2016年6月5日日曜日

映画『市民ケーン』 〜 トリックスター、オーソン・ウェルズの残した偉大な遺言状

映画史上最大の傑作に挙げられることもある、オーソン・ウェルズ監督・主演の『市民ケーン』だが、映画マニアでない僕にとって、オーソン・ウェルズという名前は英語教材の吹き込みをしている過去の名優というイメージを想起させるばかりで視聴に至らなかった。
「家出のドリッピー」や「追跡」といったシドニィ・シェルダン作品をウェルズが朗読した英語教材の広告が新聞や雑誌によく載っていましたね。

だがフィルムカメラを始めて、モノクロームの面白さに気付いてから白黒時代の映画に興味が湧いて、『第三の男』とこの『市民ケーン』をレンタルしてきた。


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映画は二時間の尺を緩みなく構成して、最後まで見飽きることが無かった。

Wikipediaにこのような記述がある。
ニューヨークで作品を見たフランスの映画評論家ジャン=ポール・サルトルは「『市民ケーン』はわれわれが従うべきお手本ではない」と批判し、「(物語が)一切が終わった地点から遡って見られているため、映画固有の現在形の生が失われてしまっている」と指摘している。
しかし、この映画『市民ケーン』は、新聞王ケーンが残した「バラのつぼみ」という謎の言葉の意味を探偵役であるジャーナリストが追いかけていく推理劇である。
この構成のおかげで、「バラのつぼみ」とは何か、という物語的興味が生成されるのであり、必要不可欠な演出だったと思う。
しかもこの「バラのつぼみ」という言葉は、この映画がモデルにしている新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストが愛妾マリオン・デイヴィスをこっそりこう呼んでいた秘密の愛称で、当時の人々の噂に頻繁にのぼった符牒なのである。
だからむしろこれは、この映画の時代性を支えるコアであるともいえるものだ。
また、このような記述もある。
ジョルジュ・サドゥール(フランス語版)も作品を「ハリウッドに一夜降ったドルの大雨で生えてきた巨大なキノコ」と呼び、ここにあるのは「古いテクニックの百科事典」と述べた。前景と後景を同時に写す撮影法はリュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』で実現済みであり、非現実的なセットはジョルジュ・メリエス、素早いモンタージュや二重露光は20年代の作品、天井が写るのはエリッヒ・フォン・シュトロハイムの『グリード (1924年の映画)(英語版)』、ニュース映像の挿入はジガ・ヴェルトフを思わせるものであり、ウェルズはそれらをつぎはぎしたに過ぎない
テクニックが映画を魅力的にすることに貢献していなければ批判の対象になるだろうが、百科事典的であることは別に悪いことではないだろう。
この映画ではそれらのテクニックが、結末のわかっている伝記映画特有の退屈さを払拭する見飽きない起伏を作り出す効果をあげていて、むしろ過去に生み出されたテクニックを効果的に活用する教科書として機能していると僕には感じられた。

この映画は強大な影響力を持つメディア王を正面からおちょくった問題作であり、当然大きな妨害を受けたようで、映画館でも上映拒否があったようだし、大きな賞を受けることもなかった。
それでもこの映画が長い時間を超えて傑作と賞賛されていることを考えれば、これらの批判がいかに的外れであったかがわかるだろう。

しかしやはり現実にはトラブルメーカーは歓迎されないわけで、遂にはハリウッドでは映画を作れなくなったオーソン・ウェルズ。
資金作りに奔走し、三流映画に出演し、サントリーのCMにも出演したそうだ。
そのような資金作りの一環が僕の知っていた「英語の教材の吹き込み」で、それでもそれが彼の知名度の一部となり、結局僕はこの映画に辿り着いてこの文章を書かせている。
万事塞翁が馬である。


この映画がロングライフであることには、もうひとつの意味があると思う。
スキャンダラスなメディア王の実態を、ドキュメンタリーではなく、あくまでもフィクションとして描いたことである。
成功のためならば手段を選ばぬことは、このような物語に仕立てられてはじめて近視眼的に見えるが、渦中にいる人間にはわからない。
幸運にも、そして不幸にもそれが出来る環境が手に入ってしまえば、それを抑えることはとても難しいだろう。

しかし、そのような教訓も、抽象化された物語が長い時間を経ると、もともとの含意が人々の記憶とすれ違っていく。
だからさんざん語り尽くされたことではあれど、ここにもウィリアム・ランドルフ・ハーストという新聞王の所業を書き残しておこうと思う。


19世紀の終わり頃、キューバの独立運動を宗主国スペインが弾圧していた。
アメリカはキューバの砂糖産業に投資していたために、スペインがこれを接収してしまうことは避けたかったし、潜在的に太平洋に隠然とした存在感を持つスペインの植民地を奪い、太平洋覇権を手に入れたいという政治的思想を持つ勢力もあった。
ハーストは、この思想に共鳴していたのだろう。情報操作によってこれを後方支援した。

1897年、ハースト系の新聞に掲載された「アメリカ婦人を裸にするスペイン警察」という煽情的な記事で反スペイン感情は高まり、翌98年、アメリカ戦艦メイン号が撃沈された事件を契機にアメリカはスペインに宣戦布告。米西戦争となったのだ。
結果アメリカはこの戦争に勝利し、キューバの独立とともに、フィリピンやグァム、プエルトリコを得て、太平洋覇権を固めることになる。

ハーストの命を受けてキューバに赴いた画家フレデリック・レミントンは、「スペイン人の残虐行為を描いて送れ」との指令を真に受けて探し歩いたが何も見つからず、その旨を電報で知らせた。
これに対するハーストの返答は、「何でもいいから絵を用意せよ。当方は戦争を用意する」だったという。
そして言葉通り、戦争はメディアによって用意された。


他人ごとではないのである。
メディアが政権に寄り添うことの危険は、人間の知性が持つ、目的を定めれば、それが論理で想定できるものならたいていどんなことも実現できてしまうという万能性と、それを押しとどめるはずの良心の視界が、あくまでも主観の裡にとどまるという限界性にある。

人間の知性が未完成であることを識ることほど重要なことはなく、それを教えてくれるのはいつもオーソン・ウェルズのような「トリックスター」なのかもしれない。
そう思う。

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