2017年6月21日水曜日

映画『怒り』:当事者になりそこねた男

吉田修一原作の『怒り』を、李相日の映画版で観た。
三人の男のうち、誰が殺人犯なのか、といってもミステリで言うフーダニット(Who done it?)とは根本的に違う。
物語に探偵役は不在で、そういう視点で考えさせられているのは観ている我々だけだし、それも中盤くらいでだいたい予想がついてしまう。

むしろ驚愕するのは、あまりにもあんまりな動機で、これじゃ「怒り」じゃなくて、「キレ」だろ、と思う。
しかし、そういって片付けてしまうには、このような「キレ」は、現代社会のあちこちに遍在していることに気付かされ、そうか、これこそが主題であったかと腑に落ちる。


カタカナで書く「キレる」が、日常生活で違和感なく使われるようになったのは90年代くらいからだろうか。
キレる若者、という言葉をよくメディアで見かけた。
関西の芸人さんなんかがテレビで、もう腹立って血管ブチ切れるわ、のような用法で使っているのを耳にしていた記憶がある。
この血管の切れるイメージから、「怒る」=「キレる」となったものだろう。

00年代になると、モンスター・ペアレンツのような「キレる」大人、そして暴走老人などと呼称される「キレる」老人まで登場し、 世代を超えて、この国に「キレ」が流行している。

50年代の英国文学界には、「Angry Young Men」=「怒れる若者たち」という言葉があった。
既存の社会秩序に不満を持ち、古い価値観に背を向けた若者たちを指す言葉で、同時にそういう人物像を文学作品に描いた作家たちも同じ名前で呼ばれた。
ジョン・オズボーンの戯曲『怒りをこめてふりかえれ』を起源とするらしい。

こういったアティチュードは70年代のパンク・ロックのムーブメントに引き継がれた。
エルヴィス・コステロが出てきたときもこのキャッチコピーを纏っていたというから、パンクというジャンルを超えた、時代の空気のようなものになっていたのかもしれない。
今でも社会規範よりも個人の美意識を重視する行いを「ロックだねえ」などと言って、褒めたり揶揄したりするのはこのあたりに起源があるのだろう。

そしてこの文脈での「怒る」という言葉を、現代日本における「怒る」=「キレる」にストレートに代入したくない気分については、きっと皆さんにもご賛同いただけるものと思う。
どちらも自分以外が持つ価値観に対しての不寛容なわけだが、赦していないものの大きさがあまりにも違いすぎるのだ。

映画の話に戻れば、犯人が潜伏していた部屋に一面に貼られた新聞紙に書かれた怒りの対象は、どれもこれも日常にありふれた極めて個人的な行き違いだ。
それが「キレる」までに至ってしまうのは、その怒りに行き場がないからだろう。




この映画『怒り』には、現代日本に根を張ったいくつかの問題が描かれている。
法的な家族制度と同性愛の問題。
沖縄の基地をめぐる反対運動のあり方と、現地での米軍の実態。
経済格差そのものを絶望的な状況にまで変えてしまう対症療法な政策。
いずれも、長い時間をかけて作られた社会の仕組みや、どうしようもなく心に根付いてしまっている固定観念の中でにっちもさっちも行かない現実がある。

ある者は逃げるだろう。
ある者は戦えるかもしれない。
そして、ある者は「キレる」しかなかったのだ。

そしておそらくそういう者たちに、周囲からの差しのべられる手について、この映画では(おそらく原作でも)最も念入りに考察して描いていると思う。
問われているのは「信じるかどうか」だけではない。
手を差し伸べることは当事者になることだ。




当事者になる決断で、幸せを手繰り寄せた者もいる。
そして当事者になったことで人生を大きく狂わせてしまう者もいる。
でも一番悲しそうだったのは、当事者になりそこねた男だった。

