2013年12月11日水曜日

古い思い出のレコード盤から、素晴らしい音を引き出すものは

今日は朝からスタイル・カウンシルなんぞを聴いている。
セカンド・アルバムのアワ・フェイバリット・ショップ。


ピーター・バラカンはジョージー・フェイムでオルガンの魅力に目覚めたというが、僕にとってはなんといってもこのバンドのミック・タルボットだ。
それまではオルガンといえば、ディープ・パープルのジョン・ロードなのであり、彼のバッハ・ライクな曲を煽り立てる速いパッセージを聴いては、ロックサウンドとオルガンの相性の良さを再確認していた。

でもミック・タルボットの抑制されたシンプルなメロディの上下に自由自在に和音を載せていき、複雑な響きを構成していくオルガンプレイを聴いてからは、鍵盤楽器の自由度と奥深さに惹かれていくようになった。
このアルバムは何度も聴いたせいか、B面5曲めにきまってノイズを出す場所があり、そこも含めてこのレコードを時々無性に聴きたくなる。


そして、このような完成度の高い音楽を聴いていると、不思議と自分の深いところにあるプリミティブな音楽を愛する心が、自分の居所を取り戻そうと浮上してくる。
そんな時、僕はスティクスのこのアルバムをターンテーブルに載せる。


パラダイス・シアター。
彼らの10枚目のアルバムにあたる。
予備校で知り合った友人に録音してもらって聴いた。
勉強しながら聴いていても「かっこいいなあ」以上の感想をもたらさない、シンプルなサウンド・メイキングがいい。
デニス・デ・ヤングの伸びのある声は、しかしフレディ・マーキュリーのようには心をかき乱さず、トミー・ショウの綺麗に歪んだザ・ロックギターは、さあここで盛り上がるんだよ、と大きなジェスチャーで僕らに指し示してくれる。
ある意味での「わかりやすさ」を抽出したような音楽。

録音してもらったテープのヒスノイズごと、この音楽はあの頃の狭い寮の部屋の記憶とくっついている。

その友人が札幌を離れるとき、もうアナログはやめるんだ、と言ってすべてのレコードを置いていった。だからその想い出のレコードは今僕の手元にある。


あらためてレコードを見るとレーザー・エッチング盤と書いてある。
お、何か特殊な音響的工夫の凝らされたカッティングが施してあるのかと、よく見ると曲間にノイズが出る場合があります、と書いてある。
???と思い、レコード盤を見るとB面が、


こうなってる。
レコード盤の表面に細工をして光を当てると虹色に輝くようになっているのだ。
いや、なんともスティクスらしい仕掛けじゃないか。
この技術のためにこのアルバムは全量アメリカでカッティングしたらしい。
音質を犠牲にしてまで、このレコードという「モノ」に同じ時代を生きた記憶を埋め込もうというこの振る舞いを僕は否定しない。
このような強い属性をパッケージに組み込んでくれたおかげで、僕はこのレコードを何度も聴くのだし、その度に、寮の食堂で、風呂で、お互いの部屋で、飽きることなく音楽の話を続けたあの日々を思い出すことができる。

こうして音楽を聴いている時に、例えばカートリッジや真空管の劣化などはもちろん、この電源コードを換えたらどんな音に、なんて俗っぽいことは考えたくないものだ。

だから僕はオーディオが好きだが、機器の買い替え自体にはほとんど興味がない。
その時点で納得のいく、できるだけ後悔の少ないアンプとスピーカーを手に入れて、万が一壊れればそれを修理して使う。
そして一目惚れすれば、前の機種に断腸の思いでお別れを告げて新しいパートナーを迎える。そんなふうに生きてきた。
だが、音楽再生に関する消耗的部品を含む機器に関しては、このような愛着を持たない。だって愛ってのは消耗しちゃいけないんだよ。
消耗品は兌換性がなくちゃいけない。
だから、レコードプレーヤーとCDプレーヤーに関してはコストパフォーマンスを重視して、周期的に買い替えを行うようにしている。
だからその時に後継機種がちゃんとあるロングライフな製品を選ぶようにしている。
その意味では代理店の都合で突然入手しにくくなっちゃう海外製品も選択の埒外なのだ。

また、アナログプレーヤーに関していえば、我が家の場合酷使される傾向にある。針を換えるのに何万円とかいう機器ははじめからライフスタイルの埒外である。
ベルトの劣化を気にしながらターンテーブルも回せない。
同じ意味で中古のダイレクト・ドライブの銘機なんてのも問題外だ。
テクニクスのSL1200シリーズが生産されていない今、レコードプレーヤーは、DENONのDP-500MかDP-1300Mk-IIの二択となってしまった。

高価(といっても控えめな値段だ)な方のDP-1300Mk-IIを選ばなくてはならない理由は、キャビネットが天然木のため、大音量時のハウリングに強いことと、幅広くカートリッジを換える場合に必要なアームの高さ調整機構が備わっていることしかない。
これはどちらも我が家の音楽事情に必要ないものだ。

何度も書いていることだが、現在最も僕のライフスタイルに合致しているプレーヤーがDENON DP-500Mなのである。
以下、このようなラインナップで僕はアナログレコードを日々再生している。



そんな入門機でいいんですか、とよく言われる。
アンプが100万円なのに、プレーヤーが数万円というのはどうなんですか、と。
しかし古い思い出のレコード盤から素晴らしい音を引き出すのは、実はプレーヤーなのではなく、その時代時代をどれほど真剣に生きたか、という自分自身の想いなのだ、と最近僕は真剣に思い始めている。
これはもしかしたら、オーディオ界最悪のオカルトかもしれない。
でもさ、心の中で起きている化学反応を他人にわかってもらう必要なんてないんだよ。

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