2015年12月2日水曜日

P.F.スローンを歌ってよ

11月30日の北海道新聞夕刊に載った天辰保文さんのコラムで、11月15日にP.F.スローンが亡くなったと知った。
70歳だったと聞いて意外に若い人だったんだと驚いた。
伝説の音楽家だと思っていたから。

普通に暮らしていてニュースが流れてくるほどの知名度じゃない。
ほとんど無名と言ってもいい音楽家だが、この曲はみんな知ってるんじゃないか。
バリー・マクガイアの「明日なき世界」
この曲の作者がP.F.スローンだ。


多くの人がカバーしている名曲だが、清志郎先生と佐野元春のライブを貼っておいた。



高石ともやの訳詞だが、高石ともや版のクレジットには作曲バリー・マクガイアとある。
実は、これには訳がある。

ソングライターとしてヒット曲を量産しながらも、自身で歌いたいという夢を追いかけることにしたスローンを、ドル箱を失いたくない出版社は強く引き止める。
仕方なく、これまでの曲の著作権をすべて会社に譲渡するという契約で、押して歌手デビューを果たした、という経緯だ。

僕がP.F.スローンを知ったのは、友だちに勧められて聴いたRumerという女性シンガーが男性曲ばかりをカバーしたアルバムで、その一曲目がジミー・ウェッブの歌った「P.F.スローン」という曲だった。


ジミー・ウェッブは、著作権を放棄してまで歌手デビューしながら、直後大病をして大きなヒットを残せなかった彼への想いを「それはP.F.スローンの歌だから、誰も歌っちゃいけないよ」という歌詞に認(したた)めたのだ。
また、この歌には「誰もP.F.スローンのことを知らない」とも歌われている。
多くのヒット曲を書いたのに、著作権を失ったことを言っているのだろう。

でも多くの人がP.F.スローンの歌を歌って、その記憶が僕らのなかに残っている。
それはいいことだと思う。
清志郎の歌うこの曲を僕は、こんなきな臭い時代の匂いの中でいつも忘れずにいようと思うのだ。

2015年11月29日日曜日

EvergreenとForeverのあわい〜My Little Lover「re:evergreen」によせて

予約して楽しみに待っていたCDが届いた。
My Little Loverのre:evergreen

re:evergreen
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My Little Lover
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90年代、狂ったようにカラオケボックスに行っていた。
バブルの最中も、ハジけたあとも仕事は山のようにあって、深夜まで仕事をしてハイになったまま酒を呑んで歌った。
僕のアシスタントをしてくれていた人が歌う「白いカイト」が大好きだったから、せがんでよく歌ってもらった。
だから、今でも疲れた時には「白いカイト」が収録されているMy Little Loverのデビュー盤であるevergreenを聴いて、若さに任せて走り続けることのできたあの頃に想いを馳せていた。

20年を経てevergreenへの返信をするという記念盤のコンセプトを聞いては、これを入手しないという選択肢はすでにない。
evergreenをリプロデュースして併録するというのだからなおさらだ。

Re:と見て思い出すのは、2006年に出た寺尾聴さんのRe-Cool Reflectionsだ。
大ヒットアルバム「Reflections」を当時と同じメンバーでレコーディングし直した作品だが、これがもう痺れかえるくらいカッコよかったので、今回の企画にも大きな期待をしていたのだった。

Re-Cool Reflections
Re-Cool Reflections
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寺尾聰
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届いた新作re:evergreenを聴いてみて、予想以上の素晴らしさに驚いた。
まさに20年前の彼ら自身へのakkoからの返信がそこにあった。
本当にいい作品を作ったよね、今の自分もあの頃と変わっていないよ、という強い想いが楽曲の端々に滲んでいた。

併録されたevergreenのリプロデュース盤は、当時のakkoの歌はそのままにバックトラックに手を加えたもので、リアレンジではなく、リプロデュースなのである。
使用する楽器を変更したり、ミックスを変えたりして20年前のakkoの歌唱を現代の音楽として甦らせるというコンセプトなんだな。
だってevergreen=変わらないもの、なんだよ。
「変わらないものは、なにも変えられない」と佐野元春も言っている。

こうして聴いていると、ああ本当にevergreenな音楽を作ったんだなと思う。
存在そのものが永遠性を持つForeverではなく、時代の中で息づいていくevergreen。
またひとつ大切なことを音楽から教わった。

岡本喜八「ブルークリスマス」と庵野秀明「エヴァンゲリオン」、あるいは竹下景子の異次元の清純さについて

旧い友人たちと、思い出のある居酒屋で旧交を温めていた。
懐かしい話に花が咲く中、そういえば昔はみんなタバコ吸ってたよなあ、という話になった。喫煙者と非喫煙者の割合は完全に逆転していた。

映画が好きなその先輩は、昔の映画に喫煙シーンが多いことを説明しようとひとつの映画のタイトルを挙げた。
それが「ブルークリスマス」
喫煙シーンのことを例示したくて挙げたのに、内容の説明が面白すぎて本題を忘れてずっとその映画の見所を語っていた。
ストーリーももちろん面白そうだったが、主演女優が竹下景子さんであることが僕の心に刺さった。
エラリー・クイーン「災厄の街」の映画化「配達されない三通の手紙」に出演していた若き日の竹下景子さんの可愛らしさに心奪われていたからだ。
「配達されない三通の手紙」の竹下景子

