2013年8月19日月曜日

崇高さと愚かしさのブルース - 佐野元春「Zooey」

2013年3月13日、自身の誕生日に発売された佐野元春のアルバム「Zooey」を折りにふれ聴き続けてきた。
五ヶ月の間に、少しづつ言葉が耳に残り、ようやくこのアルバムに託した元春の願いのようなものが聴こえてきたような気がした。



前作「Coyote」で急速に喪われた佐野元春の「声」は、デビュー以来彼の声に励まされ続けてきた僕にはキツかった。
でも札幌でのライブを観て、声の輪郭は少し変わったが、彼のマインドがちっとも変わっていないことを確信し、そうしたらCoyoteアルバムが持っていた「二十一世紀の荒地」というコンセプトが、すうっと胸に入ってきた。

佐野元春はこのアルバムで歌われる「荒地」についてこう言っている。
たそがれてゆく文明。テロに怯え検閲と監視の元に生きる荒地、言葉と愛への不信が募るだけの荒地、命が手軽で便利な形式へと下ってゆく荒地、未来を気にしていたら現在の生に絶望してしまうような荒地。

そういうものの中に気高い存在としてすくっと立つコヨーテの姿を僕はこのアルバムの最後を飾る「コヨーテ、海へ」に見たのだ。


そしてZooeyの「詩人の恋」でも同じように、困難に立ち向かう、君に光を集めるためならなんでもする「黄昏の兵士」が描かれている。
そして、この孤高の兵士の歌に対置するように「人間なんてみんな馬鹿さ」と歌われる「君と一緒でなけりゃ」が直前に置かれている。

崇高さと愚かさ。
どちらも自分で、どちらも現実。

自分の利益を優先する人たちの中で、なかなか筋の通った解決に至らない原発のことにも、建前ばかりを繰り返して、本当の気持ちが見えてこない近隣国家との揉め事にも、きっと深く悲しんで傷ついているけれど、やっぱり歌で、言葉の力で、彼は僕達に伝えようとしている。

皮肉な言葉使いで結論を押し付けようとはしない、いつもの誠実な佐野元春の言葉。
「人間なんてみんな馬鹿さ」なんて歌って、皮肉に聴こえないシンガーはきっと佐野元春しかいない。
政治の世界に自分が出て行って何百分の一の発言者になったって何も変えられないのは分かりきっている。
拳だけを振り上げても、何も変わらないのは分かっている。
だから彼はありったけの声で叫ぶ。
もう若くはないその声で叫ぶ。
「人生は美しい」と。
でも「人生が美しい」と知った時には僕らはもう身も心も傷だらけになってるんだ、と。

彼の言葉はいつもリアルで痛い。
しかしそうやって、生きるということの歓びと、本当の意味で人間がどうしようもなく繋がったままでいるしかない社会との絆を回復させようと心を砕いているのだ。
そう、ゾーイーがフラニーに対してそうしたように。

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