この映画の核心はそこにある、と僕は思う。

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2017年6月17日土曜日

『映画 聲の形』に刻まれた音の形

TSUTAYAさんが、新作も100円という信じられないバーゲンをやってくれてたので、『聲の形』を借りてみました。

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原作は大今良時さんの少年漫画『聲の形』。
そのオリジナル版は、第80回週刊少年マガジン新人漫画賞の入選作でした。
しかし入選はしたものの、聴覚障害者へのいじめというきわどいテーマのため、入賞の副賞としての雑誌掲載は見送り。
デビュー作は、あのマルドゥック・スクランブルのコミカライズとなりました。
その後、編集者の尽力で、『聲の形』は、全日本ろうあ連盟などとの協議を重ね、リメイクしての連載の運びとなります。

それでもやはりデリケートなテーマです。
不安を拭い切れない編集部が様子を見ようと、読み切り版のリメイクを作らせ、それを先行掲載したところ、批判的な意見もあったようですが、それをはるかに上回る歓迎の声が寄せられ、長期連載となったものです。


アニメーション制作は京都アニメーションが担当し、けいおん!の山田尚子さんが監督。
開始早々、主人公らしき男の子が、大金を母親らしき女性の枕元に置き、最終日と書かれた日以降を破り取った意味深なカレンダーを持って大きな橋の欄干の上に立つという展開。


川辺で少年たちが遊ぶ花火にを見て、自殺を思いとどまるシーンのあと、少年時代に時間を巻き戻してオープニングへ。
音楽はTHE WHOの『マイ・ジェネレーション』


とくれば、カンのいい人はすぐあれか!とお思いのことでしょう。
そう。モッズ映画の大傑作『さらば青春の光』です。
旗まで持ってるしね。

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タイトルロゴにそっくりなTシャツもこっそり着せたりしてますね。


映画『さらば青春の光』では、ラストシーンで海岸からスクーターを乗り捨てさせ、青春時代の終わりを暗示させています。
このラストシーンは山田監督の手がけた『劇場版 けいおん!』にも引用されています。
大好きなんでしょうね。
そしてこのラスト、自殺を示唆してはいるものの、映像だけ観ていると結局男がどうなったのかは描かれてないんですね。



で、もう一度観ると、冒頭に、夕日の中、男がこちらに向かって歩いてくるというシーンがカットインされていることに気付くんです。


この冒頭部とラストを繋いで、死と再生の円環を示唆する表現こそは、 青春時代は終わったが、ここから本当の意味での彼の人生が始まるという暗示であり、これを引用した『聲の形』では、物語全体の構造を提示する重要なパートと言えます。
山田監督は、テレビ放送されるアニメ番組の「歌付きのオープニング」という形式を最大限効果的に利用するべく、多少の唐突感を承知の上でロック・クラシック『マイ・ジェネレーション』を投入したのでしょう。
まるでオペラの序曲のように。


そして劇伴を手がけているのは、今や日本のエレクトロニック・ミュージックを代表するアーティストの一人であるagraphこと牛尾憲輔。
電気グルーヴや石野卓球との仕事で有名ですよね、と言えば、だいたいどんな音の感じかお分かりいただけるかと思います。
この映画、このエレクトロニック・ミュージックの劇伴が決定的にイイんですよ!

メロディではなく、ノイズが織り成すテクスチャーという感じ。
補聴器を通して聴く世界の音がどんななのか、僕にはわからないけど、小さなアンプで増幅された帯域の狭い実音とノイズが混じったフィルターを通して感じられる世界を、きっと表現しているんだと思うんですね。
なにしろ耳の中に音源を直接挿れているわけだから、当然繊細なボリューム・コントロールになるわけで、劇中、少女の耳から補聴器が引き抜かれた時に血が滴り落ちるシーンと相まって、音楽が繊細で壊れやすいもののように丁寧に、慎重に配置されているという印象を受けました。