僕がそう言うと、「絶対ブルークリスマスの竹下景子のほうが可愛い」と断言された。
これは観るしかないでしょう。

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ところがことはそう簡単ではなかった。近所のレンタル店には在庫がなく、頼りのディスカスでは豊富な在庫があるのになかなか単品リストに入らない。古い映画なのに人気があるのだと知って、先輩が名作と強調していたのがよくわかった。

で、やっと来ました。
再生を始めると、タイトル画面にサブタイトルが記されていた。
BLOOD TYPE:BLUE
ピンときた人も多いだろう。

エヴァンゲリオンで、使徒が現れた時「パターン青。使徒です!」と言う時、ディスプレイに表示されている文言である。
庵野秀明は、ブルークリスマスを撮った岡本喜八監督からの影響を常々公言している。
戦争を経験した表現者(戦中派)は、しばしば戦時中同じ人間であるはずの敵国の人々を鬼畜と呼んでまるで別の生き物であるかのように考えていたのが、戦後突然錯覚であったことに気付く不思議をテーマにしている。
「敵」と「味方」をわかつ根拠が、人間自身の心の弱さにあるというテーマは、エヴァンゲリオンとこのブルークリスマスに共通する主題であるといえるだろう。

ブルークリスマスは、UFOから照射された光線でヘモグロビンの中の鉄が銅に変化してしまい、ヘモシアニンになった血が青くなることで迫害を受ける人々の物語である。

ヒトとシト、赤い血と青い血は、それぞれの物語で最後に溶け合う。

その意味するところは、たぶんここで言葉にすべきでないものだろう。観るものの心に生まれる感慨そのものを大切に抱いていくしかない。
これはきっとそういう映画だ。

そんなことより竹下景子だ。

可愛いですね。これこそが清純派でしょう。清純さのレヴェルが現代とは異次元にある。
そしてこの可愛らしさを演出するのに岡本喜八監督が使ったこのシーン。





背の低い竹下景子が、勤めている理髪店のシャッターを閉めようとジャンプ一閃。
見事に閉めてクルッと振り返るとか。天才や、岡本喜八。
監督も素晴らしい演出と思ったかラスト近くでもう一回飛びます。
いいなあ。
死してなお美しい。
クイズダービーの三択の女王の姿しか知らなかった竹下景子さんの映画作品。
まだまだ開拓していきたいです。

映画内では、ビートルズをモデルにしたと思われるザ・ヒューマノイドというバンドが歌う「ブルークリスマス」という曲が頻繁に流れるが、この歌を実際に歌っているのがなんとCHARさんです。
やっぱりタバコくわえてますw


映画で使われているのがこちら。

日本語バージョンもありました。
発売されたシングルはこちらがA面で、英語版がB面に収録されていたそうです。
なぜか、日本語バージョンのほうがテンポが速い。なぜなんだろう。




2015年11月24日火曜日

David Buckinghamのアルバムはイギリスから超特急で届いた。

先日オーディオショウで、アクシスという輸入代理店のデモでかかっていたフラメンコギタリストのCDが誰のものかわからないと書いたら、一緒にデモを聴いていた方にコメントいただいてデヴィッド・バッキンガムだったとわかりました。

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David Buckingham
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で、さっそくAmazonを探すと、マーケットプレイスによくある海外発送の業者さんが中古盤を持っていまして、なんと138円。さっそく発注かけました。納期まで3週間ほどお待ちくださいとのこと。はるばるイギリスから来るそうですから仕方ないでしょう。

11月16日に注文して、12月4日が納期の目処と連絡が来たのですが、なんと今日11月24日にもう到着してしまいました。
やるじゃん、イギリス。仕事早いね。


ROYAL MAILというメール便サービスで到着。保護材入りのソフトパックでした。
が、
中にもう一つCD専用のパックが入って二重になっていました。海外発送用の対処ということでしょう。


 デジパックですね。中古としては綺麗な方でしょう。盤面には小さなキズがひとつありましたが、再生にはいまのところ不具合はありません。

これが裏ジャケ。はじめてお顔を見ましたよ。
デモでかかったのは5曲めのWonderful Tonight(Eric Clapton)だったかしら。
スティーヴィー・ワンダーのカバーも入っていて、フラメンコ・ギターのテクニックでポップなメロディを弾くという趣向のアルバムのようです。

全体を通して聴くと、随所でさりげなく難しいことやってて、カッコいいです。
録音も良く、目の前でギターを奏でている感じ。
手の動きが見えるようです。

しかし、いくつかの曲でギターのボディをパーカッシブに叩く奏法を多用していて、録音がリアルな分だけ少し耳に痛い。装置との相性もあるのでしょうが、僕にはちょっとここだけトゥー・マッチでした。

フラメンコギターのアルバムを買ったのは初めてでしたが、ボサノヴァとはまったく違うワールドミュージック感が楽しい。
いいですね。


2015年11月21日土曜日

露崎春女&鳥山雄司ライブを観てきたよ!

