2017年9月27日水曜日

マンフレッド・マンズ・アース・バンド『静かなる叫び』

エリック・クラプトンを起点にして、スワンプ・ロックが好きになった。
そしてその人脈をたどってスリム・チャンスに出会い、僕はロニー・レインの音楽を知った。
スモール・フェイセズ〜フェイセズのロニー・レインに辿り着くのに、アメリカを経由したのだから妙な話だが、そこから逆にたどってブリティッシュ・ロックもまたよく聴くようになるのだから、本当に音楽に国境は無いのであった。
ピート・タウンゼントとの共作アルバムなんかは本当によく聴いたな。

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ロニー・レインのような、アメリカン・ルーツ・ロックとブリティッシュ・ロックの狭間にあるバンドを探すうちにマッギネス・フリントというバンドに出会った。
初期の編集盤を何度も聴いた。
カッコいいね。

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メンバーのトム・マッギネスが所属していたバンドということで、聴いたことのないマンフレッド・マンという名前が、それが個人名なのかバンド名なのかも判然としていなかったのに深く印象に残っていた。

そして中古レコード市で、このアルバムに出会ったのです。
マンフレッド・マンズ・アース・バンド『静かなる叫び』



 本当に予備知識なく針を落として、一曲目がブルース・スプリングスティーンの『光に目もくらみ』と来た。
これがムチャクチャカッコいい!

ボスのデビュー盤の一曲目に収録されたこの曲は、詩情あふれる歌詞が奔流のように溢れ出てくるスピード感が魅力だが、演奏が少々その情熱に追い付いていないところがある。
そこがこの曲の若さの表現で、もちろんそれで良いのだが、マンフレッド・マンのバージョンはそれがマチュアな演奏に支えられて、おそらくボスの頭の中で鳴っていた真実のメロディが姿を現す。
素晴らしい。

曲が進んでいくと、このアルバムがそのプログレッシブ・ロック的な正体を徐々に表していく。それにしてもメロディがいい。
詳しい友人に訊くと、これでもこのアルバムからポップ路線に転換していて、その前のアルバム(そのアルバムでもスプリングスティーンの『夜の精』をカバーしているらしい)まではかなりプログレ色の強い曲調で、ディランのカバーなんかを演っていたとのこと。

そしてこのバンドの中心人物マンフレッド・マン。
非常に多産なアーティストでなかなか全貌を見渡せない。
少し追いかけてみようと思う。
こんな出会いがあるから、中古レコード探しはやめられないね。

2017年9月26日火曜日

一応アナログレコードもディジタル化できるようにしておこうかな、と思ってね

アナログレコードが好きだ。
あの実体感のある音。
あの大きさ。
くるくる回っているのが見えるところ。
全部が好きだ。

一方で、趣味で曲作りをやっている身としては、音楽のディジタル化にも大きな恩恵を受けている。
機材の低価格化。
編集作業の信じられないほどの簡便化。
機材に依存する「味」のようなものは薄くなったが、そのぶん音そのものの再現性は高くなっている。

ディジタル化といえば、iPodの登場で一般家庭でも「録音する」という概念は大きく変わった。
ステレオセットに組み込まれた録音用の機器、たとえばカセットデッキ、MDデッキ、DATデッキのようなものは、必要なくなり、音楽はPCに取り込まれた。
我が家にも、もう録音できる機材はメイン・オーディオには組み込まれていない。

こうなると、オーディオのシステムとPCで扱うディジタル音源の間がうまく繋がらなくなる。
具体的に言うと、「レコードを録音する」という昔なら当たり前の行動が、今ではけっこう難しいことになっちゃってる。
滅多にしないレコードの録音のために、USB付きのプレーヤーを買うのもなんだし、そういうプレーヤーの品質もだいたいアレだしね。

