2013年8月17日土曜日

マリリン・モンローは「イヴの総て」で観よう

名画「イヴの総て」を知ったのは、コニー・ウィリス経由だった。
現代アメリカSFの女王と言っていい作家、コニー・ウィリスの特集がSFマガジンの2013年7月号に組まれ、そこに掲載された短編「エミリーの総て」が面白いよ、でも「イヴの総て」という映画を下敷きにして作られてるから出来れば、映画を観てから読んだほうがいい、と友人から聞いたのだ。

その映画を観るのにまずは一苦労した。
まず近所のTSUTAYAに行くも「お取り扱いありません」と。
仕方ない、名画らしいし買っちゃおうと調べてみるも現在はワンコイン版しか生産していない。
僕はあのワンコイン版で映画を観ると、映画そのものがみすぼらしく思えてしまう質で、すでに生産を終えたスタジオ・クラシックス版の在庫を求めてタワー・レコードまで出かけたが、既に在庫はなく、最後の手段のワンコイン版すらも大手書店にも見当たらない。

困ったなあ、と思っていると件の友人が、スタジオ・クラシックス版を貸してくれて、やっと観ることが出来た。
持つべきものは善き友である。


さて、「イヴの総て」と言うからにはアン・バートン演じるイヴ・ハリントンが、手をつくして演劇界でのし上がっていくサクセス・ストーリーかと思いきや、いやまあそれでもあながち間違ってはいないのだが、何しろベティ・デイヴィスがすごいのだ。

ベティ・デイヴィスという女優さんの出演作を僕は「八月の鯨」しか観ていなくて、往年の名女優が実年齢の役で出演し人生の黄昏を演じるというコンセプトを十全に味わえなかったわけだが、ここでやっと全盛期のベティ・デイヴィスに出会えた。

ここでも彼女は現実に近い役を与えられ、全盛期であるがゆえにこの後訪れる衰えを恐れている。
しかし、愛や生というものはその時々のものを慈しめば良いのだと気づいてから「別人」のようになる、という演技が本当に別人になってしまったようなのだ。
その時のベティ演じるマーゴ・チャニングは本当に光り輝いて見えた。
その鏡像のように、印象を変えていくイヴもベティの演技あってのものだろう。

それに、この映画でチャンスを掴んでブレイクしていくマリリン・モンローの纏うこの特別な空気感は何だろう。
そこにいるだけで場の空気をさっと攫っていってしまう。
その後の主演作では観ることのできなくなった、スペシャルなマリリンがここにいる。



この映画に用意された台詞は、どれもハイセンスなユーモア精神によって磨きぬかれたもので、聞いていると「舞台芸術っていいもんだなあ」と思わされる。
演出家役や脚本家役が時折興奮ぎみに語る演劇論も実にいい。

人気商売ゆえのいろいろもあったりするんだけど、やっぱり舞台っていいよね、という演劇賛歌なのだと思う。

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