いつものようにラジオを聴きながら娘と朝食を食べていた。
番組はいつものTuck's Morning Radio。
タックさんの選曲がいつもツボで、よく聴いている。
もし叶うなら、あの変なラジオショッピングのコーナーが無ければなあ、とは思うけど、まあ貴重な広告収入源なんだろう。

時々、来札したアーティストがゲストに出てくるが、その日はなんと露崎春女さんがゲストに出てきた!
おお!と思わず声が出たが、なんとその日札幌で鳥山雄司(!)さんと一緒にライブをやるという。


その場で二人でホール&オーツのプライベート・アイズを演奏してくれた。
相も変わらずソウルフルな歌声で、朝なんで爽やかにやりま~す、と言いながら最初の一声で場を「夜」な感じにしてしまう。
いいなあ、聴きにいっちゃおうかなー、と思っていたら、なんと二名様をご招待というではないか!

さっそくメッセージをしたためる。
タワレコの岡村靖幸トリビュートカバー集で、最も印象的なLion Heartを歌っていたのがリリコ名義の露崎さんで、その曲は今に至るも僕のプレイリストから外れたことがない。
それから初期のアルバムを入手して聴いていたが、後に来る女性R&Bシンガー・ブームのまさに先駆けだったと思う。
そんな露崎さんの思い出を書き連ねて送信した。

番組の最後に当選者を発表します、と言っていたので息を詰めて聴いていたら、思いが届いたか当選してしまった。

そして夜、露崎春女&鳥山雄司ライブ観てきました!

最初に最後の話で恐縮ですが、僕はあんなに切実なアンコールを求める拍手を聴いたことはきっとなかったと思うんだ。
素晴らしい歌だった。

ラジオでは曲芸的な部分を楽しんで欲しいと言っていたが、なんのことはない、ルーパーを使った即興演奏のことで、確かに面白かったが、最近は使っている人も多いし、何より最近秦基博くんが札幌でやってくれた一人ルーパーは本当に素晴らしかったので、そこにはあまり音楽的感興はなかった。

むしろ素直にカバーされた前半ラストのマイケル・ジャクソンに、本当に感心した。
マイケル・ジャクソンの曲を、マイケル以外の人が歌うのはとても難しい。
どうやっても物真似になってしまうから。
「今なら自分なりのマイケル・ジャクソンが歌えるかもしれない」という露崎さんの言葉通りの名唱であった。

さらに圧巻だったのはラストにやった、不朽のジャズ・スタンダード「チュニジアの夜」
この曲に歌詞がついているのは知らなかった。
チャカ・カーンのカバーだそうだ。



僕はこの曲が嫌いでアート・ブレイキー聴く時は必ずこれを飛ばすんだけど、露崎さんの歌は本当に素晴らしかった。
これを聴かされたら、誰だってもっと聴きたいと思うだろう。
そして冒頭に申し上げた「切実な」アンコールの拍手が間髪おかずに続いたのだ。


その拍手に応えてアンコールに出てきた二人はなんと、こんどはチック・コリアの「スペイン」をやったんだ。
スペインにも歌詞があるのか!と驚いたが、こちらはアル・ジャロウが作詞してます。
さもありなん、という感じですな。



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鳥山さんはアランフェスのメロディをイントロ替わりにスペインをスタートさせた。
そして露崎さんは、あの断裂したリズムを激しくアップダウンするメロディに歌詞を乗せて歌う、歌う、歌う。
でも張り上げないんだな。

音楽的に登りつめても、技術的に処理されてるんですよ。
だから彼女の一番いい声がいつも響いてる。
そして僕はその声が、本当に好きだったんだって思い出した。今度こそ。

聞くと毎年札幌に来てたっていうじゃない。
まいったなあ。
本当に今日のことを教えてくれたタックさんのラジオに感謝だなあ。
これからも毎日聴くよ。

2015年11月17日火曜日

北海道オーディオショウ・リポート ~ B&W新製品特別試聴会編

今回各出展者に与えられたデモ時間は30分だった。
その中で、B&Wの新製品発表には60分の持ち時間を与えられている。
マランツの持ち時間をふたつ分繋いでのスペシャルイベントという格好だ。

まあこの特別扱いも仕方ないだろうと思わせる貫禄が、このB&W800シリーズにはあると思う。
世界中のスタジオで長く愛用されているモニタースピーカーで、個性的でもないし、饒舌なところもないが、非常に、というよりは異常に完成度が高い。いわば完璧なスピーカー。

バージョンアップする必要なんてあるんだろうかとも思う。
聴き比べて音が違っていたとしてもどちらもいい音だとしか感じないだろう。

というわけで、簡単に視聴結果を。
今回は803と802のデモだった。
新しい803と802は、前バージョンとは異なり、単純なサイズ違いになっている。
最初に小さい方の803を聴いた。


直前に聴いていたのがソナス・ファベールの880万円もするLILIUMという機種。
豊かすぎるほど豊かな低音で、実に見事な聴き応えのある音なのだが、少し音像の大きさでリアリティを損なう嫌いがあった。

だから、というわけでもないだろうが、803が奏でる音像はパーフェクトな大きさで、細部の隅々まで繊細に表現し尽くしている、と感じた。
200名は入りそうな大きな宴会場で鳴らしてまるで不足がない。
音色も充分艶やかで魅力的に思えた。