で、思いついたのが音楽制作システムとメイン・オーディオを物理的にケーブルで橋渡ししちゃえばいいんじゃね?ということだ。 これなら出費も最小限で済む。

そういうわけでちょっとビックカメラ行って買ってきた。





左の二本は、RCA規格のピンをフォーンに変換するやつで、これはもともと持ってた。

MDをPCに取り込む時に買ったもので、SONY製。
ずいぶん使ってなかったからちょっと錆びてるな。

右の二本が今回買ったもので、RCAピンケーブルが両側に刺さるタイプ。
オーディオテクニカ製ね。
普通はケーブルの延長に使う。

で、メイン・オーディオとディジタル録音環境との間に横たわる3メートルを埋める、長めのRCAケーブル。
これはJVCブランドのビクター製。
併せて1,000円弱。


アナログレコードってのは、プレーヤーから取り出した信号そのままでは聴けない。
トレースしにくい低音を小さめに取り出して、イコライザーで補正して出力することになっているから。
つまりイコライザーを通した後で取り出さなきゃならない。
ウチではこのMcIntosh C2200というプリアンプに内蔵されたフォノイコを使っているから、取り出し元はこのプリアンプということになる。





で、幸いなことに、このプリアンプからの出力は、普段これまたMcIntoshのMC275という旧式の真空管アンプに接続されていて、この接続部、横についていて、しかも熱対策でラックの一番上に置いてあるからすぐに外せる。




これをさっきのヤツにつなぎ替えると、こーなる。


PC側では、アナログ信号そのまま持ってこられても処理できないから、DACならぬADCを使うが、音楽制作周りでは普通こういう機材をオーディオ・インターフェイスと言う。
ウチの古女房はコレ。


イマドキ、ファイヤーワイヤーですわ。
まさかファイヤーワイヤー無くなるとは思わんかった。
サンダーボルトとの変換アダプタがあるんで、まだしばらく大丈夫かなと思ってたけど、昨今そのへんも危ないですな。

これにさっきのSONYのアダプタ噛ましてRCAケーブル刺すんですが、試しにレコードかけてみても、信号が来ない。
いやまあ錆びてるのは気になってたんですよ。
グリグリしたらガリガリ言うから、とりあえずポリッシュで磨いた。


綺麗になりましたね。
信号も来ました。
こういう基本的なことが大事なんだよなあ。


で、これをMacbookにインストールしたDAW(ディジタル・オーディオ・ワークステーション、ダウって読むのが普通)で録音していく。
使っているのは普段曲作りに使っているAppleの『Logic Pro8』


 ケーブルのLRから別々の信号が来ているので、2トラック作って別々に録音する。


とりあえず一曲だけ録ってみた。
気持ち悪いくらい原音どおりに録れるのが今のディジタル録音。
あっけなく再生音通りのコピーが出来上がった。
今のところCDプレーヤーを通して聴く予定はないので、録音ができるとわかったところで作業終了だが、このLogic Proにはマスタリング用のプラグインが装備されているので、最後にこれでちょっと遊んでみる。

バラード用とか、ヒップホップ用とか、古い映画風のサウンドになるものなんかも入っている。
全体に、音がイキイキした感じになるプログラムが多くて、古いレコードでも最近の音楽みたいな音になる。
聴いた瞬間には、おお!と思うけど、それだけ。
その時代のレコードには、その時代のサウンドがやはりいいと思う。


2017年9月25日月曜日

同じ空の下で、それは今も起きている:マーティン・スコセッシ『沈黙-サイレンス-』

マーティン・スコセッシ監督の『沈黙-サイレンス-』をDVDで鑑賞。

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自分自身はキリスト教徒というわけではなかったが、子供の頃、家の隣にあったメノナイト教会で時々日曜に行われる子供向けのイベントに行っていた。
おそらくキリスト教の教えに沿った説話を、わかりやすい紙芝居や人形劇のようなものに仕立ててやっていたのだと思うが、中身はもうすっかり忘れてしまった。
それでもなんとなく、死んだら天国に行けるように「善く」生きなくては、という考えは頭に残っている。
そういう場に限らず、キリスト教の考え方に触れる機会は、この国でも意外と多い。

大学でインド哲学を専攻した関係で、世界の主な宗教についての基礎知識を習う機会があった。
そこで知ったキリスト教では、死後人は土の下で眠り、最期の審判の時、復活したキリストに赦されて天国に昇ることになっていた。
子供の頃に知ったのとはまったく違う「天国」の意味合いにかなりビックリした。
ジョン・レノンが『イマジン』の冒頭で歌う、
Imagine there's no Heaven
の本当の意味がやっとわかった気がした。

