そんな筆者が新刊「少女ヒーロー読本」で本領を発揮している。
角川映画が作った若年向け邦画マーケットの中から生まれた傑作「セーラー服と機関銃」を嚆矢に、不良少女とよばれて、ポニーテールはふり向かない、スケバン刑事と続いていく「少女が戦う」ことの商品価値を語り抜く。
現在入手できないマニアックな番組も含め、詳細に語りおろしていくが、なぜかこの「少女が戦う」ドラマにはバカバカしい演出が頻発し、そのバカバカしさを大真面目にひとつひとつバカバカしいと断罪していく筆致が実に痛快な傑作評論だ。
その最終章をまるまる使って「つみきみほ」という女優について語られている。
懐かしい名前だが、実は近年も実写映画版の「Another」に出演していると聞き、原作も読み、アニメ版も清原紘版のコミックも、オリジナルアニメ付きの予約限定版コミックも入手したというのに、実写版だけは観ていなかったことを思い出して、借りてきた。
綾辻 行人
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Section 23 (2013-07-30)
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実際に観るまでは見崎鳴を演じる橋本愛がミスキャストではないか、と懸念していたが実にVery Goodで、ミステリアスな造形から、後半素顔を見せていくところがあるのだが、この性格描写は実写版が一番よく描けているかもしれない。
問題は「赤沢さん」だ。
Anotherという物語は、見崎鳴と赤沢泉美の対立軸が背骨になっている。
重要な役なのである。
漫画版でもアニメ版でも入念なキャラクターデザインが施されている。
なのに実写版ではクライマックスの合宿シーンまで、ほとんど赤沢さんの出番はないのだ。
これはマズイ。
女優さんに責任はない。物語の冒頭から「現象」の対策に責任を持つ立場としての赤沢泉美を描いていないから対立構造が生まれないのだ。食堂でのイザコザなんかでそれを表現しようとしているからいかにも軽い。
この対立がないと、「死」と距離を置きたい見崎鳴が、その気持ちを押し切ってどうしてもこの「現象」の解決を自分の手で、という決意が生まれてこない。
案の定「もう誰も死んでほしくないの」などという実に彼女らしくない台詞で動機を説明することになってしまっている。
緻密な骨格を持つ作品だけに細かい改変が随所に影響を及ぼす。
残念だ。
原作既読者は、「死者」に関するある叙述的なトリックが映像作品でどう処理されているか気になっている方もいらっしゃるだろう。
漫画版もアニメ版もうまく処理していたが、人間が演じる実写ではどちらの手も使えない。そこで脚本をうまく変更して対応していた。
まるで違和感はなく、現実的。
この処理は原作よりも優れていると思う。
で、肝心の「つみきみほ」だが、本当にワンシーンのみの登場で、きっとあらかじめ意識していなければ「つみきみほ」だとは気づかなかっただろう。
若い時の顔が思い出せなかった。
「時をかける少女」でも、細田守アニメ版にも、仲里依紗版にも、成長した芳山和子が出てくるように、かつて花のあすか組などで、少女ヒーローの時代の終焉を看取ったつみきみほが、どちらかというと過保護な親類を演じるというところに意味があったのだろう。
しかし脚本も演技もそのコンセプトを表現できていたとは言いがたい。
Anotherという作品を二次的に表現し尽くしたのはアニメ作品の方だった。
よりカネの集まるアニメの世界の方に人材が育ってきた、ということなのかも知れない。
東宝 (2013-02-22)
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