システムを大型の802に繋ぎ直した。
基本的に同じ音だが高音部にきらめきが付加され、若干低音に膨らみが出た感じ。
デモンストレータは、このシステムは6畳から12畳の部屋では狭すぎてうまく鳴りませんと言っていた。

ということはだ。
803は狭い部屋でも広い部屋でも鳴る。
802は音に若干量感が出るが、狭い部屋では鳴らない、ということになる。
803買いでしょ、ということだ。

ちょっと変わった外観に見えるがプロポーションには無理がなく、細部のデザインに手抜きはない。
質感も高く、部屋に置くのに、これほどいろいろ考えずに済むスピーカーもないだろう。

ちょっと褒め過ぎな気がするが、欠点が見当たらないので仕方がない。
強いて言えば、一目惚れで視聴なしで買いたいと思うスピーカーではない、というところか。

長く愛用するオーディオ機器には、最初に出た一発の音でノックアウトしたり、また設計者のコンセプトをひと目で伝えるデザインを纏っていたりするものだが、B&W800シリーズはそういうスピーカーではないと思う。

2015年11月16日月曜日

2015年CAVIN大阪屋ハイエンド試聴会、改め、北海道オーディオショウ詳細レビュー[ヤマハ・デノン編]

今回のお目当てのひとつはデノンの11シリーズのリニューアルだった。
僕は2003年くらいにPMA-2000IVを聴いて、その粘りのある独特の中低音に魅せられて以来のデノンファンなのである。

デモの開始まで時間があったので同じ部屋で開催されていたヤマハのデモを見ていた。
銘器1000モニにそっくりな新製品が出たのは知っていたが音を聴いたのははじめてだった。
その名もNS-5000
来年夏の発売だそうだ。

綺麗な音。
このところピュア・オーディオに力を入れて立派な製品を市場に送り出しているヤマハの新しいアンプも、とても繊細で輪郭のはっきりした音だった。
しかし、昔のように一聴すぐヤマハとわかる「味」は消えていた。
僕個人の好みとは遠い「味」だったが、喪ってしまえば、現代ハイエンドの方向にみんなで向かっていく感じが少し寂しくもある。

それにしても全曲クラシックできたのは意外だった。
経験上ヤマハユーザーは、ポップスからロック寄りで、せめてジャズまで。
低音を出すのが難しい1000モニは、引き締まったビートを演出するのに向くが、空間的に広がる低音を必要とするクラシックには不向きだろうと思っていたからだ。
新しいヤマハハイファイモデルはクラシック方面を視野に入れているということなのだろうか。


さてお待ちかねのデノンのデモだ。
まずは筐体を眺める。

 
デザインは冴えないと評されることが多いが僕は好きだ。
筐体が鳴かないように、アルミ削り出しで作ればそれでいいが、値段の半分が筐体代ということになる。
知恵で鳴かないようにしているのがデノンアンプ。
もしお店で見かけたら、人差し指でコツンと天板を叩いて見て欲しい。
音が吸収されているのが感じられるはずだ。
そのような実直さがこのデザインには象徴されている。

スピーカーは予想通りデンマークのダリとの組み合わせだった。
まだ発売前のシリーズを持ってきたということだったが、エイジングが十分でないのか鳴りが悪い。

音色はデノンらしい粘りは後退し、どちらかというとマランツ寄りの鮮明なサウンド。
以前は音がカタマリで出てくる感じだったのが、音数を増やして空間を表現するタイプに変わったようだ。

ここでも現代ハイエンドの方向にみんなで向かっていく傾向を感じ、そういえば昔から日本企業ってみんなで同じ方向に行くもんだったよな、と思い当たった。

しかしこれは逆じゃないだろうか。
せっかくデノンとマランツは同じD&Mホールディングスの傘下に入った兄弟企業になったのだから、そのシナジーを追求すべきだ。
二つの異なる音色傾向を持つサウンドシステムが、D&Mの目指すべきものだろう。
アメリカハイエンドにその出自を持つマランツと、日本の放送・録音業界にその出自を持つデノンでは自ずと方向性が違うはずで、そのわかりやすさで両極のユーザーを独占するのが最適な戦略ではないか。

そしてスピーカーの販売戦略も逆を行っているように思える。
もともと両社ともにスピーカーメーカーではない。
そしてライバル社だったわけだから、それぞれ別の欧州スピーカーメーカーと組んでブランドイメージの向上に務めてきたということだ。

しかし今は同じ傘下企業。
そしてマランツが持っているB&Wは、おそろしく万能で能力の高いスピーカーで、こう言っては失礼だがちょっとDALIとは格が違う。
ここはB&W共有の一手と思う。

まあ余計なお世話だ。
実のところ、B&Wと組み合わせて聴いてみたかっただけなのだから。

2015年CAVIN大阪屋ハイエンド試聴会、改め、北海道オーディオショウ詳細レビュー[スペック編]

というわけで、前記事で印象に残ったことを書いたのですが少し詳細に振り返ってみようと思います。

まず最初に見たのが国内メーカーの「スペック」
木材を使った仕上げの良い筐体を持つアンプに注目していたのと、最近発表された弩級といっていいアナログ・プレーヤーを聴いてみたくて朝一番からブースを訪問しました。