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そのような音の演出の中で、言葉では伝わりきれないそれぞれの壊れやすい心が、無意識の反応や、ふとこぼれる言葉に、どうしようもなく食い違っていく。
人間ってホントにいろいろで、本音をぶつけ合ったくらいでは分かり合えない。
それにしたってあんまりだろ、という人々の中で、食い違いの振幅は大きくなり続け、やがて振り子の糸が切れてしまう。
悲劇が起こっても明日はやってくる。
壊れたからこそ再生できるものがある。
そして『マイ・ジェネレーション』によって暗示されていたとおり、物語にも再生のときがやってくるのです。

そしてラスト、すべてのドラマが終わって流れてくるaikoさんの歌。



 
ロック・クラシックから、エレクトロニック・ミュージック。
そして鉄板のラブソングへ。
この落着点がなかったら、この危うい物語を吸い込み続けた僕らは過呼吸でどうにかなってしまったでしょう。
このまったく性質の異なる音楽を乗り継ぐことで物語を成立させた山田尚子監督のセンスは、アニメ文化というある意味閉鎖的なマーケットで磨かれてきた様式美の、ひとつの到達点といえるのではないでしょうか。
素晴らしい。

2017年6月14日水曜日

アニタ・パレンバーグの死んだ夜に

アニタ・パレンバーグの訃報が入ってきた。
キース・リチャーズの恋人として知られる彼女だが、僕にとっては映画『バーバレラ』の黒の女王の印象が強い。

とにかくスタイリッシュなこの映画で、ジェーン・フォンダと完全に並列のアイコンとして輝いている。

この映画には、もう戦争が無くなった時代に大量殺戮兵器を開発するマッド・サイエンティスト「デュラン・デュラン博士」が登場するが、80年代によく聴いたロックグループ、デュラン・デュランの名前の由来がその人だというのが、僕がこの映画を知ったきっかけだった。

ちなみに、デュラン・デュランが84年に発表した『ARENA』という映像作品では、バーバレラのデュラン・デュラン博士が、自分の名前を使って人気者になったDURAN DURANに嫉妬して、ライブ会場に攻撃を仕掛けるものの、メンバーとオーディエンスが創りだした「ライブパワー」でやっつけられてしまうという、B級さにおいて本家バーバレラといい勝負をやらかしている。
『バーバレラ』へのあふれんばかりの愛とリスペクトゆえの珍品である。

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ちなみにこれがデュラン・デュラン博士である。



アニタ・パレンバーグの訃報を見て、久しぶりにこの映画を観た。
このブログを御覧頂いた皆様にも、アニタの美しいお姿を少しだがおすそ分けしたい。



なんと蠱惑的な表情だろう。
世界を魅了した微笑みにR.I.P

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2017年6月12日月曜日

ジャズならやっぱニューヨークってことなのかな

先々週くらいから日本のフュージョン・バンドのレコードを集中的に聴いてきたが、番外編的にではありますが、名盤の風格あるこのレコードをご紹介しておきたい。
ギタリストをフィーチャーしたコンピ盤『ニューヨーク』である。


参加アーティストは、有名ドコロでは、大村憲司さん、鈴木茂さん、竹田和夫さん、松原正樹さんなど。
他の方も実力派の凄腕さんたちである。
ギター以外では、坂本龍一さんや村上ポンタ秀一氏などの有力アーティストが参加している。
竹田和夫さんのセッションには、クリエイションのヒット曲『ロンリー・ハート』を歌った高野アイさんが参加していて、これも嬉しい。


ライナーもギター寄りのアプローチ。


使用ギターの写真が掲載されているが、かなりギブソン、しかもセミアコのモデルに偏っている。ニューヨーク・ジャズのイメージなんだろうか。確かに西海岸より湿っぽい音のイメージはある。

そしてライナー中面にはちょっと驚かされる。


ドラムセットのセッティングが図入りで解説されているのである。
こういう趣向は初めて見た。

楽曲は、各ギタリストが、このアルバムのために、ニューヨークをイメージして書き下ろしたオリジナル曲が多いのだが、松原正樹さんが、ボズ・スキャッグスの『ハード・タイムス』(名盤『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』収録)、大村憲司さんは意外なところで、ジョン・コルトレーンもジョニー・ハートマンとのデュエット盤で演奏しているスタンダード『マイ・ワン・アンド・オンリー・ラブ』をやっていて、これがとてもイイ!

