2013年11月27日水曜日

ベント・エゲルブラダ・トリオの「A BOY FULL OF THOUGHTS」が本当に素晴らしい件

以前勤めていた会社の先輩から教えていただいた、ベント・エゲルブラダ・トリオの「A BOY FULL OF THOUGHTS」が本当に素晴らしい。


ベント・エゲルブラダは、日本ではほとんど無名のスウェーデンのピアニスト。
しかしやはり熱心なファンはいるもので、この盤は「子供」と呼び習わされた人気盤なのだそうだ。確かにYoutubeを覗いてみるとタイトルトラックのA BOY FULL OF THOUGHTSの動画がたくさん見つかる。


現在手にはいるこのCDは日本では無名の良質なジャズを発掘するのがうまい澤野工房から発売されている。が、いかんせん安定的に供給できるようなレーベルではなく、見逃せば入手できなくなる可能性が高い。
なるべく早く入手すべきと思う。

ほとんどがオリジナル曲で構成されており、どの曲も高いオリジナリティがありながら一人よがりにならない、名曲に特有の輝きを放っている。

まず一曲目のタイトル曲が本当に素晴らしいのだ。
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番をご存知だろうか。
冒頭の重苦しいマイナー・コードがこの曲の荘厳さを決定付けているが、これとよく似た導入部をエゲルブラダはジャズに持ち込んだ。
そして稀代のメロディ・メーカー、ラフマニノフ以上にキャッチーな「ツカミ」フレーズで本編を幕開ける。
天才なんだな。

カバーは二曲で、一曲はコール・ポーターの「What is this thing called love」だ。
ビル・エヴァンズのポートレート・イン・ジャズでのバージョンがあまりにも有名だが、確かにあの演奏はお三方とも神がかっていて、あれ以上の演奏をしろという方が酷だ。
ラファロのテンションに呼応して次第に手が付けられなくなっていくエヴァンズの天翔けるピアノにはおそらく今後も誰も追いつけないだろう。
しかし少なくとも前半部ではエゲルブラダの狂気が瞬間上回る時間帯があったと思う。もしラファロがもう少しだけでも長生きしてくれて、エゲルブラダと演ってくれたらどうなっただろうと想像せずにはいられない。

もう一曲、こちらもスタンダードでマンシーニの「酒とバラの日々」
こちらもオスカー・ピーターソンの歴史的名演がある。
ゴージャスでシュアーなピーターソンの堂々たる名曲の名演に対し、エゲルブラダの「酒とバラの日々」は、酒場でリラックスした時のような演奏で、ゆるやかなテンションで、流れていったかと思うと、突然おしゃべりになったり、シャキっと立ち上がったり。
なんて饒舌なピアノなんだろう。

で、どうしてこの素晴らしい盤がこんなに無名なんだろう。


なぜメジャー・レーベルでは、このような隠れた名作を発掘できないのだろう。

近年、音楽パッケージは配信に押されて売上が苦しく、評価の定まらない新譜を出したり、それがいくらいい音楽であっても無名のアーティストの作品を出したりというリスクを負えなくなった。
だから一定の顧客層にもう「名盤」との評価のさだまった音源を何度も買わせようと、ハイスペックな素材を盤に使って音が良くなったように見せかける呆れた商法が横行している。

CDの音質は確実に良くなっているが、一部マスタリングの拙い状態でリリースされたものもあり、リマスタリングには一定の価値を認めるにやぶさかでないが、近年のリマスタは、ラウドネス・ウォーと呼ばれるように、パッと聴いて音質が良くなったように感じるようにどこまでレベルを稼げるかの競争になり、弱音のニュアンスを塗りつぶしてしまうpペッタンコな音のCDが大量発生した。
これを問題視する識者の声はメーカーに届き、今度は猫も杓子も「フラット・トランスファー」だと言い出した。ふう。

また紙ジャケなるパッケージ商品ならではの切り口で、え、また「メインストリートのならず者」出ちゃうの?しょうがないなあ、で買ってくれる人たちだけを相手に商品を供給している。

そしてそれは、自由主義経済の地に生きる我々消費者の責任だ。
良い音楽を自分の感性で選ばず、誰かが名盤だと言ったから買うという消費スタイルが横行する世で、誰が無名の天才アーティストの作品を市場に問うというのか。
しかしだからこそ音楽を商材にする者は、市場を育てることこそが成功への王道なのではないか、と僕は思うんだが、まあこんな無責任な話に耳を貸すほど業界もヒマじゃないよな。


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