だから作品の背景には東西の冷戦が強くその影を落としている。
東西両陣営が秘密裡に用意した兵器が、想定外の事態で地球規模の災厄を起こす。
緑色の彗星のようなものが世界中の夜空に走り、それを見た者はすべて視神経を侵され盲目になってしまうのだ。
何らかの事情でその光を見なかった極少数の健常者が、世界の舵取りを委ねられる。
それだけではない。
これまた秘密裡に人工的に作られた、高品質の食用油が取れる植物「トリフィド」は、その圧倒的な繁殖性で安価な油が生産できるが、成長すると歩きまわり(!)動いていたり物音をたてるものを毒を持った鞭毛で襲うという異形の生物であった。
そしてこの災厄で世界中のトリフィドが成長を抑制する処置から逃れてしまい、盲目となった人間社会を襲う。
ウィンダムは、自らが設定したこの絶望的な世界の中で、様々な方法で世界を再建しようとする人間たちを描く。
あるリーダーは(登場するのは最後だが)、健常者(支配者)と目の見えないもの(被支配者)を適正な比率に配備し、役割や序列を徹底した、いわば封建領地のようなグループを束ねて、独裁国家を作る思想家だった。
まず軍備を固め、自らを臨時政府と名乗る。
マシンガンを片手に強制的に領地を拡げていく。
圧倒的に目の見えないものが多いこの世界で、このやり方は生産性が低いため、次々に缶詰などの保存食を確保していく必要があるから、略奪が基本的な戦略となり、必然的に領地の拡大が第一義となる。
別のリーダーは、世界の再建のために必要な物は、「知識」の再生であるという立場をとった。
作物を作る。機械類を作る。燃料を加工して作り出す。どんなことにも知識が必要で、本は残っていても実際に稼働させるには人の訓練が要る。
そしてこの生産力では、健常者のエネルギーはすべて緊急性の高い作物の生産に追われ、最低限必要な作物を永遠に作り続けることになり、いつか野蛮人の社会に堕してしまうだろう。
かつて、高い教育は、都市部でまだ生産に従事しない世代に施され、基本的に世界をまわしていく作物や燃料などの一次的な生産は田舎で賄われていた。(ここで田舎、という言葉が使われているのはこの作品がイギリスで生まれたことによるものである、という点に注意されたい。カントリーの持つ語感はイギリスでは貧しさではなく、豊穣さをイメージさせるものだ)
つまり知識の再生にはそのための「余暇」(=ギリシャ語で余暇をスコレーといい、これがスクールの語源である)を生み出す基礎になる労働力が必要だということになる。幸い、これから生まれてくる子どもたちには、失明の危機は訪れない。なるべく多くの子を産むことがこの社会を再建する鍵になると考えたこのリーダーは、キリスト教的な倫理観をいまこそ捨てて、自由恋愛を含む新しい道徳律の社会を作ろうと提唱する。
そこに反発してもう一人のリーダーが生まれる。
キリスト教の倫理観をあくまでも保持し、慈愛によって清貧に生きていくという考えに賛同する人たちが集まり、グループから分離する。
結果から言えば、このキリスト教による新世界の構築が最も早く頓挫する。
慈愛を何よりも優先する彼らは、原因不明の新しい疫病の患者を切り捨てられず、あっさりとコロニーごと滅んでしまうのだ。
軍事的な独裁国家もじりじりと小さくなっていき、新しい道徳律による社会はある程度の成功を収める。
新しい道徳律のグループが育て上げた労働力を背景に、今度は学校を作ることで、トリフィドとの戦争に立ち向かっていく決意を固めるところまでが描かれている。
ウィンダムが、このような極限状況を設定までして新しい世界の再建をイメージした背景には、現在もなお続く西欧社会の繁栄を支えたものが、結局のところ奴隷の労働力とその奴隷自身を商材とする三角貿易であった、ということへの罪悪感があったのではないだろうか。
ギリシャで高度な学問が発展したのは、奴隷が作ってくれた“暇”のおかげであった。
ローマ帝国の成功の一因は、戦争で戦うのはローマ市民で、その糧食は隷属する非支配国が税によって担うという分業構造が強い軍隊を長期間維持し続けたことにある。
大英帝国の繁栄も、産業革命だけでは成らず、奴隷三角貿易による莫大な原資があったればこそだった。
ウィンダムが物語の中でキリスト教を排除したことも、このことと関連していると思う。
博愛をうたうキリスト教が、黒人を奴隷として遇して良いとした根拠は、彼らは白人とは別の種だから、というものだった。黒人も白人も同じ人類であるという科学的根拠は進化論の中からしか生まれてこず、創世記と矛盾する進化論を彼らが認めるわけにはいかないということも、人種差別の撤廃への大きな障害のひとつとなった。
これは、過ちを過ちと認知する妨げが、この世界にはたくさんあるというウィンダムからの警告ではないか。
相変わらず、世界の何処かでいつも戦争は行われているし、領土紛争なら数えきれないくらいある。でも幸い二十世紀の大きな戦争もこの世界を滅亡には至らせなかったし、東西冷戦もなんとかやり過ごした。
本当に滅びてしまわなければ学べないとは思わない。
でも、少し大げさに聞こえるかもしれないけれど、例えば戦争とか、経済恐慌といったような世界が何度も経験したようなものじゃなくて、もっと「わかりにくい」危なさが近づいている時代なんじゃないかな、と思うことがある。
それは例えば、勤め先の会社から情報を盗んで、どこかに売りつけるという悪質な犯罪が起きた時に、みんなで嬉々として盗まれた方の不備を責めているのを見た時や、自身の弱さから禁じられた薬物に頼ってしまった人が更生に立ち向かおうとする時に、犯罪者に金を渡すなと言って過去の業績から上がる収益までも絶とうとするのを見る時だ。
過ちは今も目の前にあり、しかしそれはなかなか見えない。
これからの社会を作っていく子どもたちに、ぜひ「トリフィド時代」を読んでほしいと思う。
ジョン・ウィンダム
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