9.11を契機に前面化したテロの時代には、イスラム教の人たちが何故あんなことをしなくてはならないのか、それが知りたくていろいろ調べているうち、宗教が引き起こしてきた長い戦争の歴史に触れることになり、
それがあるために人が苦しむなら何のための宗教かと考えたが、どんな答えも浮かんではこなかった。

だから僕はこの映画を観た時、物語の主題である「神の沈黙」それ自体よりも、こんなにも切実に信仰を必要とした人たちがいた、という事実のほうに激しく胸を揺さぶられたのだ。

我が国の仏教史にも同じような切実さがある。
僧としての資格を国が独占して与えていた時代には、官許の「得度僧」は民衆の中での積極的な布教を禁じられていた。権門勢家によって独占されて仏法の本義を見失った僧侶の世界に見切りをつけ、民衆の間に分け入っていった「私度僧」と呼ばれる人たちが農村などで布教をしていたのだと言う。
私度僧を脱税のため(僧は戸籍から外れるため徴税免除となる)の「なりすまし」とする解説も見かけることがあり、もちろんそのような不心得者がいなかったとは言わないが、本当に仏の教えを必要とする人にそれを届けるために私心なく働いた人たちと一括りにしてはいけない。
こちらの本が詳しいです。

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ロドリゴ神父は、日本における「私度僧」を思わせる。
拷問にあえぐキリシタンに「(踏み絵を)踏め」「(信仰を)棄てろ」と叫んだロドリゴ神父のその叫びこそが、「神は沈黙していない」という証だと僕は感じた。

それにしても棄教を迫る拷問よりも、その結果としての死よりも、信仰を捨てて生きることのほうが恐ろしい、というのは一体どのような人生なのか。

現代に生きる多くの人にその想像はつかないだろう。
それでもニュースでは、信仰の違いから迫害を受けるロヒンギャの人たちや、停戦後も厳しい生活を余儀なくされるシリアの人たちのことが今も伝えられている。
それに平和で豊かに見える日本でも、年に三万人もの人が自殺するというのだからちっとも他人事ではない。
同じ空の下で、それは今も起きている。

2017年9月18日月曜日

佐藤亜紀『スウィングしなけりゃ意味がない』

佐藤亜紀の新作『スウィングしなけりゃ意味がない』が面白すぎる。

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本作は、ナチス政権下のドイツに実在した「スウィング・ユーゲント」という若者の集団をモデルにしている。
スウィング・ユーゲント=スウィング・ボーイズで、上野樹里さんの映画「スウィング・ガールズ」も、もしかしたらこの語感に倣って名付けたんではないだろうか。

当時(1930年代)のドイツでは、少年たちは14歳で学校を卒業した後、ヒトラーユーゲントに入隊、17歳でドイツ国家労働奉仕団に入り、兵役に就くことになっていた。
ナチスの支持母体でもあった、裕福な工場経営者などの中間層の子息たちは、高い教育を受け、英国的な自由を好んでいたから、そんな彼らが、このような面白みのない「画一」を忌避したのは当然のことだろう。
そしてまた当然のごとく、彼らの自由な振る舞いは、当局から迫害を受けたのである。

物語では、そんな彼らが、国家権力と争うのではなく、好きなことはやって、のらりくらりと逃げる。逃げ切れなければ殴られる、という生活を送る。
ハンブルグという経済都市に生きる彼らの生活感は逞しく、夜な夜なパーティーもどきの宴会が開かれ、自由に恋愛をし、一晩中踊り狂う。
楽器もレコードも手管を尽くして調達してくる。
レコードが手に入りにくくなると、自分たちで作っちゃったりする。
僕もアナログ(と今では断り書きをつけなきゃならない)レコードが大好きだから、闇レコード製造・販売で少年たちが財を成していく部分は本当に興奮した。
読んでて、レコード屋になりたくなったよ。
自分らしく生きるってこういうことだよね。

