2014年3月9日日曜日

絶望の果ての「期待」:米澤穂信「クドリャフカの順番」

琴線に触れる、という言葉を聞いてすぐに頭に浮かぶのは米澤穂信の「クドリャフカの順番」という小説だ。

張り詰めた琴の弦には、軽く触れただけで美しい音が出る。
僕たちはそれぞれの心に、それぞれの人生が張った響きやすい場所を持っていて、何気ない言葉がその琴線に触れてしまうのである。
帯に「泣ける小説」と書いてある本をよく書店で見かけるが、心根が冷たい性分の僕は、可哀想な境遇に同情するということが、どうにも苦手で、この手の本では涙は出てこない。
そのかわり、自分の才能に絶望し、でもそれを認めたくなくて頑張ろうとする心の叫びが聴こえてくると、嗚咽を伴った涙がふいに心の深いところから湧き出してきて、抑えることができなくなる。


「クドリャフカの順番」は、「氷菓」というタイトルでアニメ化までされた彼の「古典部シリーズ」の第三作にあたる。このシリーズは発表時ライトノベルに分類され、角川スニーカー文庫に所蔵されていた。しかし続編が出る度にスケールアップして、現在は角川文庫のほうに所蔵し直された。

クドリャフカは、スプートニク2号に載せられ、宇宙に初めて飛び立ったライカ犬の名前で、地球に帰投する設計になっていなかった宇宙船に乗せられたクドリャフカの「順番」という言葉には、それ自体になにやら切なさが伴うが、この意図に関して本編内では触れられていない。

シリーズの最初から重要な要素になっている学園祭「カンヤ祭」が、本作の舞台である。
主人公折木奉太郎は、「やらなくていいことはやらない。やらなければならないことなら手短に」という信条を持つ省エネ志向の高校生だが、シリーズ二作目の「愚者のエンドロール」において、他者の「期待」にほだされるカタチで自分の才能を信じてみようとする。そしてこの試みはその「期待」が言葉通りの意味でなく、第三者の思惑に乗せられた結果であったことを知り、大きな挫折を経験する。
この挫折は折木奉太郎を一段大きく成長させており、今作「クドリャフカの順番」において、実に落ち着いた探偵振りを披露してくれる。
そしてこの成長が、親友福部里志の心を屈折させる。

平行して福部里志に思いを寄せる伊原摩耶花という漫画部の少女が、先輩との確執を通して、才能というものの残酷さを思い知るエピソードが描かれる。
そして彼女が悟った才能への嫉妬という感情が、福部の秘めた想いに気付かせる。

もう全編ただ切ない。


僕自身の話をすれば、小学生の時、買ってもらったばかりのナショナルのラジカセで聴いた西城秀樹の「ブルー・スカイ・ブルー」になんだかとても黙っていられない気分になって、家の近くの海岸まで自転車を飛ばして、大声で歌った。

そのころはただ歌っていれば幸せだったのに、大学の音楽サークルに入ってみたら、もうプロデビューしている先輩がいて、その人がふらりと新歓コンサートに立ち寄ってピアノを弾きながら歌った歌に、才能ってこういうものかと感じて、落ち込みはしなかったけど、自分のやっていることのだいたいの限界が見えてしまった気がした。

同年代の多くの部員がプロと同じような声域で歌っているのを見て、正直嫉妬した。ギターも好きでずいぶん練習したつもりだけど、速いフレーズはいつまでたっても弾けるようにならなかった。

才能への嫉妬、が僕の琴線であることはずいぶん前から気付いていた。
会社では一生懸命仕事をすれば、運不運はあるけれど、それなりに評価はしてもらえた。パートナーにも恵まれ、可愛い娘の父親にもなれた。
だから普段、その感情は僕の心の奥の深い場所に眠っているけれど、時々、こんなふうに物語の何気ない言葉に触れられて、甲高い音を立てる・
今回僕の琴線を弾いた言葉は「期待」だった。

米澤穂信がこの物語で「期待」という言葉を使うとき、いつもその背後に「絶望」のはてに絞り出した言葉なんだよ、という意味合いを忍ばせている。
そして、最後にその「絶望」を彼らは受け入れる。
僕自身がそうしたように。
だからこの本の最終ページを閉じた時、僕は、それでも生きていくことってけっこう悪くないよ、と心の中で呼びかけたんだ。

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