BS朝日で放送されていた、映画「ミス・ポター」を観た。
ポター、とはピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターのことで、だからこれは伝記映画ということになる。
別段、ピーター・ラビットに関心があったわけではないが、先日読んだコニー・ウィリスの「犬は勘定に入れません」と同じヴィクトリア朝時代が舞台と知り、童話作家の側面からイギリスが迎えた大きな時代の変革期をどのように描かれるのか興味があった。
なんだかんだ言っても、世界が今こういうカタチになっている変化の大本はだいたいヨーロッパにあるのであって、動乱の因果が目に見える形になる以前に、ヨーロッパの各国でどのような下地が作られていたのか、知っていればいるほど理解が深まるだろうと思ったのだった。
果たしてこの映画は、まさにその期待に応えてくれるものであった。
多くの革命を経て、王権の軛(くびき)から逃れ、自由を手にしたはずの「市民」社会も大きな軛を外してみれば、その下に家族内での父権や結婚に関するあれこれ、女性の自立に対する偏見などが根深く残っていて、より人間そのものに近い位置にある偏見ほど頑なだ。
現代において、我々個人の自由が保証されていることが、このように長い時間をかけて、有名、無名の人たちが自分自身の人生に悩み、行動した結果なのだということにあらためて思いを馳せる。
それにしてもビアトリクス・ポターは幸いだった。
偏見に深く囚われた母親はいたが、芸術家を志したものの家柄から夢を断念した父親が、彼女の魂の叫びには感応する心を持っていたからだ。
上流社会では「愛」と「結婚」は別物で仕方がないのだ、という観念を、弟のような駆け落ちではなく、言葉の力で突き破ったビアトリクスと、それを受け入れることができた父親。
このような心の声に耳を傾ける姿勢の重要さは、社会に自由の意義が浸透した現在であってもまったく変わらない。
愛する娘にとっての良き父親でありたいと願う自分にとって、心の声は聞こえているのか、こんなふうに振る舞えるのか、まったく他人ごとではないぞ、などと考え、落ち着かない気分で、むしろそこにハラハラしながらこの映画を観た。
精進したいと思う。
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