最近気に入って読んでいたブレット・ザ・ウィザードが4巻で完結した。
様々な魔法が刻み込まれた魔法銃をタネとしかけが命のマジシャンが上手に使いこなして、カネや地位を求めて魔法銃を悪用しまくる権力者をやっつけていくという筋立てがいい。
そしてその魔法銃なる不思議アイテムの出処がなんと・・・というオチもまずまず。
しかし、本当にこの漫画が面白いのは、例えば一度使った薬莢をリサイズして、もう一度弾丸として再生する手順を詳細に描いたり、まだ「羽が生えてた」頃のアメ車の当時流行した改造なんかにこだわってみせたり、コルトやS&W、ワルサーなんかの様々なバージョンのメリット・デメリットなんかを語るところだと思う。
趣味性全開なのだ。
ホント、男っていつまでも子どもだよねえ。
でもそれが楽しいんだよねえ。わかる、わかるよっ!!とついつい、批判されてもいないし、頼まれてもいないのに擁護してしまう。
それに、細部をゆるがせにしない描写は、魔法銃なんていう科学的根拠を持たないアイテムを扱うからこそ、それをとりまくものにリアリズムを追求したのだろう。
魔法銃に魔法を追加して書き込むときに「エッチング」という技術を使うのだが、書いてる人、これ間違いなくやったことあるよね?と思うくらい精緻な表現で、エッチング教本(なんてものがあれば、だが)の挿し絵としても充分通用しそうだ。
でも好きで読んでいた自分から見ても、このサイズがちょうどいいお話だったと思う。
だから、人気があるからとずるずる連載を延ばしてみっともない作品になってしまうよりずっと良かったと思うのだが、作者にしてみればそうも言っていられないだろう。
事実作者のコメントを読んでも打ち切られた感たっぷりで、こんなエピソードも入れたかったと恨み節が漏れていた。
ちょうど姉妹誌で浦沢直樹のビリーバットが連載中だが、両者の話運びはなんとも対照的だ。
ブレット・ザ・ウィザードでは、伏線が「コマ」単位で張られるのだが、浦沢作品では、伏線は「エピソード」単位で張られる。
普通伏線はそうとわからないように張るものだが、浦沢作品では、これは伏線ですよとはっきりわかるように書いている。
だから結末がすごく気になるのだね。
まあ、あげくに回収されなかったりするものがあるもんだから、20世紀少年の時のように読者の不満が爆発することもあるし、多すぎる伏線は、そのまま物語のサイズが大きくなることを意味して、結果散漫な作品になることも珍しくない。
それでも掲載誌サイドとしては、これはありがたいだろう。
次を読みたいから必ず雑誌を買ってくれる。部数が出れば、広告掲載費も上がって収益性が高くなる。
しかし私のように雑誌は買わず、気の利いた漫画を単行本で読みたいと思うユーザーは、小さいけど宝石のように輝く作品のほうが嬉しいはずだ。
商業主義が万能な現代(いま)だけど、打ち切りの結果、ではなく意図してこのような完成度の高い作品を書く作家さんがいなくならないよう、その素質があると思われるブレット・ザ・ウィザードの作者園田健一氏の次作に期待しようと思う。
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