ピーナッツで繋がった、映画版『風の歌を聴け』との出会い
村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』が、映画化されていたことを迂闊にも私は知りませんでした。
私がその存在を知ったのは、Facebookで先輩が教えてくれたのがきっかけでした。近所のTSUTAYAには置いておらず、宅配レンタル(ツタヤディスカスなど)を駆使してようやく、大森一樹監督による1981年の映画『風の歌を聴け』(DVD版)を観ることができたのです。
それはこんなやり取りから始まりました。
ジェイズ・バーの床に敷き詰められた「ピーナッツの殻」
時代が平成に変わってすぐの頃、私は銀座のとある雑居ビルの地下にあるバーボン・バーに通い詰めていました。
そこでは、席につくとまずは大きな瓶からピーナッツを掴み取りして、それがその日のお通しになる、というシステムで、剥いた殻はそのまま床に捨てるのが掟でした。マスター曰く「殻の始末を客ごとにやるのではなく、1日分まとめて掃除させてね」という、客と店の間の暗黙の了解なんだそうで。
Facebookでこの思い出を語ったところ、「風の歌を聴けの映画版に出てくるジェイズ・バーの床にもピーナッツの殻が転がっていたね」と教えてもらったのです。
「風の歌を聴け」映画になってたのか!と驚き、そして実際に映画を観てみると……床一面に殻が敷き詰められているではありませんか!
これはさすがにやりすぎですw。殻はあくまで自分の足元に捨てるものであって、営業中に店舗全体に敷き詰められるなんてこと、あるはずがありません。
しかし他にもいくつかあるこの映画のツッコミどころを、すべて帳消しにしてしまうほどの圧倒的な魅力が、この作品にはあったのです。
圧倒的な美貌。真行寺君枝が魅せるレコード店の美女
本作のヒロイン(指のない女の子)を演じる真行寺君枝さんの佇まいこそが、この映画最大の魅力でしょう。
またこの指のない女の子、音楽にもめっぽう強い。小林薫さん演じる「僕」が探しているレコードを、棚からすいすいと抜き出してくるシーンは、音楽好きなら誰しも憧れてしまうシチュエーションです。
劇中音楽のトリビア:ビーチ・ボーイズと使用料の裏話
劇中、「僕」はビーチ・ボーイズの『カリフォルニア・ガールズ』が入ったレコードを彼女に探させますが、彼女が選んだのはなぜかロンドンでのライブ盤(普通はアルバム『サマー・デイズ』ですよね)。「僕」への不信感からくるちょっとした意地悪のようにも見えて、なんとも可愛らしい演出です。
ちなみに、この『カリフォルニア・ガールズ』の楽曲使用料には数百万もの予算が費やされたのだとか。真行寺君枝さんもインタビューで「とにかく予算がなくて苦労した」と回想しつつも、この映画を「自らの代表作」と語っています。その言葉通り、彼女の存在感は作品の中で際立っています。
原作との決定的な違い:「ピアノ協奏曲」と「鼠の自主映画」
原作ファンとして見逃せないのが、原作と映画版における「選曲」の変更です。「僕」の思いつきで選ばれるベートーヴェンのピアノ協奏曲が、。原作では第3番なのですが、映画では、グレン・グールド/レナード・バーンスタイン盤のピアノ協奏曲第4番になっています。
これは監督か脚本家の趣味でしょうか。個人的にも第4番の第二楽章冒頭、ストリングスの重厚なテーマは大好きですが、ベートーヴェンの全5曲あるピアノ協奏曲中、唯一短調で描かれ、それ故の切迫感を持つ「特別な3番」を選んだ原作の村上春樹らしいチョイスに対し、映画版では、最もメロディが印象に残るト長調の4番が選ばれているのは、それがやはり「映画」だからなのでしょう。
豪華なキャスト陣と、時代が放つエネルギー
「僕」の相棒である「鼠」役には巻上公一さん、ジェイズ・バーのマスターには坂田明さんが扮しており、さらに本作は室井滋さんの商業映画デビュー作で、新人らしからぬ凄まじい存在感で短いが重要なシーンを演じ切っています。
原作の『風の歌を聴け』は、作家・村上春樹による「なぜ小説は書かれなければならないのか」というメタ構造を含んだテーマだと私は解釈しています。それはメディア違いの映画では描ききれない領域です。
そんなわけで「鼠」は小説ではなく映画を撮っているわけですが、その自主制作映画のシーンからは、粗野だがエネルギーに満ちた時代の空気が流れてくる。この自主制作映画は巻上公一の原案によるものだそうで、もともと演劇のシーンから出てきた彼の面目躍如というところかもしれません。


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