その後、戦局はどんどん厳しくなり、思うにまかせなくなってくる。
打つ手打つ手が裏目に出ていくのは、ヒトラーの最期を描いた映画でも観た。
でも、この小説ではナチの戦略は、ヒトラーや幹部の言葉ではなく、現場の振る舞いとして描かれる。
それはそれは見事な愚行だ。
斟酌すべき相手しか見えない人が行う喜劇的な愚行。


だから個人がどう行きていくかが重要なんだ。
間違った方向に拳を振り上げない美意識が今、心の底から欲しい。
そう思う。

2017年9月13日水曜日

八神純子『夢見る頃を過ぎても』

この間、学生時代の音楽サークルのOB会に出席したら、大先輩たちが八神純子さんの『想い出のスクリーン』を歌っていた。
もしこの歌を聴いたことがなくても八神さんの曲だとわかるメロディのオリジナリティは、やっぱスゴいと思う。
訊くと徳永英明がカバーしたバージョンだそうだ。

そんなことがあって、古本市でレコードの箱を漁っていて八神さんのアルバムを見つけたんだから、そりゃ運命でしょ、と思わず買ってしまった。
82年発売の4thアルバム『夢見る頃を過ぎても』
これはアタリだった!




針を落として、声が出てきた瞬間、「うまいっ!」と心で脱帽した。
なぜかレコードだと歌唱の詳細なニュアンスが聴こえてくるが、繊細なヴィブラートの使い分けや、滑らかでダイナミックなレガートにはため息が出る。

B3の「I'm A Woman」に聞き覚えがあったが、YAMAHAスピーカーのCMソングだったらしい。
松任谷正隆のアレンジで、松原正樹さんのギターが当時のポップスの王道的サウンドを聴かせるが、B1の原田真二提供曲が、自身のギターとコーラスを含め少し変わったアクセントを添えている。
埋もれないミュージシャンシップを持った人だね。


さてこの『夢見る頃を過ぎても』というアルバムタイトルは、僕にとっては吉田秋生さんの漫画(大傑作!)を思い起こさせるものだが、他にもこのタイトルのついたドラマや、本、楽曲などがある。

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どのあたりがオリジナルなんだろうか、と調べてみたが、たぶんこれがそうだろう。
1935年のMGM映画『ザ・ナイト・イズ・ヤング』の主題歌として、主演のラモン・ナヴァロ、イヴリン・レイが歌った『When I Grow Too Old To Dream』(作詞オスカー・ハマースタインⅡ世、作曲シグムンド・ロンバーグ)

それにしても邦題だけが独り歩きして、いろいろな作品に使われるなんて、この曲に『夢見る頃を過ぎても』という素敵な邦題をつけた人はいったい誰なのだろう。

肝心の映画はまったく売れなかったそうで、話題になりにくいが、この曲だけはいろんな人に歌い継がれている。
ナット・キング・コールの『AFTER MIDNIGHT』(1956)に収録されたバージョンが最もよく知られているようだ。
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ダイアナ・クラールのナット・キング・コールへのトリビュート・アルバム『ALL FOR YOU』にも収録されているという情報があり、手持ちの盤を見てみたが入っていなかった。
アメリカ盤にのみ未収録とのことで、これから買われる方は国内盤を買うのが無難だろう。

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2017年9月9日土曜日

想い出のテレンス・トレント・ダービー:『Introducing The Hardline According To TTD』

1989年に就職で東京に出た。
その時のカルチャー・ショックは、釧路から進学で札幌に出た時の比ではなかった。
いろいろ驚いたことはあるが、一番びっくりしたのは「レコード屋がデカイ!」ということだった。
もちろん在庫数が多いということもあるが、カラフルなペンで書かれたポップがいたるところにあって、それまで知らなかったアーティストが解説されているのを読んで、手違いで必修科目を学ばずに世に出てきてしまったような心細さを感じた。
オススメにしたがって、僕は音楽を勉強し直し始めた。

そんなオススメアーティストの中に、Terence Trent D'arby(テレンス・トレント・ダービー)はいた。
ちょうどセカンドの『TTD's Neither Fish Nor Flesh』が売り出されたタイミングで、その横に「奇跡のファースト・アルバム」として置かれていた『Introducing The Hardline According To TTD』の俯いた表情に惹かれ、そちらを手に取った。

