2017年11月6日月曜日

浅川マキをブックオフで捕獲したら、寺山修司を経由してカルメン・マキに辿り着いてしまった件

僕の愛用するTANNOYのGREENWICHというスピーカーは、20cmの同軸ユニットを積んでいて、一般にスピーカーは大きい方がいいという認識を持つオーディオファイルからは「中途半端」なスピーカーと見られている。

また、弦の流麗な表現よりは軽快なリズムを得意にしていて、TANNOYのパブリックイメージを裏切っているうえ、ジャズもロックもJBLだろ、というメインストリームな人たちからも無視されがちだ。

だからこのスピーカーの寄る辺なきユーザーたちには仲間意識が生まれやすく、実は先日も最近このスピーカーを買ったという人と話をする機会があった。
いろいろ聴いてみたけど浅川マキとの相性が一番だった、というその人の言葉が耳にこびりついて、ブックオフに本を売りに行った時、時間つぶしに見ていたCDの棚に浅川マキのベスト盤を見つけた時、迷わず捕獲してしまった。


実は初浅川マキ。
カッケー。
演劇的なフォークブルーズだな。

DARKNESS I
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浅川マキ
EMIミュージック・ジャパン (1995-08-30)
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廃盤なんすね、これ。IIもIIIもあるみたい。しばらく探して歩こう。

あんまり素敵だから、いろいろ調べてたら、このDisc1一曲目に収録された『夜が明けたら』を聴いた寺山修司が感動して、歌詞を提供するようになってから、無名だった浅川マキが売れたんだそうで、このアルバムにも寺山作詞の楽曲が何曲か収録されていた。

寺山修司さんは、新宿ゴールデン街で何度かお邪魔した「ナベサン」の二階に、演劇の人としての寺山さんの資料が置かれていたことで身近に感じていたが、その後よく聴くようになったワーグナーの『指環』の 解説書を執筆(第一巻の『ラインの黄金』で絶筆となった)されていることを知って、その意外な一面に驚いたというのがわりと最近のこと。
今回、浅川マキさんの売り出しに一役買っていると知ってまた驚いた。

驚きついでにもうひとつ、カルメン・マキさんのデビューにも大きく関わっていることを知ってまたまたビックリ。
寺山修司がプロデュースしていたゴーゴークラブ(ってわかる?)のイベントで、カルメン・マキが歌と詩の朗読を担当し、その実況録音を彼女のファースト・アルバムとして発売したのがメジャー・デビューのきっかけということらしい。

それがこのアルバム。

真夜中詩集 - ろうそくの消えるまで -
カルメン・マキ
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思わず大きな画像で貼り付けてしまいました。
これレコードで欲しいねー。

で、その後、創業直後だったというCBSソニーで作ったシングルが『時には母のない子のように』
ジャケがこれ。
CBSソニー初の大ヒットとなったそうな。

なんちゅう存在感ですかね。この『時には母のない子のように』はアメリカの黒人霊歌、『Sometimes I Feel like A Motherless Child』を下敷きにしてるんだそうで、この原曲は浅川マキの古くからのレパートリーだったという、このあたりでも繋がってるんですなあ。

ところでカルメン・マキなら最近、レコードを入手したばかりだった。



カルメン・マキ&OZ時代のセカンドとサード。

この時期、すでに寺山修司の影はないが、音楽面を全面的に支えていた春日博文のセンスがスゴい。
プログレ的音世界のセカンドに、グッとポップになったサードのどちらもカルメン・マキの存在感がそれをグルっとまとめて彼女の作品にしている。
それにしてもこれらのアルバムはロックの文法で作られた作品で、浅川マキとの共通点は見出だせない。
なんでも『時には母のない子のように』でレコード大賞を受賞して、副賞としてもらったジャニス・ジョプリンのレコードにハマってロックの世界に踏み込んでいったというのだから人生はわからない。



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