2013年8月17日土曜日

コニー・ウィリス「エミリーの総て」 - 愚かしさの選択についての物語

SFマガジンでコニー・ウィリスの特集を組んだのは知っていた。
しかし文芸雑誌には、連載小説があったりするものだから、毎号買わないと十全に楽しめない気がして購入をためらっていた。

そうしていると、コニー・ウィリスを僕に教えてくれた友人が、どうせ棄てるものだから、とその特集が載った7月号を持ってきてくれた。
持つべきものは善き友である。


お目当ては本邦初訳短編小説の「エミリーの総て」
本を持ってきてくれた友人によると、「イヴの総て」という映画に題材を得ているらしい。

おおそれでは、先にそいつを観ておかなくては、とまず近所のTSUTAYAに行くも「お取り扱いありません」と。
仕方ない、名画らしいし買おうと調べてみるも現在はワンコイン版しか生産していない。
僕はあのワンコイン版で映画を観ると、映画そのものがみすぼらしく思えてしまう質で、すでに生産を終えたスタジオ・クラシックス版の在庫を求めてタワー・レコードまで出かけたが、既に在庫はなく、最後の手段のワンコイン版すらも大手書店にも見当たらない。

困ったなあ、と思っていると件の友人が、スタジオ・クラシックス版を貸してくれた。
本当にありがとう。


この映画がまた本当に素晴らしかったのだが、ここまでの手間をかけて準備をして読んだ「エミリーの総て」もまた本当に素晴らしかった。



「イヴの総て」という映画はまさに名セリフのオン・パレードなのだが、短編「エミリーの総て」は、その名セリフを、直接的にも暗喩的にも縦横に引用していて、その作家的技量に興奮する。
やっぱり先に観ておいてよかった。

本作は、一言で言えば「人工知能」もので、「意思」と「プログラム」に本質的な差異はあるのか、という今となってはいささか古典的ともいえるテーマを基底に置いている。
しかし、そこに「演技をする人間」の存在を挟み込んだ時に「意思」と「プログラム」の差異はさらに曖昧になっていき、だからこその生の意味深さが際立っていく。
そんな仕掛けでこの短編は、そのサイズに見合わない深長な奥行きを獲得している。

用意されたシナリオを表現するための表情、セリフ回し、衣装。
そして、プログラムを実行するための機構。
突き詰めていけば、それらの間に本質的な差異などないのだろう。

変換の癖を覚えて賢くなっていくコンピュータのインプット・メソッドのように、経験を抱き込んで環境への適応度を高めていく自己変革プログラムを組み込んだAIは、「成長」ですらプログラムされている。

本作はその「成長」が意外な方向に向かい、それに翻弄される人々の姿を描くが、そこに通底しているのは、損得勘定では決して理解できないのに、しかし誰にでもそのほうがいいと思える「愚かしさ」を選択できる人間の愛おしさだ。

今まで読んだウィリス作品にも始終感じた手ざわりが、この短編にもより純度高く練りこまれていた。
傑作だと思う。

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