まったく知らなかったが、87年発売のそのアルバムは、よく売れたアルバムだったようだ。
確かにカッコいい。
ポップにはジャンルの壁を超え、云々とあったが、確かにロックン・ロールやらファンクやらといった定型に収まっていない気はするが、これは単純に純粋なカッコいいロック・アルバムなんじゃないかと思った。

かなり愛聴していたが、出張にもドライブにも、どこにでも持って行っていたのでいつの間にか見当たらなくなってしまった。
懐かしさだけが心に残っていた。


先日、毎年楽しみにしている「どうしん古本市」が開催されて、いつもように仕事が終わった後急いで駆けつけ無心でエサ箱を漁っていて、最後の箱の一番最後に、この『Introducing The Hardline According To TTD』を見つけた時は嬉しかったな。
真っ先に磨いて、ターンテーブルに置いた。



87年だからまだLPとCDが併売されていた時代だ。
これは輸入盤で9ドル98セントの値札が貼られ、石丸電気の袋に入っていた。
例の真ん中がへこんだ米国コロンビア盤。
以前、ブルース・スプリングスティーンの輸入ライブ盤でご紹介したことがある。

当時はパイオニアのアンプにLDとのコンパチプレーヤーで、オンキヨーの小型スピーカー。寮の六畳間で聴いていたのだから音質比較などできないが、リバーブの端まで聴こえるほど分離がよく、コーラスにドゥー・ワップ的なものを入れていたり、パーカッションにアフリカ的な音があったり、ギターにジャズ・ブルーズ的なニュアンスがあったりとこれは確かにジャンル・オーバー・フローな快作だ。
歌いまわしやサウンドメイキングの随所に、後のレニー・クラヴィッツに与えた影響の大きさを感じさせる。

そして、完全アカペラで歌われる『AS YET UNTITLED』はまさに魂の歌。
あの頃、この歌の良さはまったくわからなかった。
僕にも、世間にも、きっと彼の音楽は早すぎたのだ。

2017年9月7日木曜日

海援隊『誰もいないからそこを歩く』を聴いていたらとんでもない名曲を見つけてしまった件

よっしゃ今朝は久しぶりに甲斐バンドでも聴くか、と五十音順に並べたレコード棚からアタリをつけてエイっと引き抜いたら「海援隊」だった。


『誰もいないからそこを歩く』
1980年発売の海援隊8枚目のアルバムだそうです。

ずっと前に、もうレコードやめるから、と友だちにもらった一枚。
僕は海援隊にはちょっと偏見のようなものがあって、せっかくもらったのにまだ聴いていなかった。

父が博多の人なので、博多弁まる出しの武田鉄矢の話題は家では好意的なものだった。
金八先生も見てたし、シングル曲はだいたい知っていたので、釧路でコンサートをやったとき観に行った。
家族で観に行ったような記憶があるが、半分くらい武田鉄矢のしゃべりで、それはそれは面白かったけど、やっぱりミュージシャンじゃないんだねって思った記憶がある。
これはちょうどその頃のアルバムなのだ。

まあ、しかしこれもなにかの縁なんだろうとと思って針を落としてみたら、一曲目はよく知っている「人として」だったが、二曲目で違う人の声が出て(中牟田さんでした)おっと思ったら、結局半分くらい武田鉄矢さん以外の人が歌っていて、これがすごくいい!
そういえば、コンサートでも背の高い人(千葉さん)が歌っていたのがうっすら記憶に残っている。
で、今回いいな!と思ったのはだいたい中牟田さんの曲だった。
知らなかったー。
調べるとけっこうソロでもやってますね。

このグループにブルーズのイメージはなかったが、「ちょっと甘めのオールド・ラブ・ソング」というブルースが入っていた。
ディスコグラフィーを紐解くと、各アルバムに一曲は「なんとかブルース」みたいな曲が入っていて、そこもけっこう意外。