しきりに「アンプメーカーではなく、いい音を作る会社なんだ」と力説していて、どんなスピーカーを組み合わせてもいい音が出るということはない筈なので、納得のいくスピーカーと組み合わせて今日はデモをするという。

もとパイオニアでエクスクルーシブを作っていたという技術者が立ち上げたメーカーで、そういう意味ではセルフブランドでワンストップ展開を目指すのが自然だというのは納得がいく。
しかし、まだラインナップにスピーカーがなく、フィンランドのアンフィオンというブランドのものを使っていた。


この組み合わせでドイツのオーディオショウに出て、No.1ブースとして表彰されたというが、それほどの音ではないように感じた。

いろいろ不利な条件があったと思う。
初参加のスペック社には狭い部屋が割り当てられ、十分なエアボリュームが得られず、当然音量が不足する。 残念ながらノラ・ジョーンズの耳タコのデビュー曲とリンダ・ロンシュタットの「星に願いを」は、この録音が持っているアコースティカルな質感を十分には伝えてはくれなかった。

それと、デモンストレーターの「日本人はブランドに弱くて、本当の音の良さを聴き分ける耳がないので、最近は海外で勝負している」と言われて、その人が奏でる音楽を聴く気になるだろうか。
音楽を聴く心は、思うより繊細なものだ。

しかし公平に見て、実に「素直」な音であったことは今回の参加企業随一であった。
操作を見ていたがボリュームの出来がよく、かなり繊細なコントロールが効きそうなところも好印象。
アナログプレーヤーの音も相当に良さそうだった。
残念ながら盤の手入れがわるくジリパチ音に塗れた演奏で、「低ノイズ設計」と言われてもなかなか頷けないところがある。

音楽に愛情のあるデモンストレーターの手で、同じ素直さでもその先の浸透力を持つB&Wあたりのスピーカーと組み合わせてぜひ聴いてみたい。

2015年11月15日日曜日

2015年、今年もCAVIN大阪屋のハイエンド試聴会に行ってみた

今日は、年に一度のハイエンド・オーディオ試聴会に出かけた。
毎年北海道最大のオーディオ専門店であるCAVIN大阪屋さんが主催する試聴会である。

出展される機器は数百万円から数千万円というレンジの商品で、こういう話をするとよく、「車が買えちゃうじゃないですか!」と驚かれたりするのだが、その比較がいつも僕にはもうひとつピンとこない。

僕は車を運転するのが苦痛だし、スピードが怖い。
だからなるべくサイズも出力も小さな車を好む。
新車を「馴らし」て乗るのが面倒だから中古車にしか乗ったことがない。

でも音楽を聴くなら、できるだけ演奏者の感情まで読み取れるような機械で聴きたいと思う。
まあ確かに1300万円のアンプって一体誰が買うんだろうとは思う。
でもそこにしかない価値があるということはわかる。
フェラーリを買う人の気持ちはわかる、というのと同程度に。

今店で鳴っているのが8万円のアンプで、修理中の真空管アンプが40万円、部屋で鳴っているマッキンがプリ+パワーで165万円。
それぞれにいい音が鳴る。いや、鳴らしている。
価格ではなく、それぞれの機器が持つ価値と自分のライフスタイルのすり合わせがこの趣味の中核だと思う。

ある種の人たちにとって、音楽とライフスタイルは密接に関連していて、時にライフスタイルに合った音楽をチョイスして聴くことを超えて、逆に音楽によってライフスタイルが規定されていくようなことがある。

そしてそこまで強力な音楽には必ずどこかに人の感情がこもっているはずで、それを最大限まで引き出せるツールにやはり関心がある。

それが買えもしないのに、ハイエンド機の試聴会に毎年いそいそと出かけていく理由(言い訳)だ。


さて今年の試聴会では例年評判の悪い課題曲制が廃止されたが、一出展者の持ち時間が30分に短縮された。出展者が増えたことが原因だからそれ自体はいいことだと思う。
しかしなぜか、多くの出展者のかける曲がクラシック曲と和太鼓に類型化してしまったことは残念なことだ。
かけたい曲が無いなら課題曲制に文句なんか言わなきゃいいのに。

そんな中でいつも抜群の選曲センスで僕をうならせるデモンストレータがいる。
今年も、エバ・キャサディのイエスタデイのカバーに心ごと持って行かれた。
(↓このアルバムに入っているそうです)

American Tune
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そしてジプシー・キングスのギタリストのソロアルバムだと言ってかけたCDが滅法カッコよかったが、確か「デイヴィッド・ベッカムならぬ」と紹介していたので調べてみたがそれらしいメンバーはいない。誰か思い当たるフシはありませんか。

今年の試聴会で、最も高価なスピーカーは、このソナス・ファベール「LILIUM」だっただろうと思う。

お値段880万円也
音を聴いてみると、そのお値段に比例した実に雄大な音が出てきた。
たっぷりした低音がその広大な音場を作っているのだと思うが、困ったことにどんな音楽も大きなホールで聴いているような気分になってしまう。
ある意味不器用で一本気なスピーカーである。

