2026年6月26日金曜日

映画『ジョン・カーター』が残した功罪|『火星のプリンセス』実写化に見るスペースオペラの難しさ

 『火星のプリンセス』待望の実写化とその不安

SF小説の金字塔『火星のプリンセス』が実写映画化されると聞いた時、往年のスペースオペラファンで胸を熱くしなかった者はいないだろう。

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魅力的な主人公ジョン・カーター、SF史に燦然と輝くヒロインのデジャー・ソリス、そして醜悪な外見ながら圧倒的な忠誠心を持つ火星犬ウーラ。

これらが最新の映像技術でどう描かれるのか、期待が高まるのは当然であった。

しかし同時に、ファンは一抹の不安も抱えていた。製作がディズニーであり、予算2億5000万ドルを投じた「ウォルト・ディズニー生誕110周年記念作」として大々的に打たれたからである。

そもそもスペースオペラというジャンルは、科学的根拠を度外視した荒唐無稽さや、B級映画的な愛すべき「安っぽさ」、グロテスクなクリーチャーといった要素こそが魅力である。万人に受けるファミリー向けのクオリティを目指せば、作品の持つ尖った魅力が薄まり、中途半端なものになりかねない。興行的にも歴史的大失敗になるのではないかという懸念は、公開前から少なからず囁かれていた。

随所に散りばめられた「バロウズへの愛」

実際に完成した映画『ジョン・カーター』を観ると、その不安は半分当たり、半分は嬉しい裏切りとなって返ってきた。

メガホンを取ったアンドリュー・スタントン監督(ピクサー)の、原作者エドガー・ライス・バロウズに対する敬意と愛情は本物であった。それが顕著に現れているのが、物語序盤の小粋な洒落である。ジョン・カーターが店主に黄金を突きつけ、「豆(beans)を出せ」と怒鳴るシーンがある。これは、バロウズが処女作の突飛さゆえに「Normal Bean(正気の男)」というペンネームでデビューしようとした有名な逸話に引っ掛けたオマージュである。これだけで、古参のファンは思わずニヤリとさせられる。

さらに、スペースオペラのヒロインにありがちな「ハリウッド的な超有名美人女優」をあえて起用せず、作品が持つ良い意味での「キッチュさ」を残したキャスティングにも、監督のジャンルに対する理解とこだわりが垣間見える。

ピクサーの方程式という「枷」

しかし、本作が「ディズニーの記念大作」である以上、ニッチなファン向けの仕上がりのままスポンサーが納得するはずもなかった。ここで機能し(てしまっ)たのが、スタントン監督が所属するピクサー特有の「集団による緻密なストーリー構築」である。

結果として、物語は美しく整理され、科学的な整合性が与えられた。非常に安定感のある万人向けのハリウッド映画へと昇華されたのである。だが、スペースオペラにおいてはこの「安定感」こそが仇となった。

原作では、ジョン・カーターが火星へ移動する原理は語られず「不思議なことに」の一言で片付けられている。映画ではここへ納得のいく科学的な説明や新たな登場人物を足したことで、かえって普通のSF映画の枠に収まってしまった。

さらに、原作におけるカーターの最大の魅力は「重力の差による驚異的なジャンプ力」という単純明快な優位性だった。物語にリアリティを持たせようとすると、なぜ彼がそこまで大活躍できるのかという根幹の構造に無理が生じる。その辻褄を合わせるため、映画ではカーターの人物造形に深みを持たせようとし、「地球に妻子がいた」という設定を追加した。しかし、これがピクサーの「ヒットの方程式」に無理に当てはめたような唐突感を醸し出し、描き込み不足の印象を与えてしまう結果となった。

映画が提示した新しい可能性と、残された課題

一方で、ストーリーの再構築がもたらした功績もある。原作では後半の続編に登場する、不思議な力を持つ民族「サーン」を地球往復のエピソードに前倒しで組み込んだ点だ。これにより物語に新たな奥行きが生まれ、続編への自然な布石として機能させられるかもしれない。

本作は、生前にピクサーとも深く関わりのあった故スティーブ・ジョブズ氏に捧げられている。ジョブズ氏は周囲に何と言われようとも、唯我独尊で我が道を貫き通した人物であった。

もし本作の続編が作られる機会があるならば、万人受けの安定感に逃げるのではなく、ジョブズ氏の精神に倣い「この映画は一体誰のためにあるべきなのか」を今一度突き詰めてほしい。それこそが、スペースオペラという愛すべきジャンルを本当に活かす道ではないだろうか。


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