もちろん音楽を聴くことは変わらず好きだ。
それはだぶん一生変わることはないと思う。
中学への進学祝いに買ってもらったオンキヨーのシステムコンポを大学生まで使った。
会社員になって東京に出てきた時、新入社員のために用意された寮にはそれまで使っていた大きなシステムが持ち込めなかった。それでパイオニアのアンプとオンキヨーの小型ブックシェルフでCDのみのコンパクトなシステムを組んだ。パイオニアアンプは途中で壊れてデノンにバトンタッチした。
会社を辞めて、郷里に終の棲家を建て、この事業を興した時、McIntoshアンプとTANNOYスピーカーを買って、三度目のオーディオの季節を楽しんだ。
20年間僕を支えてくれたシステムの音に不満を感じたことはなかったけど、新しいシステムを組もうといろいろ調べているときは、それはそれで楽しいものだ。
それはだぶん一生変わることはないと思う。
中学への進学祝いに買ってもらったオンキヨーのシステムコンポを大学生まで使った。
会社員になって東京に出てきた時、新入社員のために用意された寮にはそれまで使っていた大きなシステムが持ち込めなかった。それでパイオニアのアンプとオンキヨーの小型ブックシェルフでCDのみのコンパクトなシステムを組んだ。パイオニアアンプは途中で壊れてデノンにバトンタッチした。
会社を辞めて、郷里に終の棲家を建て、この事業を興した時、McIntoshアンプとTANNOYスピーカーを買って、三度目のオーディオの季節を楽しんだ。
20年間僕を支えてくれたシステムの音に不満を感じたことはなかったけど、新しいシステムを組もうといろいろ調べているときは、それはそれで楽しいものだ。
オーディオとは結局のところ、音楽が空気の振動からできている、というシンプルな事実をベースに展開される科学なので、買ってからもしばらくは「わかっていく」面白さがある。
今回組んだシステムも、理解が進んでいって少しずつ改良していくポイントが見つかったし、経済的な要因もそこに絡んでシステムは徐々に完成に向かった。
今年フォノケーブルを換えたとき、一応ここまででいい、と納得がいった。
それに正直なところ僕はオーディオのことを考えるのにすっかり疲れてしまったのだ。
それに正直なところ僕はオーディオのことを考えるのにすっかり疲れてしまったのだ。
ここまでの過程で、僕がカフェをやっているということや、この場所が比較的高額所得者の多い地域であることも関係してか、多くのキャリアの長いオーディオ愛好者とお話する機会を得た。
ある人は実に楽しそうにご自慢のスピーカーを入手された経緯を語った。
ある人は長いキャリアの中で入手してきた多くの機材との悪戦苦闘の物語を教えてくれた。
価格や世評と無縁なそれらのストーリィは、実に示唆に富んでいて、素直に憧れた。
ある人は実に楽しそうにご自慢のスピーカーを入手された経緯を語った。
ある人は長いキャリアの中で入手してきた多くの機材との悪戦苦闘の物語を教えてくれた。
価格や世評と無縁なそれらのストーリィは、実に示唆に富んでいて、素直に憧れた。
でもその他の多くの人は、僕のMcIntoshアンプと、タンノイのGreenwichというスピーカーを見て、口を揃えてヴィンテージの「ホンモノ」に買い換えなさいとおっしゃった。
ある人は真空管について。
ある人はスピーカーのユニットについて。
ある人はマッキントッシュというブランドそのものについて。
熱っぽい口調で、いかに僕の揃えた機材が「ニセモノ」であるかを教示してくれた。
もちろん「そんなつもりはなかった」のだと思う。
そこに悪気なんてなかったんだろうと思う。
そこに悪気なんてなかったんだろうと思う。
本当に親切な気持ちから、いい音のする機材とはこういうものだと、にわかオーディオファンの僕に教えてくれたのだろう。
しかし僕にとって、自分の出している音は自分の選択そのものなのであって、それを「ニセモノ」扱いしてもいい、というマナーにはどうしても馴染めなかった。
しかし僕にとって、自分の出している音は自分の選択そのものなのであって、それを「ニセモノ」扱いしてもいい、というマナーにはどうしても馴染めなかった。
商業用のスマイルを貼り付けてはいても心は深く傷ついていった。
そのような話を聞くたびに、中途半端にオーディオ趣味の人たちを惹きつける機器を買ってしまったことを後悔した。
仕事場に趣味を持ち込んでしまった自分の軽率さを恥じた。
そのような話を聞くたびに、中途半端にオーディオ趣味の人たちを惹きつける機器を買ってしまったことを後悔した。
仕事場に趣味を持ち込んでしまった自分の軽率さを恥じた。
そしていつの間にかオーディオについての文章を書いて、自己を擁護するための論理を捻り出しては、今度は自分が他人の音を批判するようになっていた。
最悪だ。
最悪だ。
そんな自分が嫌で、でもここで商売をしているのだから逃げ出すわけにもいかず、僕は店からMcIntoshの真空管アンプを運び出し、それまで使っていたデノンの安いアンプをラックに置いた。