B面にも、ちょっと毛色の違う本格的なブルーズが入っていて、これなんじゃろ、と見たら生田敬太郎さんというシンガー・ソングライターのカバーだった。

「僕の唄」という曲で、ちょっとこれいい曲すぎて武田鉄矢さん、失礼ながら全然歌えてないと思っちゃった。
なにこの曲。
生田敬太郎が気になる。
断然気になる。

この発見が今日の収穫。
おっと、明日は地区の新聞販売店の古本市じゃないか。
けっこう掘り出し物のレコードも出るので毎年楽しみにしてたやつ。
ひょっとしたら出会えるかな。


ちょっと調べてみたら、この人、「ひらけ!ポンキッキ」で最初に「およげ!たいやきくん」を歌った人らしい。
最初レコード化の話はなく、2万円ほどのギャラで歌って終わり。
そうしたら全国の視聴者から、あれをレコード化せよとのハガキが山ほど来た。
これがフジのポンキッキだからレコードは当然キャニオンということで、テイチクの生田さんは歌えない。
それで声の似ている子門真人に、ということになったらしい。

なんかカッコいい。
「二枚カードがあったらマイナス・カードを引くことにしてんだ」(うろ覚え)って言ってた、昔読んで痺れたLIVE!オデッセイのオデッセイみたい。


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「僕の唄」収録のファーストアルバムはまだ入手できるようです。

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2017年9月6日水曜日

ワトソンくん、石岡和己がやっと尻尾をだしたよ

本格推理30周年ということで、講談社さんから名探偵傑作短編集というのが一気に三冊出ました。
御手洗潔篇、火村英生篇、法月綸太郎篇の三冊です。



収録されたものには、それまで読んでいたものもありますが、不思議なことに短編集は編まれ方によって、既読であっても印象が変わることがあるんだよな・・と言い訳しながら全冊購入してしまいました。

三冊並べてみると、否応なく推理小説にとっての<語り手>について考えさせられます。

御手洗潔シリーズの石岡和己は、ワトソン型。

法月綸太郎は、エラリー・クイーンと同じように作家と探偵が同名に設定されています。
また、ご丁寧にも警察幹部の父君と捜査を行うというところまで模倣してますね。

そして、それをちょっと崩して、語り手を作家名と同名とした有栖川有栖(火村英生シリーズ)。

火村英生シリーズと言ってしまいましたが、通常このシリーズは作家アリス・シリーズと呼ぶのが正調で、姉妹編の学生アリス・シリーズと対になっています。
設定も凝っていて、作家アリスシリーズの有栖川有栖が推理小説作家として書いているのが学生アリスシリーズ、学生アリスシリーズの探偵江神二郎が作中では誰にも見せずに書いていることになっているのが、火村英生の活躍する作家アリスシリーズ、ということになっています。

この3シリーズのなかでは、個人的に御手洗潔シリーズがお気に入りで、特に語り手石岡和己にことさらに心を寄せて読む傾向があります。
それはいつも石岡和己という語り手の人間像に大きな違和感を感じるからです。

しかしこの違和感の正体を詳述していくと「異邦の騎士」という作品の核心部分に触れてしまうため、ここでは作品によって石岡和己氏の性格があまりに異なっている、とだけ書いておきます。

そしてこの違和感を解く鍵を、僕は今回この短編集に見つけたのです。
鍵が隠されていたのは最後に収録された異色作『SIVAD SELIM』でした。

ここでも石岡氏は、他の多くの作品でそうであるように、引っ込み思案で行動をためらう人として描かれています。そして、これも御手洗と行動をともにするといつもそうなってしまうように、事態に巻き込まれ奔走する羽目になります。

今回は、外国人高校生の身障者のためのコンサートで審査員をつとめることになってしまいますが、そこで挨拶に立った石岡氏のしどろもどろのはずのスピーチに観客がドッカンドッカン湧くのです。
しどろもどろに喋った、と書いてあるからそうだと思うものの、話したことだけ抜き出して読んでみると、このスピーチは確かに面白くてイケている。

それで他の作品のヘタレ石岡ももしかしたら、作品内で事件の記録を記述をしている石岡氏が、自分を記述するさいに「謙遜」をしてるんじゃないのか、と思い当たり、これこそが、僕がいつも石岡という語り手に感じていた違和感だったのだと、確信した次第です。

