2015年2月23日月曜日

定在波をはじめて体感したよ

オーディオチェックCDというものが世の中にあることは知っていた。
右の音が右から出ているか、左の音が左から出ているか、真ん中の音は真ん中から聴こえるか、というようなことをチェックするものだと思っていた。

僕はバンドマンだ。
ライブハウスによってはベースアンプが右にあるところもあるし、左にあるところもある。
ドラムスが中央にあったら、ボーカリストの真後ろになって多くのお客さんから見えないから、だいたいどちらかにオフセットされている。
だから最悪、右の音が左から出ていても大して問題はないと思っている。
コルトレーンのインパルス時代のアルバムには、主役のはずの自身のテナーさえ右に大きく寄せた定位を採用している盤もある。

どのみち現代のレコーディングはマルチマイク、マルチチャンネルで、マスターを作る時にステレオにミックスされているに過ぎない。音のカブりがないように定位されているだけだ。
だからこのようなチェックCDによる定位や位相のチェックには大きな意味はないと思っていた。

というわけでご縁が無かったオーディオチェックCDだが、今回2015年2月号のSTEREO誌に付録として収録されたオーディオチェックCDを人からお借りしたのではじめて試してみた。
その中に、正弦波スウィープという音源が入っていて、それが面白かった。

ステレオ2015年2月号
ステレオ2015年2月号
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音楽之友社 (2015-01-19)

正弦波=サインカーブはすべての音の基本になっている波形で、どんな音もこのサインカーブの変調によって作られている。一番素直な音、とでも言えばいいか。
その正弦波の非常に低い周波数から高い周波数までを一定の音量で滑らかに変調させていったのがスウィープ音源というやつだ。

これで何がわかるのか。
スピーカーから発振された音は、部屋の壁のあらゆる場所にぶつかって音波自体に戻っていく。ある帯域の音が強く戻っていけば、その部分が打ち消し合って減衰してしまう。
これを定在波という。
これは、部屋の形、天井の高さ、スピーカーの位置、聴取位置がわかれば計算で求められる。僕の部屋もシミュレーションソフトを使って聴取位置を決めている。
それでも実際に鳴らしてみると、低音部で2箇所、大きく減衰する場所があった。
なるほどこれが定在波かと、はじめて可視化(というのはおかしいが)してもらって、これは本当にいい勉強になった。


で、わかったところでどうするか。
シミュレーション上正確な位置に聴取位置を決めている場合には、電気的に音質補正をするしかない。
低域の場合はルームアコースティックによる対策はあまり効果的でない。
精密にやろうとすれば、相当に高価なイコライザーが必要になるのだ。
しかも僕は聴いた経験が無いが、知人の話によれば、そのような機器を使うと補正されてスムーズになった気はしても音が持っているエネルギー感のようなものが決定的に損なわれてしまうらしい。
ということは、理論値が正常に機能するスクエアな専用室を作るしか解決策はない。
仕事で必要ならそれもいいだろうが、まったく現実的な話ではないと言わざるをえない。
ある程度の補正はトーン・コントロールで可能だ。
しかし高価な機種ほどトーン・コントロールがついていなかったりする。

僕のアンプにはついている。そしてこのチェックCDを使う前から、少し低音の量感が多いほうがいいと感じてベースを2目盛ほど上げていた。
残りの細かいところは自分の脳で補正できる。それが出来るのが人間だ。
そしてそれが音楽を聴くということの意味でもある。


能動的に音の世界に飛び込んで、作曲家が構築した世界を読み取る。
演奏者や楽器に対するリスペクトを深める。
そして定在波を超えて、音楽を理解するのだ。
例えば「ジャコ・パストリアスの肖像」に針を落とした瞬間聴こえてくる人間技とは思えない正確で速いパッセージに、言葉を失うほどその作品世界に囚われることができないのなら、それは音質のせいではなく、それまでの音楽体験がそこまでの質ではなかったということなんだと僕は思う。

2015年2月22日日曜日

御手洗潔と進々堂珈琲:島田荘司

昨年の森博嗣「すべてがFになる」に続き、ついに御手洗潔がテレビドラマ化される!
番組HP

ドラマ化されるのは「UFO大通り」収録の短編「傘を折る女」だそうだ。

UFO大通り (講談社文庫)
島田 荘司
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「傘を折る女」はすでにコミカライズされている。「絵」になるストーリーに御手洗潔という名探偵の天才性を突き詰めて表現した、このタイプの代表作といえる。