これできっと放っておいてくれる、と思ったがそうは問屋が下ろさなかった。
今度ははっきりと批判されるようになった。
音楽が好きならデノンなんか使っちゃダメだと。
一度や二度のことじゃない。
オーディオの世界でデノンの評判がこんなに悪いなんて知らなかった。
パイオニアのアンプが壊れてしまったとき、国産のプリメインアンプの中級機を徹底的に試聴して、これしかない、と思って買ったアンプは、オーディオの人たちから全否定を浴びた。
僕は心にまた新たな傷を作った上に、逃げ場まで失って途方にくれた。
しかし考えてみれば、確かにいい音の追求のためには、自分自身を客観視する態度が不可欠で、こんなことで傷ついてしまう僕には、そもそもオーディオ道に入っていく資格がなかったのだ。
僕は間違った場所に来てしまったことにようやく気がついた。
そんなとき、偶然Coplandというあまり知名度の高くない、品の良いデザインのアンプを見つけて、音も聴かずにすがるようにこれを買った。スウェーデンのアンプだった。
これをラックに置いたとき、すうっと心が楽になって、旅が終わったんだと感じた。
誰も知らないこのアンプの音を聴きに来る人はいないだろうし、ましてや批判などされないだろう。
誰も知らないこのアンプの音を聴きに来る人はいないだろうし、ましてや批判などされないだろう。
これでもう「音楽」を売りにした喫茶店と誤解されなくて済む。
もう「いい音」の話なんてしないで済むんだ、と。
しかし結果は逆だった。
「ほうほう珍しいアンプをお買いになったんですね。でもこういうアンプは・・・」
まるで迷路に入り込んでしまったような気分が表情に出てしまう前に、僕はまた慌てて笑顔を貼り付けた。
迷路から出られない理由はもちろん自分にある。
曖昧な態度をとってきたことを本当に申し訳なく思う。
McIntoshアンプを店から運び出した時、僕は真空管が壊れちゃって、と言い訳をした。
あの時、そのような言い訳をするべきでなかった。この場所が自分の居るべき場所でないと気付いた時に、潔く立ち去っておくべきだったのだ。
それに、まだ僕の人生は一生懸命働く季節にある。
傍から見れば一日中カフェのカウンターに立っているだけのように見える僕は暇な時の話し相手にちょうどいいと思われているのかもしれない。
そういえば、趣味に生きていけるなんていいねえ、と言われたこともある。
誰かにわかってもらう必要はないが、組織に倚りかからず、個人の名前だけで家族を守って生きていくのに、この国はそれほど寛容じゃないんだ。
こうみえても戦ってるんだよ。
情熱と矜持と感謝を武器にね。
そういえば、僕の髪を切ってくれる美容室にはタンノイ・オートグラフという素晴らしいスピーカーがセットされているが、親しくしているオーナーに聞いても「いやあ、僕はよくわからないから」とおっしゃっていた。
うかつだった。
よくわからない人が持つスピーカーではないのである。
あれは、長いこと接客という戦場の最前線で戦ってきたオーナーの処世術だったのだ。
答えが目の前にあったのに僕は長いあいだそれに気づかずにいた。
僕ももっと早く看板を下ろしておくべきだったのだ。
遅れ馳せながらオーディオ好きの看板を今日、下ろす。
そして今夜もまた、自分のシステムの前に座り、好きな音楽をかけて、ひとりただ「いいなあ」とつぶやこう。
もとより音楽に心を動かすことに、誰の承認も必要ではないのだから。
曖昧な態度をとってきたことを本当に申し訳なく思う。
McIntoshアンプを店から運び出した時、僕は真空管が壊れちゃって、と言い訳をした。
あの時、そのような言い訳をするべきでなかった。この場所が自分の居るべき場所でないと気付いた時に、潔く立ち去っておくべきだったのだ。
それに、まだ僕の人生は一生懸命働く季節にある。
傍から見れば一日中カフェのカウンターに立っているだけのように見える僕は暇な時の話し相手にちょうどいいと思われているのかもしれない。
そういえば、趣味に生きていけるなんていいねえ、と言われたこともある。
誰かにわかってもらう必要はないが、組織に倚りかからず、個人の名前だけで家族を守って生きていくのに、この国はそれほど寛容じゃないんだ。
こうみえても戦ってるんだよ。
情熱と矜持と感謝を武器にね。
そういえば、僕の髪を切ってくれる美容室にはタンノイ・オートグラフという素晴らしいスピーカーがセットされているが、親しくしているオーナーに聞いても「いやあ、僕はよくわからないから」とおっしゃっていた。
うかつだった。
よくわからない人が持つスピーカーではないのである。
あれは、長いこと接客という戦場の最前線で戦ってきたオーナーの処世術だったのだ。
答えが目の前にあったのに僕は長いあいだそれに気づかずにいた。
僕ももっと早く看板を下ろしておくべきだったのだ。
遅れ馳せながらオーディオ好きの看板を今日、下ろす。
そして今夜もまた、自分のシステムの前に座り、好きな音楽をかけて、ひとりただ「いいなあ」とつぶやこう。
もとより音楽に心を動かすことに、誰の承認も必要ではないのだから。