僕は知らなかった。
大学時代の先輩から譲り受けた大量のレコードの中に見慣れないこのシンガーのアルバムが4枚も入っていて、興味を惹かれ聴いてみた。
1975年のデビュー作から、78年の4作目まで。
79年の『バリエーション』というアルバムが最後の作品になったようだ。残念ながらCD化はされていない。
18歳で制作されたファースト・アルバムの『絵夢』は、その若さを感じさせない練られたメロディを、18歳そのものの声で歌うというギャップにある種の<萌え>があると思う。
デビュー曲となった『傷心』はエヴァーグリーンになりうる力を持った曲で、埋もれているのが大変惜しい佳曲だ。
75年といえば、中島みゆきさんのデビューもこの年で、その影に隠れてしまったのかもしれない。
山崎ハコや森田童子も同年のデビュー。
きわめて個性的なシンガー・ソングライターたちの中で、際立って絵夢の歌は「上手」い。
そしてその上手さこそが埋没の一因になる、そういう時代だったんだと思う。
19歳で出した『絵夢II』というセカンド・アルバムのライナーでは、
オフクロが持ってきたホワイトホースを、ちびちびやりながら窓から入ってくるやさしい月明かりに酔っている。という本人自筆のメモが記されていて、思わず「未成年やろ!」と突っ込みたくなるが、そういえば自分だって予備校に通うために親元を離れた19歳の時、酒も飲んだしタバコも吸っていたことを思い起こす。
時代のおおらかさを感じるが、まさにそれは日本のフォークマインドであったと思う。
音楽的にも紛れもない日本のフォークソングだが、サウンドにロック、ブルース寄りのアプローチが採用されていて、そういえば前年デビューした甲斐バンドも含め、フォークミュージックが少しずつロックに接近していった時代といえるかもしれない。
4枚目の『夜から朝への流れの中で』は、A面をNight-Side、B面をMorning-Sideとしたコンセプト・アルバムで、そのB面をタケカワユキヒデやミッキー吉野、そして浅野孝己のゴダイゴチームの全面バックアップに委ねて、そうしたロック化するフォークソング的アプローチから根本的に脱してみせた。
このB面が実にイイんである。
甲斐バンドがニューヨーク録音を敢行しデジタルロックへの一歩を踏み出した『虜』が82年。みゆきさんがご自身で「御乱心時代」とよぶデジタルロック時代の代表作『Miss M』が85年だから、絵夢のこの進化は、日本フォークの正常進化を飛び越えた<変身>とでもいうべきものだったろう。
未入手の5枚目を聴いてみたくなる。
現在どうしているのかわからないが、長く活動して欲しかったシンガーだ。