淀川長治の世界クラシック映画100選というDVDシリーズで観たのだが、映画を観る前に淀川先生の解説がはじまり、結末までおもいっきりネタバレ食らわしてた。
未見の方はご注意いただきたい。
当記事も、もっと詳細なネタバレを含んでいるので、こちらにはもっとご注意ください。
NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン (2015-06-24)
売り上げランキング: 26,938
売り上げランキング: 26,938
だいたい名作映画というものは若い時に観るもので、そしてたいてい若い時にはわからないことが描かれている。
この映画については、もう主題から読み違えていたことがわかった。
今観ると、第三の男が誰かとかはどうでもいいですね。
映画は、第二次世界大戦で破壊され、米ソ英仏四国の共同統治となったウィーンが舞台となっている。
エリアで分かれているのではなく、警察機構も四国の警察官がひとつの警察を組織して捜査にあたっているので、各国の優先順位の違いがお国柄のようなものを表していて興味深い。
特に、異なる価値観を「しょうがねえな」と許容しながら、共通のゴールを目指していく西欧サイドと、あくまでも官僚的にことを運ぼうとするソ連の動き方が、後の冷戦構造を想起させたりして。
ウィーンの街はいたるところが破壊されているが、やはりあくまでも美しく、それゆえに破壊の爪痕が、その痛々しさで心を刺す。
広大な下水道は、下水道なのに美しく、彼の国の美意識に嫉妬を覚えざるをえない。
見えない、しかも汚水を流す場所をあんなふうに綺麗なアーチで構築するなんて。
さて「事件」の本体である、ペニシリン密売事件は実際に戦後のウィーンで横行していた史実のようです。
「殺人事件より密売かい」と問いかけるアメリカ人作家に、捜査官の少佐は応えず、被害者が収容されている病院へ連れて行きます。
社会がいくら歪んでも、道義を失ってはならない。
ここにこの映画の重要な主題が隠れている、と今回思いました。
その後アメリカ人作家は、旧友であり「第三の男」であるハリー・ライムとの決着に赴きますが、そこでのハリー・ライムの台詞
「ボルジア家支配のイタリアでの30年間は戦争、テロ、殺人、流血に満ちていたが、結局はミケランジェロ、ダヴィンチ、ルネサンスを生んだ。スイスの同胞愛、そして500年の平和と民主主義はいったい何をもたらした? 鳩時計だよ」を考えてみましょう。
ルネサンスを直接的に生んだのはメディチ家ですから、ここでわざわざボルジア家を選んでいることには意味があるのでしょう。
僕はボルジアの名は塩野七生さんの「チェーザレ・ボルジア、あるいは優雅なる冷酷」ではじめて知りました。
塩野 七生
新潮社
売り上げランキング: 6,663
新潮社
売り上げランキング: 6,663
チェーザレの父がアレッサンドロ六世で、教皇の権力による現世支配を強く推し進めた人物です。
この宗教的絶対が生んだ独善的支配がスイスの民主主義と対置されているのですね。
金のためという「絶対」を、被害者が出ることを省みない独善がドライブするという、ハリー・ライムの性質を表現しているのでしょう。
そして鳩時計。
平和をイメージする鳩とスイスの主産業である時計を結び合わせて鳩時計と言ったのでしょうが、むしろ鳩時計はドイツでよく作られていたものだそうで、このあたりも、見もせず決めつけるハリー・ライムの独善性を表現しているのだと思います。
そしてあのラストです。
ハリー・ライムの旧友と恋人。
彼らの心に残る、面白くて陽気なハリー・ライムの思い出は消えない。
しかし、事件をきっかけに知り合った二人の人生が交われば、その先では、その思い出自体を少しずつ汚しながら生きていくことになる。
ナチスドイツに解体されたチェコから逃げてきた彼女には、祖国は戻りたい場所ではすでになく、しかし戦後処理で密入国者は強制送還されてしまう。
ハリー・ライムとの思い出の重みが、旧友と恋人ではまったく違ったのです。
まっすぐに視線をそらさずに生きていく人生だって、しんどいと思うけど、あの厳しい恋人の表情が、大切なモノがなんなのかわたしにはわかっている、と言っているようだった。
そしてそれが僕にはちょっと羨ましかったんだな。