20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2009-11-06)
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お話は、シングルマザーの母親に将来を期待され、苦しい生活をやりくりして大学を卒業させてもらった、スカーレット・ヨハンソン演じる主人公の女性アニーが、ゴールドマン・サックスの面接で、「あなた自身のことを自分の言葉で表現して」と問われて、答えられないところから始まる。
「私って、誰?」
この躓きひとつで、彼女は就活そのものを放棄しちゃったわけだから、相当なショックとして描かれているわけだ。
だからココは、コメディとして流さずに、慎重に吟味してみる必要があると思う。
人の親ならば誰だって、自分自身が気づかないうちに、自分の人生への後悔をその深い愛情の裏側に隠して、子どもを育てていく。
何かの願いを込めて付けられた名前。
進路を選び取る度に繰り返される自分の経験からのアドバイス。
しかしその愛情の真の意味は、子ども自身が親と同様の経験をした時にしか正しく認識されないものだ。
映画では、その気付きを引き出す道具立てとしてイーストアッパーサイドの奥様に雇われる「子守(ナニー)」という仕事を用意したわけだ。
そして映画は、アニーの「成長」を描き出す。
昔お世話になった哲学の先生に発達心理学で言う「イノセンス」という言葉を教わった。
子どもは、どんなに選択の自由がある環境下であったとしても、絶対に「親」だけは選ぶことができない。
言うまでもなく、選択には責任が伴う。
でも子どもであるうちは、選択と絶対的に無縁な「親」という存在を持っているから、うまくいかないことはすべて親のせいにすることができる。
「こんなふうに僕を産んだから」という魔法の一言で。
この状態を「イノセンス」と言っているのだそうだ。
そして、その呪縛から逃れ、すべてのことは自分の責任だと受け入れることが出来た時、人は大人とよばれるのだ。
アニーは、一連のMr.X一家との騒動を経て、母親が行かせてくれた大学の影響下にない進路を自分の手で選び取ろうとするようになる。
これがアニーの成長だ。
しっかりした成長物語という背骨があるからこそ、この映画はコメディとして存分に楽しめるのだと思うなあ。
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