一番心に残る音を奏でたのはVIVID AUDIOという南アフリカの会社が作ったG3 GIYAというスピーカーとそれを駆動したアインシュタインのアンプだった。


奇妙な形をしたスピーカーだが、鳴り出すと周囲全体の空気を震わせてスピーカーが発音しているようには聴こえない。まったくその存在を消してしまう。
不思議なスピーカーだ。

そのデモで最初にかかったレコードがこれ。

Sinatra-Basie - An Historic Musical First

Reprise Records
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とにかくこのレコードでのベイシー・オーケストラの威勢の良さには完全にやられた。
こういう素晴らしい音源に出会えるのも試聴会の楽しみのひとつだ。

いつものように、ウィルソン・オーディオのスピーカーも素晴らしかったし、マジコが今回持ってきたQ1という新作も素敵だった。マジコの持っている音の「色」が僕は本当に好きだ。

逆に言えば、たくさんのデモを聴いたが結局この、VIVID AUDIO、ウィルソン、マジコの三社のスピーカーに敵わなかった。

あるデモでは、スピーカーの逆起電圧を逃がす装置で使用前、使用後の聴き較べをやっていたが、はっきり言って元の音がそうでもないので、いくらも変わったようには聴こえない。
別のデモでは、デジタル音源の44.1khz、96khz、192khzの聴き較べをやっていたが、これもまた同じ理由で、別にどれでもいいよというくらいの違いしかなかった。
使っている楽曲も心に残らないものだった。

そしてこのようなデモをする人は、30分という時間のほとんどを使って自慢話をしゃべっていたっけ。
曰く、ブランド志向の強い日本では無名でも欧州では高い評価を得ているとか、大企業ではできない誠意ある製品作りと値付けをしているとか。
自慢話と音の心への浸透度は反比例するようだよ。

そういえば、VIVID AUDIO、ウィルソン、マジコのデモンストレータさんたちは、それぞれに実に素敵な楽曲をチョイスしていた。
音楽が好きでしょうがないって感じで仕事をしてて、その感じに強く共感した。
いつかご縁があればそういう人たちが売る製品と生活をしてみたいものだ。

また今日は特別枠でB&W社の800ラインの新製品発表会があったが、これこそまさに別格であったので、別枠でご紹介したいと思う。

2015年10月25日日曜日

国内盤と輸入盤の音質は違うのか、聴き較べてみたよ

レコード保護袋を買ったので、古くなってしまったものを選んで交換した。
ついでに、聴くたびに適当に戻して探しにくくなってしまったレコードを整理した。

うちには、もうレコードは聴かないからと友だちがくれたレコードがたくさんあって、だから同じレコードが何対かある。
友だちはレコードを輸入盤で買っていた。僕も輸入盤が多いが、中古店で買う時は手頃な国内盤を選ぶ。あまり聴かれていなくて綺麗な盤が多いからだ。
だからいくつかのレコードは国内盤と輸入盤というセットになる。

ここで思い出したのは、ウェザー・リポートのファーストに書かれていた[SX-68 Mark-II]の文字で、これはレコードの原盤を作るカッティングマシーンの機種の名前だ。
独ノイマン社の製品で、古いオーディオファンの間では、このマシン導入後日本のレコードの音が悪くなったとまことしやかに囁かれている。


その話の真贋は僕にはわからない。
聞けばこのマシンを導入したのもテイチクとSONYの二社だけとのこと。
昔から輸入盤の方が音がいいという話はよく聞いていたが、「洋行帰り」なんて言葉があったこの国にしつこく根付いた「ムコウにはカナワナイ」的自虐嗜好なんだろう、くらいに思っていた。

でもここに、恰好のサンプルがあるじゃないかと気付いてしまえば試さない理由もない。
棚から一組のライブ盤を取り出した。


ブルース・スプリングスティーンの5枚組のライブ盤である。
右側の右上はしに5LPsと表記のあるのが友人のくれた輸入盤。左側がデパートの中古レコード市で1000円で買った国内盤。

輸入盤のレーベルはこのように凹凸のある仕上げで、この盤以外では見たことがない仕様である。

国内盤はこのようなノーマルな仕様で、米コロンビア盤は輸入盤もこのようなデザインが一般的だったと思う。

肝心の音だが、これは明らかに違った。
レーベルのデザインが示唆していた、なんてのはただのこじつけだが、輸入盤の方が立体的で、楽器の持つ付帯音のニュアンスがよく伝わってくる。
ボスの掠れたシャウトの余韻に含まれる金属的なシャープさは断然輸入盤の方から伝わってきた。

ではこちらはどうかと、ボストンの「サード・ステージ」を聴き比べてみた。


ボストンのMCA盤でも、スプリングスティーンのライブとよく似た差異が聴き取れた。
特に入念に施されたドラムスへの硬いリヴァーブの質感の違いは顕著だった。

なるほど、どのレコードでもこれほどの差があるのなら輸入盤信仰が生まれるのも止むを得ないだろう。

思えば1989年に就職で東京に出てパイオニアのアンプとCDプレーヤを買って、それを機に、僕は本格的にCDに移行しはじめたのだった。
CDは棚に並べた時、背のデザインがはっきりと目に入るが、国内盤のアーティスト名のカタカナ表記が気になって輸入盤ばかりを買っていた。
LPでは海外のアーティストなら欧字表記だったはずで、今見直してみてもカタカナ表記のLPは見当たらない。あれは何だったんだろう。