そう考えると、あんなヘタレ思考の人間が、あんな凄惨な殺人の現場であんな八面六臂の活躍ができるはずがない!という場面がいくつもあったような気がしてくるのです。


作品の中に一歩階段を降りて入っていくと、そこでは殺人事件が起きていて、名探偵が捜査をし、語り手がそれを書き留めている。
しかしもう一歩、その語り手の書いた小説世界に降りていくと、そこに書かれていることが、一段上の作品世界とは異なっている、ということがあってもいいわけです。
まるでクリストファー・ノーラン監督の『インセプション』に出てくる夢の多層構造みたい!

とは、僕が勝手に思っているだけのことですが、この気付きを検証するため、また御手洗シリーズの再読に邁進してまいる所存です。
ご声援よろしくお願いいたします。


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2017年9月5日火曜日

僕とBABYMETAL、そしてゆいちゃんはなぜ、マジゆいちゃんなのか

たいへん今更な話で恐縮ですが、BABYMETAL、本当にいいですね。
正直、ファンです。


新参ファンだから、彼女たちの、快進撃などという言葉では足りない、奇跡のような足跡を目撃してきたファンたちのようには語るまい。
ただ自分の人生とBABYMETALとの間に起こった不思議な偶然だけをここに書いておきたい。

娘がまだ小さかった頃、一緒に観たアニメに『絶対可憐チルドレン』というのがあった。
この作品が一貫して掲げているテーマは「君たちはどこにでも行けるし、何者にもなれる」というもので、娘の将来を思う時、その考え方はとても大事なことに思えた。

そしてなんといってもこのアニメ主題歌がよかった。
可憐Girlsというユニットが歌う何曲かの主題歌をCD-Rにコンパイルして車でかけると娘が喜んで大声で歌うから、それが嬉しくてよく車で聴いた。
歌っている子たちが娘と同世代だということも親近感を持たせていた。

いつかアニメ放送も終わり、娘も大きくなり、車も不調で手放してしまったが、今でも単行本だけは買い続けている。現在49巻。

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友人たちのFacebookに時々登場するBABYMETALの歌声を聴いて、なぜかいつも昔聴いた『絶対可憐チルドレン』の主題歌を思い出していたが、なんと歌を歌っているSU-METALという子は可憐Girlsの一員だった、中元すず香だというではないか。
なにか、幼い頃の娘と親しくしていた友だちが立派に成長して、再会したような不思議な喜びを感じた。
だから、SU-METALのソロ曲「紅月-アカツキ-」「Amore - 蒼星 -」「NO RAIN, NO RAINBOW」では訳もなく涙が出てくる。

このような父兄目線で彼女たちを見ている僕は、とうぜんYUIMETAL/MOAMETALによるユニット『BLACK BABYMETAL』の「おねだり大作戦」にヤラれる。これはもう猛然と、為す術もなく、ヤラれる。
もうなんでも買ってやる、という気分になる。
そしてこの小悪魔を演じながら女の子のあざとさを歌うYUIMETALの表情はただの1ミクロンも悪びれず、天使のまま悪魔となるのだ。

確かにミルトンの失楽園にも、悪魔とはもともと神と袂を分かった天使ルシファーであると書かれている。
そんな小難しいものを引用しなくても、なんならデビルマンにだってはっきりそう描かれている。
この子はなんなのだ、原初の悪魔の末裔なのか、リアル天使なのか、いったいなんなのだ、と思っているうちに引き込まれ、そのうちにYMYという言葉に行き当たる。

YMY=ゆいちゃん、マジゆいちゃん。

結局大のアニメ好きになってしまった娘と一緒に長い間アニメ文化に親しんだ僕に、この言葉は極めてストレートに響いた。
説明するのも野暮な話だが説明させてもらう。
なるべく丁寧に説明はするが、分からない人にはどう説明されてもわからない種類の物事というのがこの世界にはある。
それはしかたがないことだ。