島田荘司御大はいまだに旺盛に新作を書いており、御手洗ものの新作「星籠(せいろ)の海」で僕らを唸らせてくれたばかりだ。

その御手洗潔の大学生時代を描いた異色作が、新潮社から「進々堂世界一周〜カシュガルの追憶」というタイトルで出版されていたが、このたび文庫化された。
文庫化にあわせて「御手洗潔と進々堂珈琲」と改題された。

御手洗潔と進々堂珈琲 (新潮文庫nex)
島田 荘司
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が、あろうことか新潮文庫に新設されたライトノベルレーベル「NEX」からのリリースと聞いて昔からのファンは驚いたのではないか。
角川から出ていた「ロシア幽霊軍艦事件」と同時刊行となった。

表紙はサカサマのパテマやNO.6のキャラデザをやったtoi8さんだが、落ち着いたイラストでいい感じである。
が、やはり小説としてはNEX読者とはちょっと相性が悪いのではないか。

案の定、読書メーターなんかを見ていると、「初御手洗です。ミステリじゃなかったです。がっかり」的な反応が多く、明らかに失敗している。

これは御手洗潔という探偵物語の奥深さを指し示すAnother Sideなのであって、ファンにこそ深く刺さる作品。決して初御手洗にふさわしいものではないのだ。


ここに収録された4つの短編には、どれも国を跨ぐ人と人の繋がりが描かれている。
どの物語も、読み終えた後にむしろ「自分の国」について自分が知っていたと思っていたことが幻想であったということを思い知らされる。

田舎町にある「外国」と言っていいバーを経営する女性を好きになった高校生。
小さな街ながら、学習障害があるために異邦人として生きる少年が、自分の限界を超えていこうとする時に立ちふさがる偏見。
太平洋戦争を舞台に、植民地化された朝鮮の志願兵が体験する「祖国」からの迫害。
シルクロードの交差点で大英帝国とウイグルとの間で板挟みになった知識人の悲劇。

筆者はこの短篇集で、一貫して「愛国」という言葉の危険な思考停止を描いている。
それは日常にもあり、弱者の視線を見失った時に凶器に変わることを示唆している。
自分の視線がすべてだと思い込んだ人たちの善意が、抗い得ない運命として弱者を襲うことを教えてくれている。

誰もが、今よりもいい生活を望んでいるという幻想がそのエンジンを廻している。
隣の人が自分と同じだと思い込むシステムが僕らの神経組織には、ミラーニューロンという形でインストールされているので、なかばやむを得ないことではある。
それでも、自分と違う人がいるということ、その人が望んでいることもまた自分とは違うということを想像する知性がなければ、この世界から争いは無くならない。
争いが無くなることを望む人を「お花畑」という人は、それを想像したことがないのだろう。

ミステリだと思って読んだのにそうでなかったので残念だ、という感想こそが残念だ。
この物語は、人間という知性はなぜ時に想像する力を失うのかという最大の謎について描かれたミステリの傑作なのである。

最後に聴く曲

いつものように近所の少し大きめの書店に寄り新書の新刊などをチェックしていると、平台にPenの新刊が見えた。
中島美嘉さんの表紙に「最後に聴きたい歌。」のコピー。
これは買わねばなるまい。

Pen(ペン) 2015年 3/1 号 [最後に聴きたい歌。]

CCCメディアハウス (2015-02-16)

特集の冒頭にある、ピーター・バラカン氏の「愛した歌の数だけ、人生は豊かになる。」という言葉にこの特集の真意が端的に表現されていると思う。
自分の人生の最後に聴きたい曲を考えるということは、いいことも悪いこともあったはずの人生の瞬間瞬間に想いを馳せていくことに他ならない。
ちなみにバラカン氏が選んだのはアニマルズの「朝日のない街」でした。いいですね。

誌面では、朝日のない街(We've Gotta Get Out Of This Place)の収録アルバムとして「アニマル・トラックス」が紹介されている。

アニマル・トラックス(紙ジャケット&SHM-CD)
ジ・アニマルズ
ワーナーミュージック・ジャパン (2013-12-18)
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実質アニマルズにはファーストの「アニマルズ」とこの「アニマル・トラックス」しかオリジナルアルバムはない。これは2013年にその二枚ともを愛情たっぷりにオリジナルLPの仕様ごと復元させた紙ジャケット盤で、今が絶好の購入のチャンスだと思う。

久保田利伸が選んだヒートウェイヴというバンドの「オールウェイズ・アンド・フォーエバー」という曲は聴いたことがなかった。

Too Hot to Handle
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Heatwave
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マイケル・ジャクソンの「スリラー」を書いたロッド・テンパートンはこのバンドのキーボーディストで、オールウェイズ・アンド・フォーエバー」も彼のペンによるものと聞いたが、Youtubeで聴いてみたが、僕にはちょっとピンと来なかった。

