楽曲の展開のパターンのひとつで、簡単に言うと、まず主題が提示され(提示部)、その主題をさまざまに変形し、変奏する(展開部)。この緊張感のある(つまり主題からの逸脱)展開部を抜けた後、提示部の主題を再び繰り返す(再現部)形式のこと。
提示部の主題が第一・第二の二つの主題から構成されていることも考え合わせると、物語における起承転結にも似ているが、ソナタ形式の特徴はなんといっても再現部にある。
提示部で聴いた主題が、再現部で繰り返された時に、それが変奏を経ているがゆえに最初と違った心象風景を見せてくれる。
同じメロディが二つの顔を見せるのだ。
例えばそれは、自分が子どもとして育てられている時に、親の子育てを見てきて、今度は自分が親になった時にはじめて、あの時親が自分にしてくれたことの意味を識る、というようなことに似ている。
これがソナタ形式の醍醐味なのだ。
そして映画なんかを観ていて、この映画よく出来てるなあと感心するような時、脚本がソナタ形式に倣って書かれていることが多い。
今回観た「ジャッジ!」というコメディー邦画もそのような映画だった。
妻夫木聡、北川景子主演。
妻夫木くんは、本当にコメディーではイキイキとした演技をする。
清州会議でのバカ殿役も実に良かったが、今回のはもっといい。
以前、広告の仕事をしていたので、冒頭のきつねうどんのCFのプレゼンで、「宣伝部長がネコといったらネコなんだ」というくだりがなんだかちょっと懐かしいが、そのちょい役の宣伝部長をあがた森魚がやっているという無駄な贅沢さがこの映画のクオリティを物語っている。
第一主題は、このあと、妻夫木くんが青森時代に憧れていた女性と東京で再会し、自分が本当にやりたかったことを思い出し、そのきっかけになった靴のCMのビデオをプレイバックするというカタチで奏でられる。
そして、役者として進境著しいリリー・フランキー演じる窓際社員から、第二主題が繰り出される。
ダメ社員の妻夫木くんが何故かアメリカの広告祭に審査員として派遣されることになり、英語も話せず、CMプランナーとしての実績もない彼に、リリー・フランキー扮する窓際社員が、これだけ覚えていけ、という英文をいくつかと、簡単な“芸”を授ける。
これが第二主題として機能する。
(当然のことだが)付け焼き刃の英語は、現地でとんちんかんなドラマを生み出す。
第二主題は、シチェーション・コメディの中でさまざまに変奏される。
その騒動の裏側で、第一主題に据えられた靴のCMもその作者の心境の変化として変奏している。
このお互いに関係しあって変奏を作り出していく脚本が実に巧みなのだ。
そしてピンチに陥って肚をくくった妻夫木くんが、それしか知らない「第二主題」を、大きく変化した状況の中で純粋に再現する。そして、事態があるべき姿に収束していくのだ。
で、ここのところが、この映画の面白さのコアなので詳しくは書かないが、実に見事だとだけ言っておく。
傑作なのである。
逆の例も挙げておく。
同時期に公開された西島秀俊、キム・ヒョジン主演のサスペンス「ゲノムハザードある天才科学者の5日間」 だ。
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冒頭から死体消失や、その死体からの電話など不可解な“美味しい”謎が提示される本格ミステリー。
原作はサントリーミステリー大賞受賞作。
で、この美味しいはずの謎は、すでにタイトルにてネタばらしされている。
そう、イラストレーターとして登場した人物は、実はとある天才科学者であることがすでに知らされているのである。
そして、畳み掛けるような“偶然”の連続で、物語は真相へと向かうのである。
真相がわかってみると、物語の起点すらもある不幸な偶然から始まっていた、という始末だ。
せめて何かの陰謀があって欲しかった、と思ってしまうほど必然性の薄い物語。
当然、ソナタもこなたもないのである。
だからといって、この映画が面白くなかったと言いたいのではない。
西島秀俊のかっこいい疾走シーンはおそらく日本映画史にくらいは残りそうな名場面だったし、キム・ヒョジンのどこまでも感情にストレートな演技も好感の持てるものだった。
シナリオもすべからくソナタ形式でなければならないというわけでも、もちろんない。
それでも「ソナタ形式」の応用が、観ているものを因果のサークルの中に捕らえて、その世界を体感させる仕掛けとして、やはりひとつの有効な手段であることを、このふたつの映画の印象は証明しているのではないかと思う。
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