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ジョン・コルトレーン・アンド・ジョニー・ハートマン
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そしてこのアルバム、CBS/SONYの高音質盤「マスター・サウンド」仕様で音もいいのである。
現在もリマスタ盤で入手可能なので、このページ一番下のリンクからぜひチェックしてみて欲しい。


同時期、日本ジャズの大御所たちもニューヨーク録音の名盤を作っているので、併せてご紹介しておきたい。

まずは世界のナベサダ。
『ランデブー』です。
ちゃんと裏面にイエロー・キャブが。

ワーナーのエレクトラ・レーベルからのリリースでした。

このアルバム、歌がロバータ・フラックなんですよ。
名盤だと思うんだけど、ちょっと今は音盤では入手困難みたいです。デジタルでは入手できますのでリンク貼っておきます。

ランデブー
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そしてこれまた世界のヒノテル。
『シティ・コネクション』
こちらはもう正面からイエロー・キャブっす。

フライング・ディスクというビクターのレーベルでした。
こちらも音盤は廃盤のようですね。
デジタルにも見当たらずで、中古で入手するしかないようです。

シティ・コネクション
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両者ともオーソドックスなフュージョン・サウンドの良盤なんですけどね。

それにしてもやっぱりニューヨークはジャズの街なんですね。仕事でニューヨークに行った頃、まったくジャズに興味がなかったことが悔やまれる…

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2017年6月11日日曜日

リトル・フィートの『アメイジング!』って、もともとの邦題は『頼もしい足』だったんだって

リトル・フィートの『アメイジング!』(Feats Don't Fail Me Now/1974)をアナログレコードで。
原題は、「足よ、しっかりしてくれ!」的な意味らしく、何かから逃げる時、自分を励ましている台詞だそうだ。
ずらかれ!との意訳がしっくりくる。
発売当初は『頼もしい足』という邦題だったらしい。
と知ると、ジャケ絵もなるほど、となる。


72年のセイリン・シューズや73年のディキシー・チキンが代表作として紹介されることが多いが、商業的に成功したのはこのアルバムからで全米36位まで上がった。


このアルバムは特に「ファンキーな」と形容されることが多いが、それ以上にギターにかかっている(たぶん)フェイザーが、このアルバム独特な音空間を演出していて、ピーター・バラカン氏が言っていた「ヒットレコードには、必ずそこでしか聴けない音色があるものだ」というヒットの法則に合致していると感じた。

一曲目の「ロックン・ロール・ドクター」では、女性コーラスが効果的に響くが、前作のディキシー・チキンに続いて本作でもボニー・レイットがいい喉を聴かせてくれている。
そしてこの翌年、75年発表のボニー・レイット初期の名盤『テイキン・マイ・タイム』にキーボードのビル・ペインが参加して華を添えている。タイトルのテイキン・マイ・タイムも、『リトル・フィート・ファースト』収録のペイン作の同名曲へのオマージュだろう。

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リトル・フィート・ファースト
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そしてビル・ペイン、同年に鈴木茂の歴史的名盤『BAND WAGON』にも参加してます。
ご本人のリマスターで出た、DVD付きのパーフェクト・エディションもめっちゃ気になりますが、こちらはまだ聴けてません。

鈴木茂 BAND WAGON -Perfect Edition- (DVD付)
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リトル・フィートというと何かとローウェル・ジョージばかりが話題に登るが、今後はキーボーディスト、ビル・ペインにも、特にセッションワークに注目して聴いていこうかな。
セイリン・シューズ
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