今はまだその時期が来ていないのだろう。
音楽を理解する、ということにはそういう側面がある。
吉本隆明が、この作品の素晴らしさは僕にしかわからないはずだ、という強い感銘こそが芸術の本質なのだというようなことを言っていた。
そういうことなんだろう。

JUJUさんは、自身の芸名をもらったウェイン・ショーターの「JUJU」を挙げていた。

ジュジュ
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ウェイン・ショーター
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通常最後の曲なんて言うと、ノスタルジックにさせてくれる美メロのバラードっぽい曲を想うもんだけど、この曲にはそういうセンチメンタルなところは欠片もない。
たぶんルートのコードも使ってないんじゃないかと思うような浮遊感。一瞬も聴き手を安心させない厳しい楽器同士のせめぎ合いが支配する曲。
これが、JUJUさんの音楽というものに対する基本的な姿勢なんでしょう。

各氏の選曲とも、概ねその人生の豊かさの反映になっていて素晴らしいのでぜひご覧頂きたいのですが、印象深かったファッションデザイナーのポール・スミス氏のページについて一言だけ。


ポール・スミス氏は毎朝6:00(!)にオフィスに出社すると、仕事場に置いてある3000枚のレコードコレクションからその日の気分のアナログレコードを聴くんだそうだ。
かっこいいなあ。
しかも使っている装置が、僕が小学生の時憧れて憧れて毎日カタログを眺めていたテクニクスのマットブラックに塗られたシステム・コンポじゃないか!!!





欲しかったなあ、これ。うーん、やっぱりかっこいい。
きっとこの装置からは、彼の人生がそこに凝集したような音が鳴るんだ。
他人が聞いたらちっともいい音じゃないかもしれないし、本当にすごい音なのかもしれないけど、そんなことどーでもいいんですよ。
もう文字通り、純然と自分の名前で勝負して生きてきた彼の生き方がどーんと伝わってくる。

もちろん音楽関係の知り合いも多い、彼のこと。CDを聴かないってわけにはいかないだろうけど、CDは部屋の隅に山積みなんだそうです。村上春樹さんと一緒ですね。


もちろん特集を読みながら、では自分の「最後に聴く曲」って何だろうと考えた。

僕を音楽に目覚めさせたベイ・シティ・ローラーズだろうか。
それとも自分で歌を書くことに向かわせた甲斐バンド?
その甲斐さんのラジオに教えてもらって、自分の作曲スタイルを決定づけた佐野元春かもしれない。
などと考えている間中、心の奥のどこかから、最後に聴くための自分の歌はまだ作れていないのかい?という声がずっと聞こえていた。

逃げられないものだ。
過去に書いた曲たちのリメイクをはじめてもうずいぶん経つが、あまりに昔書いた言葉が今の自分にフィットしなくて放り出しかけていたのだが、やるしかないね。

晩年、病気で記憶が曖昧になったモーリス・ラヴェルは、自分の作った「亡き王女のためのパヴァーヌ」を聴いて、「この曲は素晴らしい。誰が書いたんだ。自分もこんな曲を書きたかった」と言ったという。
そこまでのものは望まないが、僕にとっての最後の曲が、やはり自分の書いた曲でないというのも寂しいとは思うから頑張ってみる。

2015年2月3日火曜日

セプテンバー・ラプソディ:サラ・パレツキー

サラ・パレツキーのV.I.ウォーショースキー・シリーズ第16作「セプテンバー・ラプソディ」
絶好調なのである。

シリーズ最長にして、間違いなく最高傑作の登場と言いたい。


セプテンバー・ラプソディ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
サラ パレツキー
早川書房
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不思議なことだが後半を読んでいて、なんとなくCDをバッハの無伴奏チェロにしなくては、と思った。
CDを換えると、まもなく物語の中でも同じ曲が流れ始めた。

Cello Suites
Cello Suites
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Harmonia Mundi Fr. (2007-10-09)
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この曲は、16世紀の繁栄の後、宗教的な対立がヨーロッパの歯車を狂わせていった時代に、そのような人間の欲得とは無縁のところにバッハが打ち立てた金字塔だ。


この物語にうずまく本当にいろんな形の「エゴ」と、純粋な学問への「愛」のどうしようもない交わらなさ、にその対比はよく似ている。

人間は理解し合うことが絶望的に難しいからこそ、超越したものに憧れるのだろうか。