さぶられたのだ。
我が国の仏教史にも同じような切実さがある。
僧としての資格を国が独占して与えていた時代には、官許の「得度僧」は民衆の中での積極的な布教を禁じられていた。権門勢家によって独占されて仏法の本義を見失った僧侶の世界に見切りをつけ、民衆の間に分け入っていった「私度僧」と呼ばれる人たちが農村などで布教をしていたのだと言う。
私度僧を脱税のため(僧は戸籍から外れるため徴税免除となる)の「なりすまし」とする解説も見かけることがあり、もちろんそのような不心得者がいなかったとは言わないが、本当に仏の教えを必要とする人にそれを届けるために私心なく働いた人たちと一括りにしてはいけない。
こちらの本が詳しいです。
野間 宏 沖浦 和光
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ロドリゴ神父は、日本における「私度僧」を思わせる。
拷問にあえぐキリシタンに「(踏み絵を)踏め」「(信仰を)棄てろ」と叫んだロドリゴ神父のその叫びこそが、「神は沈黙していない」という証だと僕は感じた。
それにしても棄教を迫る拷問よりも、その結果としての死よりも、信仰を捨てて生きることのほうが恐ろしい、というのは一体どのような人生なのか。
現代に生きる多くの人にその想像はつかないだろう。
それでもニュースでは、信仰の違いから迫害を受けるロヒンギャの人たちや、停戦後も厳しい生活を余儀なくされるシリアの人たちのことが今も伝えられている。
それに平和で豊かに見える日本でも、年に三万人もの人が自殺するというのだからちっとも他人事ではない。
同じ空の下で、それは今も起きている。
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