そんなわけでCDの背デザインが気に入らないという瑣末な理由で輸入盤を買い続けていたわけだが、ある時、会社に入ってきた後輩がやたらと音楽に詳しいので訊いてみると、CDはできるだけ国内盤で買ってライナーを熟読するのだと言っていた。

そう言われて、子供の頃買ってもらったベイ・シティ・ローラーズのレコードのライナーノーツに鉛筆で印をつけて何度も何度も熱心に読んだことを思い出した。
少しカタカナ表記への嫌悪は薄れて、歌詞に重要性がある何人かのアーティストやライナーを書いている人などをチェックして選択するようになった。価格はやはり輸入盤が安かったから。

しかし、そんな話も今は昔で、アナログレコードのブームが来ているとはいうが生産の体制はお粗末という他なく、輸入盤の新譜がまともな状態で届くかは五分五分というところ。ギャンブルより少し確率がいいという程度だ。

高音質を謳う一部のレーベルのものは安心だが、安価なジャズの再発輸入盤はほとんどに爪の跡があったり、指の脂がべったりついている。
盤が歪んでいるものも少なくない。

そういうわけで、レコードはしばらく中古レコード店で探そうと思っている。
今回の輸入盤 vs 国内盤比較はそれなりに得るものはあったが、それでも僕はきっと国内盤を見かければそちらを買うだろう。
帯も楽しいし、ライナーノーツも読みたい。

何より丁寧に扱われた盤に出会う確率が高い。
90年代にアメリカから大量に仕入れられた、彼の地で消耗品として扱われ二束三文で売られていた中古輸入盤は、たいていジリジリパチパチ音がして、いかにも針が傷みそうだ。
丁寧に扱われたレコードは、それが古いものであっても驚くほどノイズが出ないものだ。

音質のことを言えば、較べれば違うということは、較べなければ違わないということだ。
もっといい音の盤があるかも知れないと思いながら音楽を聴くことは、僕にはできない。
音楽はもっと多くの大切なことを、一定のリズムに乗せて同時多発的に発声している。
聞き逃がせばすぐに消えてしまう。

時を超えて残ってきた音盤を、僕は大切に聴いていきたいと思っているのだ。

レコード保護袋のこと

近年アナログレコードの新譜発売もずいぶん増えてきたが、CDショップは世の中に少なくなったのでAmazonなどのネットショップに頼ることが多い。
この時問題になるのがレコードの保護袋で、あれはお店がサービスで付けてくれるものなので、ドライなネットショップではもちろんそのような心遣いはない。
で、それだってネットショップで買うことになるのだ。
やれやれ。

以前買った100枚のパックはすでに使いきってしまったので購入した。


田口化成さんのものだが、0.9m厚のタイプで充分な強度があり、とてもいい。
しかし、質量がありすぎて棚に立てるとふにゃりと下側に折りたたまれてしまう。よほど隙間のないところに押しこむか、水平に置くしかないだろう。
うちでは水平に置いて保管している。

厚いのも薄いのもそんなに価格が違うわけではないので、中古レコード店で付けてくれる袋がもう少し軽いタイプのものなのは、こういう保管との兼ね合いがあるからなのだろう。

LP保護袋(09)100枚
LP保護袋(09)100枚
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(有)田口化成
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2015年10月23日金曜日

クリエイションのロンリーハートを聴いたら、なぜかゾンビーズの最新情報に辿り着いた件

以前勤めていた会社の同僚に、カラオケに行くと必ずクリエイションの「ロンリー・ハート」を歌うやつがいた。

ロンリー・ハート+2
ロンリー・ハート+2
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クリエイション
ポリドール (1997-11-19)
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クリエイションといえば、竹田和夫率いる凄腕のブルース/ロックバンドというのがイメージで、僕が持っている唯一のアルバムは、マウンテンのフィリックス・パッパラルディと一緒に録ったアルバムだったから、ロンリー・ハートの売れ線なサウンドは、まあ一曲くらい狙ってヒット曲を作ったんだろうと思っていた。

クリエイション with フェリックス・パパラルディ
EMI MUSIC JAPAN INC. (2004-04-01)
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それでもギターソロになると、突如凝ったサウンドになって、一聴どんなスケールを使っているのか判別できないメロディから複雑なユニゾンでイントロに戻るという構成になっていて、実際には聴き応えのある曲だし、なによりメロディやちょっと気弱そうなファルセットもいいから、B面に英語詞版の入ったシングル盤をよく聴いたものだ。

よくメンバーチェンジをするクリエイションは、僕の中では竹田和夫のソロ・プロジェクトのようなイメージで、特にロンリーハートを歌っているボーカリストについても、あれは誰なんだろうとも思わずにいた。


最近YouTubeを見ていたらロンリー・ハートの映像が出てきて、竹田和夫ほどの人がボーカリストに迎えたこの人はそういえば誰なんだろうと今頃気になってきて、気まぐれに検索してみると、アイ高野という人だとわかった。
さらに検索を進めると、アイ高野という人はカーナビーツのドラマーだという。
カーナビーツってどんなバンド?と思ってYouTubeに戻って検索すると、これか!

