2015年4月13日月曜日

4月になると僕は:浜田省吾『J-BOY』

4月になるとどうしてもこのレコードを聴きたくなる。
浜田省吾さんの『J-BOY』



『19のままさ』の冒頭にある<予備校の湿っぽい廊下で、あの娘を見つけた>というフレーズが、予備校に通うために札幌に出てきた1984年と、貸しレコード屋でバイトしていた大学時代のことを思い出させるからだ。


共通一次試験でさんざんな点を取った僕は、クラスメイトの多くが選んだ代々木ゼミナールを避けて札幌予備学院という河合塾系の予備校を選んだ。

高校にあった進路指導室とは名ばかりの資料置き場に、後に僕が作ることになるリクルート進学ブックと並んで予備校生のための学生寮「桑和学生ハイツ」の案内パンフレットがあった。その寮は通うことになる札幌予備学院に隣接していたし、他に目ぼしい情報もなかった。
僕はその寮に入って生涯の親友を見つけた。

そして通い始めた予備校の廊下で、僕は見覚えのある女の子の横顔を見つめていた。

高校一年の時、昼休みになると決まって、フルーツ牛乳なる紙パックの飲料を買いに購買に向かった。
そんなときどうしてかいつも、廊下で談笑するグループの中の一人の女の子に目を奪われた。
周りの誰よりも白くて透明で、儚げなのに強い光を放っていた彼女。

話しかける勇気はもちろんなくて、名前も知らないまま転校してしまって、いつの間にか見かけなくなってしまった彼女と、僕は偶然札幌の予備校の教室で、今度はクラスメイトとして再会したのだ。

相変わらず話しかける勇気はなかった。
でも今度は同じ教室にいるし、名前も分かっている。
僕は充分幸せだった。
だから灰色のはずの予備校生活は、完璧な薔薇色をしていた。
その薔薇色の日々を延長するために、僕は志望校を人づてに聞いた彼女の志望校に変えた。
やがて春が来て、僕と彼女は同じ大学の同じ学部に合格した。


時間はいろんなものを変えていく。
二年後僕は結局フォークソング研究会というサークルで知り合った別の人とお付き合いしていた。
浜田省吾が大好きな人だった。

その頃サークルの先輩に紹介してもらった貸しレコード店でバイトをしていた。
僕は新譜で入ってきた『J-BOY』をお店でもよくかけていた。
そして2枚組2枚目のA面1曲目『19のままさ』が流れるたびに、予備校の教室でいつも盗み見ては胸を焦がしたあの横顔のことをこっそり思い出していたのだ。

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