2010年にテレビ放送されたアニメ『Angel Beats!』に「立華かなで」という重要キャラクターがいて、強烈な戦闘力を持ち、無表情のまま反乱分子を制圧する。
その圧倒的な存在感から「天使」と呼ばれるが、話が展開していくにつれ、実は天然ボケなだけであったことがわかり、徐々にメインヒロインになっていく。
そんな彼女を、ファンたちは、
 『天使ちゃん、マジ天使』
と呼び讃えたのである。

まず前提として、誰々ちゃん、カワイイわー、というのを、マジ天使だわーというのは、その世界で通用する基本文型としてぜひご理解いただくとしよう。
でも、『天使ちゃん、マジ天使』という言葉が生まれた瞬間、その種の人々の頭に中にある『マジ天使』はAngel Beats!のキャラクターであるところの立華かなで=天使ちゃんと、あまりにも分かちがたく結びついてしまった。
天使ちゃんあってこそのマジ天使、と。

ところがここに、現実世界に舞い降りた天使であるところのゆいちゃんが現れてしまった。
自然、人々の頭には『ゆいちゃん、マジ天使』という言葉が生まれるだろう。
しかしこのフレーズが全体として立華かなで=天使ちゃんに専有されているから、これをゆいちゃんのために使うとなると、これはもう『ゆいちゃん、マジゆいちゃん』と展開せざるを得なくなる。

いまやワールドワイドとなったBABYMETALのこと、『ゆいちゃん、マジゆいちゃん』はYMYとなってグローバル化した。ロンドン公演のビデオには頬にYMYと書かれたゴツいROCKニイチャンが映っていた。なんて素敵な世界。
できることならこんな素晴らしい日々がずっと続くといいと思う。

核実験を成功させた北の国では、実験成功にあたって、「高高度核爆発もできるよ」と言及したという。
ということは、幹部の中には日本のアニメに通じていて『残響のテロル』をこっそり密輸して観てた人もいるんだろう。
その人にBABYMETALのDVDもぜひ観ていただきたいものだ。

とりあえず入門に観るならこれがイイと思います。


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2017年9月4日月曜日

スティーリー・ダン『ガウチョ』:ウォルター・ベッカーの訃報を聞いた朝、このレコードを聴く

ウォルター・ベッカーが死んでしまった。
67歳の早すぎる死。
病気療養中ということさえ知らなかった。

スティーリー・ダンのアルバムから一枚を選んで、これが一番好きだと決めることなど出来ないが、今朝は『ガウチョ』を聴こう。



各曲の演奏的な聞きどころを追いかけていけば『エイジャ』に及ばないかもしれないが、楽曲としてのまとまり、醸し出す時代感などアトモスフィアに優れたアルバムと思う。
『エイジャ』を聴いていると、どうしてもあのドラムソロが、あのギターソロが、という話になりがちだが、『ガウチョ』なら、やっぱり「ヘイ・ナインティーン」いいよね、だったり、オレは「バビロン・シスターズ」が、というような言い方になるだろう。
「ヘイ・ナインティーン」はバーナード・パーディーがドラムを叩いているが、この見事な縁の下っぷりはどうだろう。
そして、「バビロン・シスターズ」のウォルター・ベッカーによる見事なベースは。

各社の訃報ではウォルター・ベッカー(ギタリスト)とあったが、ベーシストとしてのウォルター・ベッカーは本当に素晴らしい。そしてその本領を最も発揮したのが本アルバムだろう。

この盤にはSACDが出ている。



非常に分離のよいマスタリングで、よい音、というならこの盤で申し分ない。
しかし、だ。
とても残念なことに少しベースの音が大きすぎる。
大きな音量で聴くときには少々尖って耳に痛いのだ。
そりゃウォルター・ベッカーの最高のベースプレイだから少しくらい大きくたってかまわないが、この曲の少し退廃を帯びた佇まいをぶち壊していることは間違いない。

ただし、小音量で聴く時にはこれが丁度よく聴こえるようになっている。
天然ラウドネスというわけか。

今日のように追悼を兼ねて浴びるように聴く時はレコードで、深夜彼を偲んで聴く時はSACDがいいようだ。

ガウチョ
ガウチョ
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