2013年5月26日日曜日

アンナ・ネトレプコの「椿姫」

故黒田恭一氏の「オペラへの招待」は、米倉斉加年さんの素晴らしい挿画も含め、オペラ入門者に実に優しい本だ。

知識なんかないほうがいい。
とにかく聴くのだ。オペラは「音楽」なのだから。
という黒田氏の言葉は、これからオペラを楽しもうと思う者に勇気を与えてくれる。


その黒田氏が、知人に「まず最初に何を聴いたらいいでしょうか」と聞かれた時、まず勧めるのがヴェルディのオペラ「椿姫」だと書いてあった。

クライバーのグラモフォン・ボックスに全曲収録されているのに聴いたことがなかった。
さっそく聴いてみたが、なんだか古臭い音楽に聴こえた。
オペラで最初に聴いたのがモーツァルトの「魔笛」で、次がもういきなりワーグナーの超巨編「指環」、そしてまたモーツァルトに戻って「フィガロ」と聴き進めてきたのだから、イタリア・オペラに馴染みがなかったのだ。

そうこうしているうちに、いつもクラシックのことを教えてくださるお師匠さんが、これ聴いてみ、と持ってきてくださったのが、今をときめく美人ソプラノのアンナ・ネトレプコの歌う椿姫からのデュエット集「Violetta」の珍しいLPレコード。
CDは容易に入手できるが、このレコードは貴重だ。


しかし綺麗な人ですね。
ヴィオレッタは、この椿姫のヒロインの名。
不思議なもので、この人が歌っているのか、と思うとなぜか、やっと運命の純愛に巡りあいながら「世間」というものに引き裂かれていく悲しい娼婦ヴィオレッタの恋が、すっと胸に入ってきて、このオペラの持っている悲しさ故の美しさに気付くことができた。

演奏者の「顔」でCDを選ぶのは悪癖だとよく言われる。
確かに音楽なのだから、演奏で評価すべきなのだろう。
でも僕は、人間の芸術に対する感性は、そのようなシンプルな構造にはなっていないように感じる事が多い。

作曲家の人生を知ってから、今までつまらないと思っていた楽曲の素晴らしさが急に見えてきたり、演奏家が変わることで、楽曲のイメージが180度変わってしまうことなどよくあることだ。
「顔」だって、僕達の審美的感性になんらかの影響を与えても不思議ではないと思う。

黒田氏は、「知識なんてないほうがいい」と言いながら、このような素晴らしい本をお書きになって、僕らに音楽の見る「目」を変えてくれるのだ。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