キャラ違いすぎでしょ。
でも確かに見れば同一人物とわかる。

この有名な「好きさ好きさ好きさ」はゾンビーズのカバーだ。
カーナビーツは他にもゾンビーズの曲をカバーしている。
好きなんだね。


ゾンビーズの中心人物の一人だったコリン・ブランストーンという人の「一年間」というソロアルバムが好きだった。
内省的で美しい、冬の夜によく似合う音楽。
好きさ好きさ好きさの原曲である「I Love You」なんかとは少し趣が違う。

一年間
一年間
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コリン・ブランストーン
エピックレコードジャパン (1995-02-01)
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しかし、もうひとつの代表曲である「ふたりのシーズン」には片鱗があり、その曲を収録したオデッセイ・アンド・オラクルこそが、ゾンビーズの代表作と言えるだろう。

Odessey & Oracle
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THE ZOMBIES
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このアルバムを発表した後、ゾンビーズはコンサート・ドロップアウトを宣言することになる。

ピアニスト、グレン・グールドのコンサート・ドロップアウトが1964年。
同年、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンがバンドに在籍したままコンサート・ドロップアウトを宣言している。

ビートルズは、1966年に公演活動を停止し、ゾンビーズは傑作オデッセイ・アンド・オラクルのレコーディング中、バンド内の人間関係に亀裂が入り68年のアルバム完成後に公演活動を停止する。

wikiには、68年に解散して再結成はしていないと書いてあるが、90年と 2004年、2011年にアルバムを発表しており、実態としてはコンサート活動を停止し、ロッド・アージェントとコリン・ブランストーンのレコーディングプロジェクトとして存続した、というところだろう。
最近ではオデッセイ・アンド・オラクルの発表40年を記念して、2008年に全曲再現ライブをやったことを知った。
このライブはCD化されて発売されている。
さっそく購入した。

これいいなあ。
コリン・ブランストーンのソロ曲も入ってる。

オデッセイ&オラクル40周年コンサート
ザ・ゾンビーズ
ミュージック・シーン (2009-05-25)
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しかも、なんと今年新譜が出ていたらしい。
これも聴かなきゃだな。

Still Got That Hunger
Still Got That Hunger
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The End Records (2015-10-09)
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今回ロンリー・ハートの動画を見てふとボーカリストの検索をしたところから、ゾンビーズがゾンビ化するどころか、かなりアクティブに活動していることがわかった。
偶然、旧友の消息を聞いたような嬉しさを感じた。

2015年10月9日金曜日

合理の目は真実に近づかない~島田荘司「新しい十五匹のネズミのフライ」

島田荘司の新刊「新しい十五匹のネズミのフライ」は、シャーロック・ホームズ・パスティーシュの第二弾であった。

新しい十五匹のネズミのフライ: ジョン・H・ワトソンの冒険
島田 荘司
新潮社
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第一弾は「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」で、ホームズの作品世界になんとロンドン留学中の夏目漱石を語り手として投入するという異色作であった。

漱石と倫敦ミイラ殺人事件 (光文社文庫)
島田 荘司
光文社
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この作品で印象的なのはホームズの女装についての見解だ。
聖典(ドイル作のホームズ作品群をこう呼びます)中では「マザリンの宝石」で老婆に女装して尾行した男に、正体を明かして驚かれるシーンがある。
しかし考えてみれば、長身で拳闘でも目覚ましい動きを見せるホームズの相貌で女装をすればこれは相当に目立つはずだ。
ワトソンではなく、夏目漱石を語り手とすることで、合理というフィルタを挟み込んだ結果、 ホームズの人物評も女装癖のあるコカイン中毒者、ということになる。


このように合理の目に晒してみれば、ホームズ譚には微妙なところがたくさんあるようで、「新しい十五匹のネズミのフライ」では、このあたりをワトソンによる作家的創作として処理している。
有名な「まだらの紐」では(未読の方は読み飛ばしてくださいね)、笛を合図に蛇をあやつって殺人が行われるが、蛇には耳がないのである。
本作では、「まだらの紐」は、コカイン中毒の治療中に見たホームズの悪夢を締め切りに追われた作家ワトソンの苦し紛れの創作として扱っている。
もはやSFファンタジーの域に達している科学的ナンセンス編「這う男」(本作中では「這う人」)も同様にワトソンによる純粋な創作としている。

これは、作中の語り手を作家にして、その架空の人物が書いた小説を今読者が読んでいるというホームズ譚の複層的なフィクションの構造を最大限に利用したパスティーシュと言えるだろう。
タイトルをわざわざ「ジョン・H・ワトソンの事件簿」にしているのも、複層構造に取り込まれ登場人物としての主体を喪失しているワトソン自身を描いていることを暗示しているのだ。

ホームズの作品世界を読み込んで、愛し抜いた筆者の最大の愛情表現なのだろうし、それは取りも直さず自身の御手洗シリーズの語り手石岡和巳に対する愛着なのだろう。
御手洗シリーズを熱心に支持する我々ファンの気持ちもまったく同じだと思う。